自死した弟のこと【17】自死後⑤(答え合わせ)

 弟の物の片づけ、お金の清算、各種手続き、葬儀会社との打ち合わせを順番にこなし、少しずつ「やるべきこと」の終わりが見えてきた。心に余裕ができたため、母と清掃工場へ向かう道すがら、私はこう切り出してみた。
「〇〇(弟)、転職活動がうまくいかなくて昼夜逆転。そこから軌道修正が難しくなっちゃったんだろうね。そういえば、大学の就職活動でも高校を辞めたから苦労してたよね」。
 わずかな沈黙を挟み、母はこう教えてくれた。
「実は、○○(弟)が退院してから、高校のことを話し出したことがあったの。高1では『俺たち帰宅部!』ってつるんでた友だちと高2でクラスが別になって、その子たちの居るクラスまでお弁当を食べに行ってたんだって」
「そしたらさ」
「『おい、〇〇(弟)、友だちいねぇのか』って言われたんだって。それで…それからずっと便所飯してたんだって」
「だから、『部活に入りな』って言ったんだけどね。ホラ、結局はクラスでも部活の友だちとつるむじゃない」。
 そうか。お弁当のことで母に当たり散らすようになったのは、それでか。(「自死した弟のこと【2】高校時代」参照)
 トイレで独り、お弁当を食べる時間は地獄の苦しみだっただろうな。

 大人になると、誰ともつるまないということは自由で非常に楽しい。でも、「学校」という狭い世界では、「友だちと仲良く」ということが徹底的に教え込まれる。私も小学生の頃は友だちがいなかったから、その教えがどれ程強い圧なのか・その教えを守れないことがどれ程惨めか、よく理解しているつもりだ。もし、これを読んでくださっていて、現在友だちがいなくて苦しんでいる方、ご自身の子どもが同じように悩んでいるという方がいらっしゃったら、強くお伝えしたい。友だちはいなくてもいいし、動物や草花、本や絵が友だちだって構わない。私も小学生の頃の親友は英語の辞書だった。(「英語の辞書と美川憲一」参照)

 母が教えてくれた弟の発言で、長年の疑問が解けた。あんなに優秀な高校を辞めたこと、私からの大学入学前のアドバイスを素直に受け入れて学祭実行委員会に入ったこと、ある年の自身にとっての漢字を「友」だと答えたこと。
 もしかしたら、友だちに囲まれて楽しそうに見えていた小・中学時代もずっと弟は孤独だったのかもしれない。心許せる「友」をずっと探していたのかもしれない。
 (苦しかっただろうな)と弟の心情を慮る私もいれば、(その時にそう言ってくれなければ、こっちだって対処できないよ)と弟を咎めようとする私もいる。
 誰のことも責められないから、とても苦しい。


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