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英語の辞書と美川憲一

 小学生の頃、私はひとりぼっちだった。家では離婚したばかりの母が常にイライラしている。妹と弟は姉の私よりも出来が良くて、私はいつも劣っていると感じる。学校に行けば、暗くてオドオドしている私の味方は誰もいない。クラスメイトは勿論、先生だって私のことを嫌っているみたい。先生、いつもグループに入れなくて泣きそうな私を嬉しそうに眺めているね。
苦しい。消えたい。

 ある日、母が私にこう言った。
「5年生になったことだし、英語の塾に行ってみない?お母さん、子どもの頃、英語ができなくて苦労したの」
(英語かぁ…。正直、興味が無いな…。でも、もし英語ができるようになったら、お母さん喜ぶかな)
そう思って私は英語の塾に通い始めた。いざ入塾してみると、どうやらここはエリート塾のようで、皆ハキハキと英語の質問に答えている。オドオドして自分の意見はおろか挨拶すら出てこない私は、やっぱりこの塾でも嫌われていた。私が入室すると、男子から「うわーっ!」とか「きたー!」とか言われる。辛い。消えたい。けれども、ここには学校のように仲の良い友だちとグループを作るという地獄の時間があるわけでもなく、椅子に座って1時間だけ耐えれば良いのだから、まだマシである。
 入塾してしばらく経った頃、英語の辞書が必要になったので、母と本屋へ行った。私は何となく学研の『ジュニアアンカー』を選んだのだが、この辞書こそ私の人生を大きく変えてくれたものとなった。
買った辞書をめくると、世界の色々な国の言葉で「こんにちは」と書かれている。英語、アラビア語、ロシア語、中国語、韓国語…それぞれの言葉での「こんにちは」。(世界にはこんなに言葉があるのか)さらにページをめくると、アメリカでホームステイをする際に必要な英会話とホームステイの様子が書かれている。(え、日本とこんなに違うんだ)この辞書を眺めているうちに、ポッと(外国に行ってみたいな)、(外国に行けば友だちができるかも)という希望が湧いてきた。そして、外国へ行くための学習だと思った途端、英語の勉強が楽しくなり、入室時に「うわーっ!」、「きたー!」と言われても気にしなくなった。私が気にしなくなったからなのか、英語の成績が上がったからなのかは不明だが、しばらくすると、嫌なことを言われなくなり、近くの席の子から話しかけられるようになった。

 6年生に進級すると、学校生活にも変化が現れた。担任の先生が帰国子女だったため、私の知的好奇心を刺激してくれる話をたくさんしてくれた。教卓の横で先生を質問攻めにしていると、周りの女子たちも話に入ってくる。(え!去年グループに入れてくれなかったよね?)(私と先生だけの世界に入ってこないでよ…)とモヤモヤしたけれど、その気持ちは流した。流さなければ、またひとりぼっちになると分かっていたから。表面上はひとりぼっちにならずに済んだ私は、仮初の友だちと駄菓子屋に行き、するめイカを噛みながらアイドルの生写真を引くという放課後を送ることになった。

 さて、いよいよ美川憲一の出番である。

 『ジュニアアンカー』がきっかけで外国に強く憧れていた私は、ある日、テレビの中の美川憲一がイタリアで買い物しまくる姿を目にする。値札なんて見ず、どんどん買いまくる。まさに元祖爆買いである。一片の迷いもないその姿からは、大人が堪能できる「自由」がひしひしと伝わってくる。
 大人はなんて自由なんだ。
 大人になりたい。
家庭や学校、塾といった閉鎖的な場所で悩み、消えたいと願っていた私に、美川憲一の放つ圧倒的な自由は、大人になることへの希望を確かに持たせてくれた。

 私も早く大人になって、憧れの外国で自由に振舞いたい。そう強く思い、そしてこの願いこそが希望となり、ひとりぼっちだった私を救ってくれた。英語の辞書『ジュニアアンカー』と美川憲一は、光の方向へ進むための切符となってくれた。

 その後、高校は短期交換留学ができるところを選び、大学でも英語を専攻した。高校時代から出産するまでの間にデンマーク、スウェーデン、アメリカ、フィリピン、インド、イギリス、イタリア、スロベニア、ウガンダと色々な国へ行くことができた。
今は子どもに重度知的障害があるため、なかなか難しい。
けれど、私の手の中にはまだあの切符が残っている。これさえあれば、自分の心はいつも自由でいられる。


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