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第2:"自分を信じる"すなわち「自信」?

:はじめに…素直に嬉しい!


こんにちは、葱です!
前回の投稿が初めてでしたが、
葱的予想に反して、十数名もの方に
リアクションをいただけてなんとも嬉しいことです。


やはり、行動することって…いいかもしれません。
新しいフィールドにいる気分です。

まあ楽しくなっていますので、
公開がすぐできるかは分かりませんが
この記事を直近で書き始めているわけです…。
なんだか…売れっ子の気分。
書いちゃうぞ~つって。


0.{今回は何書く?}


ということで、
これが第二回目の記事になるわけですね。

まあ正直?
何書こう。


みたいな?

あちゃーーーーー
見切り発車も中々にいい所です。
売れっ子ナイストライ…


1.{引っ掛かった!}


普段、いわば文を作ろうと思った時、
その言葉の意味をある程度自分なりに理解したところで
文章に組み込んでいきます。
それで会話もできるし、
こうして文章を書くこともできてるので、
難はない訳です。

しかしふと、
「これってどういう意味だ…?」と、
ある程度の理解を再考しようとする瞬間
ってありませんか?
多分、何かしらの引っ掛かりを
感じるのかもしれません。

今回ワタシは、その「これ」に

「自信」

がはまりました。
さっき。

ということで、
これを今回書いてみよう、と思います。
決定。
レッツゴ。


2.{自信…ねぇ…}


自信、というと
ワタシにはシンプルに自信がありません。
暗いですね。
自信がないを通り越しまして、
なんだか屈折した自意識過剰があるような感覚です。

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以前アルバイトをしていたことがありました。
勤め先では社販制度があり、
販売している商品を安く買うことが出来ます。

その社販が使えるのは、仕事に商品が必要だから。
アルバイトをするのに、多少お金がかかりますが
一応安く揃えることが出来ます、という訳です。

そこで、です。
恐らく10回くらいは商品を買う時が
あった気がしますが、
ワタシはほとんど社販を使いませんでした。

なぜでしょう。
という疑問。

「ワタシなんかが、安く買っていいものなのか…」
と思ったのです。
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…結構その状況に置かれている時というのは、
そう真剣に考えるのです。
そう考えて、ほとんど使いませんでした。
一種、世にも奇妙な物語の
新作を執筆でもしているような
気分を味わえました。
作家気取りです。

それがその時の自分の環境で、今でナウ。
今はその環境にいませんから、
「いや、君の数回の社販くらいで
会社潰れないと思う」
と、自分で思うところですが…
(というか逆に赤字どころか、
従業員からも利益が出てます。)

なんだか屈折しています。
一見すごく「ワタシなんかが…」と
謙虚(?)な様にも見えもしますが、
ある意味すごく自分中心の考え方な気がするんです。
ワタシの社販が、
勤め先会社の存続を握っているのですから...



これは…良くないなと。
なんでしょう。なんか、なんかよくない。

自覚したのは、その社販の時のみですが、
こういうのって
きっと"一例"に過ぎないのだと思います。
つまり。
この場合にだけこういった考え・性質が出ている
かと思いきや、
全く違う状況でも出ている。出てくる。
根拠はありませんが、多分このことで自分を苦しめ、
周りの人も傷つけるような気がします。





いや…それは… …変えよう…

そういった気持ちも添えちゃって、
次に進みます。
レッツゴ。


{すみません多分ちょっと前置き長かった}


すみません


3.{再考しよう・「自信」①}


再考をするにあたって、
中々面白い手段があるなと最近知りました。

言葉の漢字をばらす。

これ!面白いですし、2語以上とかだと
分かりやすいんです。
自信でやってみます。

自信= 自・信
  = 自分を信じる

言葉を補って、「自分を信じる」
こうなりました。
なるほど…。
どうしてこう、言葉っていうのは
よくできているんでしょうか…。


4.{再考しよう・「自信」②}


さて自信をつけようと思ったとき、
ワタシは
「●●ができるようになったら自信持てるかな」
と考えました。

でももしかして、自信をつけることを目的
と考える場合には、
それは少し、的を得ていないような気がします。
少し。
というか、かなり高度なことなのでは。
そういった方法もあるとは思いますが
とにかく、

自信とは、自分を信じて得られる

まさに言葉通りのこのコトが、
重要なんじゃないか?
と思うのです。

試しにその●●を勉強してみます。
しかし当然ながら上には上が鎮座鎮座鎮座。
(というより、
"そもそも頂点なんて存在しないんじゃないか"
とも思います。)

この方法が高度じゃないかと思うのは、
いつの間にか
「●●ができない私って、だめだな」
「あの人はあんなにできているのに」
と比べてしまった時、
手段と目的の入れ替わりが無意識に起こりうる
と思ったからです。

あれ~?
逆に自信、なくしてな~い?
みんな鎮座鎮座じゃ~〜ん

となるのではないか、と。

この場合、悔しさバネにして
さらに努力できればいいのでしょうか…
敵ととるか、師ととるか…みたいな…
先ほど言ったように、
物事極めて自信が持てる、
ことも勿論あると思います。
"その道のプロ"の持つ自信など、です。
それに加えてというか、
それ以外の方法でも
自信は持てるんじゃないかと。

自分を信じる。
分かりやすいと思います。
中々ストレートな感じ。

物事を極めた末の自信というのも、
"その能力"というよりかは、
「こんだけやった自分」を信じている
部分があるのではないでしょうか
という、葱的見解です。


5.{葱的かっけえ…考え}


「私だから、大丈夫」
この考え方、すごくいいなと思うんです。
"最強の相棒がいる"という
心強さを感じられる言葉です。
なんというか、もう一人の分裂した
ジブンがいるよう。
最強の相棒、そのジブン。

うぉ…………





かっけ~~~~~~~~!!!!!!!!!

ってなります。
だって。
これ以上の味方ってないじゃないですか。
多分。


6.{最強の味方、参上的な。}


突き詰めて考えると、
やっぱり親友・家族であっても、
その実は「他人」。なんだと思います。

「他人」というと、近しい人に対して
"冷たさ"や"諦め”を持っているように感じますが、
そうじゃあ、なく。です。
「(自分ではない)他の人」と、いうことです。
それは単に"事実"として存在する。
そこはやっぱり変えられない。

街中で泣いている人がいた。
「あの人は悲しいのかもしれない」と、思う。
しかしそれは、"そう自分が思う"だけで、
"その人の本当の気持ち"と
イコールかどうかは分からない。
つまり、他人の本当の気持ちというのは、
どう自分が図ってみたって、
「自分が思う、相手の本当の気持ち」
という推測の域を出ることはない。



他人の本当の気持ちは...


わかんない!

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※この部分は以下の書籍の受け売り
 のようなものですので…
 まだワタシは読み切っておりません。
 とても面白いです。
 ちょっとリンク張ってみたかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分以外の考えを持った人が、
私の見方でいてくれるってつまり、
自分の主観だけではない味方、がいるので
安心するし、心強い。
かけてもらえる言葉ってすごく嬉しい。
しかし相手の気持ちは、
コントロールなんてできない。
行動はコントロールできたとして、
人の気持ちはその人の自由であり、
決定権はその人にあるはずです。
そうなると味方でなくなる可能性というのは、
まぁ、排除でき、ない。的な?

ね~〜〜〜

いえ、
「周りで味方をしてくれる人、
 それは嘘っぱちだ
 いつか裏切るかもしれないんだから」
ということを書いているのではありません。
違います…違います…

その"味方すること"には、
自分に対する愛というものが、
きっとではありますが、あると思います。
だから、身に染みーるほど、
すごーく嬉しいのだとも思います。
そこを切り捨ててしまうのは、
寂しい、というような気持ちがあり〼。

「裏切らない」というのは、安心します。
永遠の味方?

ジブンは自分ですから、
ジブンは自分を裏切らないのではないでしょうか。
ジブンって自分がお陀仏するまで、
ずっと自分の味方でいられるわけです。
いわば、死ぬ最期の一瞬まで味方。
か、かっけえ…
その点で言えば、
きっと最強の味方というのは
「ジブン」。
結構、強いな…ジブン。

(自分ジブン自分ジブン…)


ただ、
自分を生きられるのって、
やっぱり自分しかいない。
自分がダウンしても、他の人に
「ちょっと代わって~」
なんて出来ない訳です。
代打はいません。
ですから、
ワタシもちろん含め、
誰でも多分無意識レベルで
「自分第一」だと思うのです。
だから、自信というのは
あるといいというより、必要があるともいえる。

ジブンを信じないとしますと、
どなたが味方をしてくださりましょう。
いいえ、してくださる方、いると思います。
ジブンも、その味方の方も、
ALL横並びの対等、ALL味方です。
嬉しいことです。本当に。
ただ、両者には1つ違いが。

相手の本当の気持ちは分からない。
しかし何事にも、表と裏がある、と思うんです。
ならこの場合の裏は、
自分の本当の気持ちを知っているのは、
ジブンただひとり。だけ。

つまり、です。
"本当の気持ちを知って味方になれる存在"
というのは、

ジブンだけ

ではないでしょうか。

(本当の気持ちを知って応援するほうが良い、
分からないのに応援してるのは悪い、偽善だ
っつーわけでもないです)
アドバンテージがあるなぁ、
ということを書いているつもりです。

ほーん…
そこにいたか…
相棒…

ふ~ん…
まぁ?よろしく…みたいな。
よろしくしてみてもいいと思います。
ワタシ自身頑張ってしてみます。
多分よろしくしてくれます。

こう仰ってます


自分を信じるからこそ、自信が出てくる。
多分、
「自信持って!」
というより、
「自分を信じて!」
なのではないかなと。

自信はいわゆる副産物のような、
持とうとして持つというより、
自分を信じれば、
自然と生まれて、
持っているものなんじゃないかと。
そう思いました。


7.{もしかして、今回って結構長い?
あともう少し書きたーい!}


自信の話。
そこは一旦いいんです。
次は肝心な、

<"自分を信じる"って、難しくないですか?

ということ。
恐らくそこですよね。
レッツゴ。葱ゴー。


ポジティブな部分より、ネガティブな部分って
目につきやすい気がします。
ちらつく越えて、それしか見えない。

なんで〜〜??

なんでしょう。
人間の本能だったりしませんか?
防衛本能。

ここまでその具体的な行動については
考えてこなかった…訳です。

そこで私が思うに、
”根拠なく”自分を信じる
というのは、どうでしょう。

「自分だから、とりあえず大丈夫」

根拠のない自信って、
つまり根拠がどこにもない訳なので、
多分崩れない。
崩れるものないので。
逆に崩れようがないんだ
ってトコロあるかと。

というか、どなたかおっしゃってました。

疲れて雑にまとめているわけではありません。

でもそこで忘れてはならないこと、
というのもあるかと思います。

そ れ は、

他人の意見を聞くこと。


8.{注意書き、ひっそりと}


相手の本当の気持ちは分からない。
友達・家族も、他人である。
何度も書いておりますが、
コレ、もう一つほど使えそうな気、
しませんか?
ワタシ、してきてます。

『自分の主観(感情)抜きで
アドバイスがもらえる。』

というところ。
どうでしょう。

どうしたって
自分は自分しか生きられないもんですから
自分経験フィルター的なものがかかります。
結構気づかずに。

そのフィルターは「自分経験」ですから、

自分の経験していないことや
自分の目や耳に入っていないものというのは、
含まれていません。

という注意書きが、
恐らく端っこの方にちっっっちゃ〜く
書いてあると思います。
ついでに文字も薄いです。
ワタシは日常的に見過ごします。

地球・宇宙・全生物全ては網羅していない。
そして一生を懸けたとして、
これからもできない。
いわば、永遠の不完全フィルター

そりゃ、判断を誤ることなんて
ないことがないでしょう。
うんうん。

そのフィルター抜きにして、
自分を見てくれる存在。
それがきっと、自分の「周りの方」です。

「自分だから”大丈夫”」なのであって、
「自分だから"正しい”」ではない

ということ。

そこは気を付けなければならないなと思います。
万人共通の
「正しさ」「悪」
って、多分、ナイから…


:終わりに


「自信とは自分を信じて、
ふと得ているものなんじゃないか
(そして周りの意見も聞いてみよう)」
という結論な感じでした!
いかがでしたでしょうか。

※かくいうワタシも、
自分経験フィルターがかかっています。
一つの考えとして読んでいただくことが
良いと思われます。

ワタシ自身、
とても楽しく書くことができました。
楽しむ内容かどうかは分かはないところですが、
読んでいただけた方も、
楽しんでいただけていたらサチです。

今回はここまでにしてみます。
お付き合いいただき、ありがとうございました!

葱でした。

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