"あたらない"津波警報

最近は大きな地震が海上で起これば、津波速報が同時に発令されるのは当たり前のことですね。
私はその『津波警報』の情報が全く正確ではないことに、大変な疑問を感じております。

津波警報は当たり前になった

そもそも、津波警報は軽視されるものでした。最もな例は2011年の東日本大震災だったと思います。津波警報が発令されていたにもかかわらず、『どうせ当たらないだろう』と認識してしまった方々が津波の被害に合ってしまいました。

その失敗から、毎回震災が起きるときには『重要視』されるようになったのが津波警報です。
言い換えれば『当たり前』に発令されるし、私達も気にしなければいけない重要な要素となりました。

実は状況は変わっていない

最近は津波警報に対する私達の関心も増えたため、『今回も発令されてるなぁ』と気づくことも増えましたね。あたかもバイクに興味を持った次の日から、『世の中ってこんなにバイクが走っていたのか』と街を歩いていて気がつくあの感覚です。それと同時に、もう一つ気になることは相変わらず津波警報の精度が悪いことです。

東日本大震災以降、津波警報が大きく関与した震災は、2024年元日に起こった能登半島地震でした。
一見、『あたったように見える』津波警報も来ると言われた場所に来なかったり、来たとしてもかなり過大評価された警報が出されていました。
これは東日本大震災以前と『実は状況は変わっていません』、私達の意識が変わっただけで、警報の制度は変わっていないのです。


あたらない津波警報の養護派

私は能登半島地震の以前から、津波警報の精度は『実はそんなに改善されていない』というのは気づいていました。
東日本大震災と能登半島地震、2011年から2024年の間に津波警報が発令された地震はいくつか有りましたが、その殆どは過大評価されたものでした。
実際、皆さんに『最近国内で津波被害は有りましたか?』と聞いてもピンと来る人はいないと思います。そのように、発令はされても被害はなかったのです。

そんな中でSNSを通して問題定義をする方は何人かいました。ですがいつも決まってその意見を受け入れない、つまり『あたらない津波警報を養護する人々』は『あたらないことが1番幸い』と言います。
私はその意見に対していつも疑問を感じます、はたしてそれは正義なのでしょうか?

リスクとリターンを成立させる

この意見が正義なのか、正義ではないのか、腑に落ちない矛盾は『当事者ではない人』が意見していることから起こっていると思います。
津波警報が当たって『命が救われること』をリターン、当たらずに『無駄に避難行動を取ったこと』をリスクだとすれば、リターンとリスクを受けるのはもちろん『被災する場所にいる人』です。
このとき、当事者の気持ちに立たないと正義かどうかの判断はつきません。

その上、『リスクとリターンのバランスを取らないと、物事の秩序は長続きしない』事実に注視する必要があります。


リスクがあると行動は変わる


私は生業の一つにFXトレードや株のトレードをしていますが、その中で『ゲームモード』というものが存在します。これは自分の資産をかけずにあたかも『ゲーム』のように与えられたポイントを使って、好き放題にポイントをかけてトレードの練習ができるシステムです。いわば『リターンはあってもリスクがない』遊びのようなものです。

このゲームのトレードで成功した方はたまにSNSを通して、『なんだトレード簡単じゃん』と実力を誇示する人もいますが、そのような方はいつも自分の資産をかけた本当のトレードでは大きな失敗をします。なぜならリスクの大きさが違うからです。失ってはいけないものを抱えながらする行動と、別に無くなっても良いものを抱えながらする行動には大きな違いがあるからです。

例えば、私達がマンションの屋上にかけられたハシゴを渡るのも良い例です。地上なら簡単にできる事を、それと全く同じことをしてるのに『高さ』というリスクがあるから行動の重みや緊張感が変わってしまうわけです。

津波警報が当たらないリスク

その中で津波警報が当たらないリスクとは何なのでしょうか。先にも書いたように『無駄に避難行動をしてしまうこと』です。
これは100年に一度なら良いですが、1年に一度となると皆さんはどう感じますか。『そのくらいならできる』と考えた皆さんは、家に用意している『災害リュック』の中身の賞味期限を1年に一度チェックすることを忘れずに行えていますか?まさに『そんなことは面倒』なのです。

その認識の元に当たらない津波予報を出された被災地の人々はいつしか『面倒くさい』と感じるはずです。災害とは関係のない地域の人が『実際に津波が来るよりは、当たらずに無駄に避難するほうがいい』とは言っても、リスクを抱えてない人々が文句を言うのは見当違いなわけですね。

投入資金と回収資金の成立

そんな中でなぜ津波の予報は発展しないのでしょうか?いわば津波予報が100%当りさえすればこんな問題は生じません。
例えば飛行機の話をしましょう。飛行機が墜落した際に、『整備不足』や『機能不足』の話はよく議論されますが、なぜそのような不足が生じるかは運行への投資と利益が成り立っているからです。
100万円で作った100%安全な飛行機が飛んでも、それを開発した企業が90万円しか稼げないのなら、世の中は成り立ちません。それによって過大な安全対策は出来ないわけです。もちろん安全対策を過大に行えば、そもそも機体が重くなってしまうので、飛行機を飛ばすことすらもできません。

この話は『みなさんが乗る車』や、はたまた『コンビニの店員の配慮』でも成り立ちます。皆さんがコンビニの店員の配慮に高レベルを求めるのなら、そのコンビニの商品は自ずと高くなるということです。このように、投入資金と回収資金の成立は重要なことです。

津波予報における資金の回収

では、津波予報における資金の投資と回収はどこにあるでしょうか。
予めですが、津波が予測できるか技術的な話は、もはや意外と議論する必要がありません、なぜなら今の時代の人類は『費用をかけさえすれば』できないことが殆ど無いからです。
人類最大の挑戦である『月面着陸』でさえ、費用が無いから今はしてないだけです。NASAは技術的な困難はもはや存在せず、簡単にそれを成し遂げることができますが、資金の回収が困難なので行っていません。津波予報の精度も同様のことです。

では、津波予報によって回収できるお金はどこにあるでしょうか。津波予報における投資の回収とは『後の被害を無くすこと』です。つまりプラスを生むのではなく、未来に生じるマイナスを生まないことが資金の回収となります。しかし、震災が皆さんの地域に来ることも定かなことではありません。今後一生起こらなければ、そのマイナスもないわけです。

津波予報は発展できない

その中で津波予報は、最大の矛盾にぶち当たってしまいます。あたかも貰えるか分からない給料のために、みなさんが働かなければいけないのと同じです。これではいつまで経っても津波予報に興味がある人はいても、それを発展させようとする文化は生まれません。

そして、実際に2011年の失敗から発展はしていません。発展したのは『津波予報に注意する』という人々の意識だけです。そしてそれはリスクとリターンの矛盾を生じさせ、いつしか『どうせまた当たらないから』と津波予報が軽視される時代を再び生んでしまうと私は考えています。

物事はよく、『歴史は繰り返す』と論じられますが、何かしらの変化が今後生じ、津波予報の精度が上がることを私は願います。

今日も良い1日を。





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