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起き上がり方を知ってる

今からする話は、成功と挫折を含めた人生の話。
何かを諦めたり叶えたりした時に読んでいただきたいなと思って書き残す。

・この話をしようと思ったきっかけ

まず、中学生のとき高校受験でどうしても行きたい高校があった。ここがかなりの難関高(公立)で偏差値70超えていて、不真面目で努力もしてなかった当時の自分(中2〜3の春)の偏差値は55くらいしかなかった。
目指すこと自体憚られるような状態やったけど、無事合格できた。(この経験は成功体験にて詳しく記述します。)

そのとき、おばあちゃんはすごく喜んでくれたのと同時に「今まで挫折したことがないから心配」と言われたのが今でも頭から離れない。

そんな今、いとこが高校受験に差し掛かった。高校受験に成功したが、大学受験には2度挫折した自分は、高校選びは大学入試に直結するし、大学受験に対しては慎重に助言したいと思うようになっていた。(その時初めてこんな思考になってた自分に気付いた)
つまらん大人になってきてるような、失敗するのを恐れて初めから回避するようなダサさも持ち合わせてしまった気がして、“起き上がること”の難しさや強さ、時間のかかり具合などを考えるきっかけになったのでこの話をしようと思った。

・成功体験

中学3年生の春休み、みんながまだうかうかしてる時期に自分は、虎視眈々と地元の小さい塾の自習室に通い詰めてた。バレー部でバリバリ厳しかったけど、3年を試合に出させてくれへん変な先生やったので、早々に部活には顔を出さなくなる(夏休み終わりに3年全員引退、春から部長は来ない、のちに部長は府内最難関公立高校に合格)

そして、春からじっくりと暗記や数学に取り組んでいた私は、夏〜秋にかけてグングン成績を伸ばした。あの時はどんなモチベーションで勉強できていたか、後にも先にもあれ以来勉強に本気で向き合えなかったので覚えていない。でも、明らかに強く“生きたい”と思えていた瞬間やった。
塾の帰り道に、「今は絶対誰にも殺されたくないで」と思いながらチャリ乗ってたのを覚えてる。

頑張ってるという状態は、人に“生欲”(ここでは、強く生きたいと根本から感じる欲求のことをこう呼びます笑)を与える瞬間やと今になって思う。現在1年遅れて大学に入学したので2回生(21)になるが、そのときの“生欲”を忘れられない。

まあ、そんなこんなで中学は毎日寝坊して不真面目で如何にも厨二病を発揮して、反抗する毎日をイケてると思ってた自分やった。それに、最後まで偏差値は65とかまでしか伸びんかったけど、私立も1番上のクラスに受かって順調やったし、本番もびっくりするくらい落ち着いて臨めた。そやけど、落ちたと思ってた。合格発表の時間に3時間くらい遅れて高校に向い、人がガラガラの状態で親身になってくれてた塾の先生も勿論3時間待たせ、合否確認。無事、合格していた。

嬉しかったはずやけど、驚きが勝ってしまいあまり実感が湧かなかった。
というのが、私の人生での1番の努力し、成功を得た体験です。

・挫折したこと(現役時代)

まず、1回目の挫折は現役時代の大学受験。
進学校では3年間ずっと上位1/2〜2/3くらいをうろちょろしてたので、まあ高校の中では“普通”くらいやった。
中学から理科が好きで、数学は苦手やったのに高校では当たり前のように理系選択。(学年の2/3は理系を選択する)

これが間違ってたとは言わんけど、このせいで取り憑かれたように国公立でないとダメ!と思い始めて高1から個別塾に通い出した。
中学時代とは打って変わって、高い塾代を親に払ってもらうことになった。3年には衛生予備校にも通い出したし。だからこそ私立理系は学費が高いから国公立がいいと思ったんやけど…

成績はずーっとまずまず。高2に入る前の春休みにフォーカスゴールドを復習して模試を迎えたら割といい点数が取れて嬉しかった記憶がある。
そこからも定期テストは得意なものは70〜80点、悪ければ赤点ギリギリ回避。
こんなに得意不得意差があるなら有名私立(3科目など)での受験を目指した方が良かったんやろうなって今になったら思う。
10月くらいから精神的にダメになり出して学校にも行けなくなって図書館に行く日もあった。
そのことで担任の先生や親に迷惑かけたこともある。
でも結局、プライドが高くて共通テスト受けて国立しか受けへんっていう所業を為して、案の定不合格。何の迷いもなく浪人期へ突入。

・挫折したこと(浪人期)

浪人期は、某有名予備校に通い出した。ついでに車校も並行して通った。今となっては、受験にどうせ落ちるので免許だけでも取れて良かったと思ってる笑

浪人期も辛かった。最初は良かったけどだんだん間に合わんって思い始めて焦って、文転しようかなとか考えたり…。
親も、「文転したら?」とか「私立だけに絞ったら?」って言ってくれたのにまたまた頑固な私は今度こそ国公立合格!と一念発起していた。(学習能力ないんか?)

今年は絶対失敗したくないと思ってたのに、共通テストではまさかの人生初のパニック障害を起こして国語で文章が何も読めず、今までの最低点100点を叩き出した。怖すぎた。人生終わったと思った。世界史は89点とかやったと思う。まあ良かった。英語も国語のせいであかんなって、次の日もバタバタとダメやった。
(今は、メンタルクリニックに通ってるねんけどほんまにあの時も通っとけば良かったなあ、そんなんあるって知らんかった。)

結果、A判定の出る農学部の国立大学があったから絶対ここなら受かる!と思って出願した。
私立は2校しか受けてなくて1校はだいぶ早い段階で受かってたので、二浪は回避できた。(現在ここに通っている、ほんまにありがとう俺を拾ってくれて。)

結局3月某日、合格発表をスマホで確認するとまさかのまさか、落ちていた。びっくりしすぎて頭真っ白。高校合否以来の驚き。驚愕の事実🫨
何も受け入れられない。全てが終わり。なんか単語も出ない、親にも何も言えない、あわあわあわみたいなのがほんまに体現できる出来事やった。

あの時は、ほんまに辛かった。いろんなことがあっていろんな選択をして、いまこんなことになってるって順序立てて考えることも辛いし、じゃあ今からどうする?って未来を見るのも怖かった。

二浪する?とか考えたけどメンタル的にも無理そうやったから仮面浪人てことにしてたけどほぼ適当。受けるだけ受けたって感じで金の無駄やったからこの話は別に大したことない。金の無駄、以上。

まあ俺が現役から浪人までのお金はめっちゃかかったと思うし、ほんまに無駄やったと思う。今の大学には現役時代も合格できてたと思うし。
今こうやって文字にしててもやっぱり辛い。人の話を聞かれへんこととかわがままなこととか頑固なこととか、一回決めたら諦めが悪いところとか。全部自分が招いた結果で、こんなわがままを許してくれた親はほんまに優しいと思う。結局1番金のかかる私立の理系大学に浪人して通うことになって、申し訳ない気持ちもある。

お父さんは、高校受験の時から一貫して「地頭悪いからしゃあない」と言ってた。
お母さんは、「いいやん、失敗しても」って言ってくれた。
ほとんど今まあいいか、と思えたのはこの2人のおかげやと思ってる。

で、次から本題。

・転んでも起き上がるということ

いとこが受験するって話を聞いて、大学のこととか話そうとした時、「推薦とかもあるよ」がまず頭に浮かんだ。いとこに挑戦して傷ついてほしくない、挫折なんかいいもんじゃないって。自分も推薦で大学に行くことができたのにそれを蹴って、受験することを選んで2回も失敗して現在に至ることを満足してないかのようやな、と思ったし、自分は、“起き上がれた”けど、いとこは無理かも、とか余計なことが浮かんだ。こんな大人にはなりたくないなあ、を体現してもうてるやん。
おもろないわあ、失敗を恐れて、挑戦する奴のこと揶揄して、挑戦して失敗したら「ほらな」とかゆう奴。俺が1番なりたくないやつ、1番ダサいやつ。人一倍傷つくのを恐れてるやつ。

俺は、失敗したことで自分のことを守るようになってしまったんかも、と思った。
頑張っても報われへんことがあるって知って、学習したんじゃなくてなんとか逃げ切る方法を覚えただけやと思った。これこそ本質的に、やった“意味なかった”やん。

それに、自分が失敗したからっていとこも失敗するとは限らん。そんな思考になってると、まるでいとこに失敗してほしいみたいやん。情けなくてなんかなんか…。

それで、今思うことは、結局挫折とか失敗とか辛かったこと全部、いつかは他人に話せるようになるし時間が解決してくれる。失恋だってそうやけどさ。
馬鹿にされたくない、とか負けっぱなしの人生、とかって結局誰かと比べてるし、自分も他人のことそういう目で見て勝手に評価して馬鹿にしたり羨んだりしてる。そんなしょうもないことしてもうていいん?って。

価値観なんか人それぞれで、それを失敗と感じるか否かも人それぞれ。俺は、俺の本来目指してた場所とは違うところに今立ってるけど、別に置かれた場所で咲かんでもいいし、咲く努力をしたっていい。

「挫折した経験はぜったい何かに活きてくるよ!」とかよく励ます言葉に使われるけど、それはそんなことないと自分では思ってる。
時たま思い出して、傷ついたところ抉ったり、治りかけのかさぶためくることもあるよ。
でも、懐かしく思うことだってある。あの時しかできひんかったことのひとつやと思う。あんなに自分の選択だけで自分の人生を決めたり、じっくり悩んで努力して発揮しても報われない痛さを感じれたり。悪くなかった。よくはなかったけど、悪くもなかった。ストレートで志望校に合格するやつはめちゃくちゃかっこいい、その志望校のレベルに問わず自分のことよく客観視して分析できてで、その時点で何枚も上手やなと思う。

でも、そういう人と比べて、自分はどうこう、とかあの子がどうこうとかはまたまたしょうもないこと。みんな、少なくとも小さな挫折はどの段階でも経験したやろう。私は、跳び箱が飛ばれへんくてずっと白いところに座ってたし、高跳びができひんくてハードル飛ばさせられてた笑

失敗は恐れんでいいし、恐れてもいい。
ひとつ言えることは、挑戦して挫折してもいつかは立ち直ること。おばあちゃんがあの時心配してた挫折を身をもって体験して、すごくすごく辛かったけど、私は今すごく元気に生きてるし大学で良い成績を取って入りたい研究室に入る努力をしている。

☆最後に

今は何個も夢ができた。

大学受験に失敗して、いわゆる中堅私立の理系学部に受け入れてもらって、1年の時は辞めたいと思ってたけど今はそれも無くなって、良い成績を取って入りたい研究室に入ること。
大学院は、今の大学でも良いけど国立の大学院大学に行きたい研究室があるのでそこに入って製薬会社に入りたいということ。
認知症の薬を作ってみたいということ。
早めに離職して、離島で暮らしたいから離島でも生きていけるように来年に資格を取っておきたいこと。

夢ができて、頑張る目標ができて、成功体験の話で書いたように少しずつ“生欲”の兆しが見えてきた。メンタルクリニックにも通って抗不安薬を飲んでるけど、いつか手放せる日が来るかもしれへんし、それがいつでもかまわへん。
恋とか愛とかに悩んだり、趣味がいっぱいあるからそれを楽しんだり、今おる友達と大切な時間を過ごしたり。

大好きな坂元裕二様脚本の『問題のあるレストラン』での大切にしておきたい台詞を置いておく。

人生ってきっと、地位や名誉やお金じゃない。
人生は、どれだけ心が震えたかで決まると思います。

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