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中東の歌一首評(『中東短歌2』より)

たましひは冷え冷え昏くハマシーンをさまりし夜の露天喫茶に  加藤孝男
 
 
エジプトには、ハマシーンと呼ばれる砂嵐がある。二月から五月くらいの間にやってくる黄砂のようなもので、町中をオレンジに近い黄色の砂で覆ってしまう。ハマシーンとは「50」という意味で、1年のうち50日くらいの期間、この砂嵐がやってくると言われている。室外にこもり窓をしっかり施錠していても細かい砂粒が入りこんでくるというくらいだから、外出などしようものなら目にも鼻にも口にも耳にも容赦なく砂は襲いかかる。
 
加藤孝男は2003年2月、国際交流基金の派遣でカイロに赴き、エジプト人に日本文学を講じた。その滞在中、このハマシーンを体験したのである。また、同時期にアメリカによるイラク攻撃が始まり、観光国家であるエジプトが打撃を被る様を目の当たりにした。砂漠での戦闘においては、アメリカ兵もハマシーンに苦しめられたという。

こうした背景を映してか、巨大な砂嵐がおさまった後の魂を「冷え冷え昏く」と加藤は詠う。巨大な勢力が到来し過ぎてゆくのをなす術なく見送った者の心情が表されている。それはもはや、自分の力及ばぬ事象に対する諦念の境地だ。「夜の露天喫茶」にいるというだけで喚起されるイメージの効力もたっぷりと意識されている。暴力的に心を掻き乱すものと冷えた魂、その温度差の対比が味わい深い。粘膜にまで入りこむ砂の執拗なざらつきや沈思黙考する作者の姿、昼間と気温差の大きなエジプトの夜が、八ミリフィルムのような色と質感で我が身に再生される気がする。現場感覚が魅力の一首である。
 
それにしても、エジプトの漢字表記が「埃及」とは、考えたものである。


※本稿は『中東短歌2』に寄稿したものを一部改行のみ行いそのまま掲載するものである。

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