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拝啓、おじさんおばさん

元少年少女だったおじさんおばさんたち、もう夢は見ないのか?



コロナ云々で遠ざかり気味だった僕は、ある日久々にライブハウスへと足を運ぶ。そこに広がるのはいつもより少ない客数のフロアと、明らかに練習不足のクソバンドのクソ曲。そしてMCは何故か、現実の箱のサイズや客数よりも遥かに多い想定をしている内容だ。目の前のお客さんを置いてけぼりにして、何ができるのだろうか。ライブハウスから離れていた時間は、僕に冷静さと客観性を与えた。そしてそれは楽しかったライブハウスの膿みたいなものを僕に突きつけ、大きなショックを受けた。


その時思ったことを書こうと思った。そこから関西オルタナティブおじさん連合や、紋切り型の曲を垂れ流すくせに作曲していますヅラしている奴らを、大ナタで袈裟斬りにするような文章を調子よく書いていた。しかし終盤、思わぬ場所に着地しそうで、しかもその段になり、ようやく僕が書きたいことがその着地点だと気づいたので、全部消して書き直している。


僕が言っても説得力はないが、悪口は何も生まない。生産性のある文章にしようと、送信する直前で気づけてよかった。

そこまでして言いたかったことが冒頭の文章である。


ライブハウスに巣食う、20代後半以上の、おじさんおばさんに告ぐ。

かっこ悪いから。忙しいから。現実を見ろ。そんな言い訳にもならない言葉を並べているバンドマンが多い。これは実際に言うことはなくても、言葉や行動、曲やライブの裏にすごく滲み出ている人が多い。バンドをやっていることだけで満足している人が多いのだ。やっていればいいというわけではないだろう。


まったく練られていない曲。曲の構成、休符の長さ、歌詞の意味だけでなく語呂の良さ。考えることは山ほどある。なんとなくで曲づくりをしている人間が多い。聞けばすぐにわかる。スタジオで既存の曲を練習することも大切だが、しっかり編曲に時間を割いているのだろうか。経験と手癖で曲を作っていないだろうか。


また、自分に人気がない理由を「流行りのジャンルじゃないから」「わかりやすい曲はしていないから」という人。違う、自分たちの実力不足だ。そこから目を背けている限り何もできない。

と、たくさんの批判を羅列したが、今回赤ペンを入れる個所は「おじさんおばさんが頑張っていない」ということではない。もっと、「おじさんおばさんは自分たちの音楽を信じろ」ということだ。


思い出してほしい。
学生時代。夕日が差し込む教室。イヤホンの線を、制服の内側から袖を通して、頬杖するふりをして耳に当てて好きな音楽をこっそり聴いていたこと。
初めてのライブハウス。自分たちの少し年上の、もしくはぐっと年上のおじさんたちだっただろうか。照明に照らされて、体験したことのない大きさの音を鳴らしていたヒーローたちのことを。
初めて入ったスタジオ。大きなアンプから自分で出した大きな音に驚いたことを。初めて曲を合わせて、最後まで弾き切ったときの達成感を。

あなたたちおじさんおばさんは昔は夢見る少年少女だったはずだ。そしてライブハウスで活躍していたおじさんおばさんたちは、輝くヒーローで、その姿を追いかけて、いつか自分たちも、という気持ちで夢へと進んでいたはずだ。
あなたたちは、そのころの輝くヒーローになれているだろうか。形は違えども、夢見る少年少女たちへと大きな背中を見せているだろうか。

年齢を重ねると、見る夢の内容も変わってくるだろう。メジャーデビューしてミリオン達成することだけが夢じゃないと気づくはずだ。でも、夢は持ち続けないと、前へ進めない。夢がない音楽なんて、その場で足踏みしているだけだ。
人によってさまざまだと思う。目の前のひとびとを幸せにしたい。オルタナティブの追求。自分の人生を見てほしい。世界を変えたい。どんな夢だっていい。その夢を追いかける姿がかっこよく映り、少年少女は追いかけ始める。当然、あなたたちおじさんおばさんも、追いかける何かがあるだろう。そうして紡がれてゆくのだ。その流れを断つわけにはいかない。


自分の音楽を信じて。


夢を追いかけて必死でやる音楽は必ず正しい。


取り戻せ自ら砕いた夢を。



エピローグなんかじゃない。


僕たちはまだ途上だ。



元少年少女だったおじさんおばさんたち、もう夢は見ないのか?


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