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夕暮れとベトナムと。

9月23日。また夏が、終わろうとしている。

 台風14号が日本を襲ったあと、これまでふるってきた猛威をとんと忘れたように、すっかりと気温は落ちてしまった。ふと外に出てみると、肌にふれる風が冷たい。
 ああ、またこの感覚だ。夏が終わる感覚。長く暑い夏、永遠に続くかのように見える夏は、今年もたやすく去ってゆく。あれほど鬱陶しく感じていた、じりじりと僕らを照りつける太陽が恋しい。
 僕は今月半ばまで、1ヶ月ほど東南アジアに滞在していたのだが、そこで改めて四季の特殊性を認識した。カンボジアでタイ人と飲んでいる時、次はいつ戻ってくるのかと聞かれたので、来年の春かな、などと適当なことを言った。すると、東南アジアに春はないからそれがいつなのか分からない、と冗談気味に返された。
 そうか、東南アジアには雨季と乾季はあるが、四季という季節の移り変わりはない。彼らはのんびりと、終わらない夏のなかで生きている。 …なんて羨ましいんだろうと思った。フルーツが絶えず育ち、爽やかな風が吹く。そんな緩やかな時間が流れる夏に、彼らは別れを告げなくてよいのだ。いいなあ。
 しかし、現実は非常に非情に、日本では夏の足音が小さくなり始める。
 いかないで。 
 
 ああ、記憶がフラッシュバックする。
  
 高校3年の10月ごろ、学校の遠足で初めて大阪に足を踏み入れたとき。大学一年の9月、女の子と一緒に南禅寺に行ったとき。去年の9月、服部緑地でバンアパのライブを見たとき。
 
 

そのどれにも、どうしようもない淋しさと、得体の知れない愛おしさが混濁していたことに気づく。

 
 ふう。
 別れは悲しい。できればずっとそばにいてほしい。
 しかし、別れがあるからこそ、僕らはその何かの存在を、鮮明に認識できる。季節が移り変わり、また会えるかな。そう思うことで、思い出は鮮やかに脳裏に刻まれる。だから、悲観することじゃない。四季は、日本は美しい。こんなにも、繊細で豊かな心をくれてありがとう。また来年を楽しみにしながら、また前を向いて歩きはじめなければね。

 
 でも、ちょっとだけ、今だけは、後ろを振り返っていていいかな。  

 ベランダには、夕暮れと、ベトナムのスラムで雨宿りしてた時、地元のおばあちゃんがくれた安いポンチョ。

 さよなら、夏の日。 なんてね。
 
 長く暑い夏に後ろ髪をひかれるように、俺はそんな風景をただ、眺めている。

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