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相手を理解するためには、
「わからない」というプロセスを経る必要がある。
「わからない」⇒「わかる」
「わからない」という感覚を経なければ、
「わかる」には至らない。
正確に言うなら、
「同じような経験が私にもある」という程度にしか
わかることができない...ということだろう。
あなたと私の「わかる」は、
基本的には別物なのだ。
問題は「その先」。
「私がわかった感覚」を拡げ、
どれだけ「相手のわかった」に近づけるか...。
方法は2つ。
1つは論理的に考えること。
この場合には、一般的にはこうなるはずなのに、
彼女の場合にはそうならない...という思考。
例えば、ごく親しい身内を亡くした場合、
喪失体験に基づく「喪の仕事」を完了するまでには、
概ね2年を要するといわれる。
にもかかわらず、3年も5年も、
その感覚を引っ張っている...という場合は、
うつ病などの疾患を疑う。
あるいは逆に、
そんなことはなかったかのような振舞には、
「反動形成(or過剰適応)」という
防衛機制が働いていることを疑う。
2つめは、
相手が語る内容の「了解可能性」、
「話のつじつま」が合うか否かだ。
この時、あなたの「経験智」がものをいう。
経験智の薄い支援者は、
「経験智」の幅・深さ・感度が、狭く・浅く・鈍くなる。
この業界(相談支援領域)でいう
「共感的理解」の本質とは、
①理論的な裏付けがあり、かつ、
②あなたが感じる「了解可能性の幅」によって決まる。
だから「そうよね、そうよね~」的な「共感」とは違う。
①は、Webinarなどの知識を応用すれば良いし、
②は事例検討会やSVで、地味に学んでいくことが
最大の近道だと私は思う。
以前にも触れたが、
野中先生はこんなことを言っていた。
「支援者としての技量をあげたいと思うなら、
質の良い事例検討会を、何度も経験することです...」と。
業界人はしばしば「共感的理解」
という言葉を使うが、
本当に相手に共感できているか否か...。
その「質」は誰にも見えていないのである。
冒頭の画像は snafu_2020のものをお借りしています。
ありがとうございます。