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新しいことをやりたいと思ったら,周囲が良いと言っている現実を否定しなさい

ハイウィッツ・テクノロジー 米澤 成二

タイト・カップリングとルーズ・カップリング

 私は光ディスクの研究を長年やってきまして,そのおかげで世界中の研究者と知り合いになりました。そして感じることは,現在では台湾,韓国の技術者のレベルが非常に高くなり,日本の研究者のレベルとほとんど変わらなくなったということです。半導体にしても同じです。設備などもボーダレスになっていますから,世界中からいいものがどんどん入る時代になっています。となると,あとは何が違うのかということになります。
 それで,これからは何をやっていけばいいのか,どこに存在価値を見出して目標を作るかというふうに,自分で目標を作っていかなければ,結局いい仕事はできっこないということです。
 日本というのはタイト・カップリングで,人と人とがグループになってやるのには強いのです。一方欧米はルーズ・カップリングで,人と人とが協力するところは弱くて,ルーズでやっています。だから生産性とかはあまり効率的ではないのです。しかし,個性があるからいい発想ができ,優れたものが生まれる,ということが昔からいわれています。

 それで,今はどうかといいますと,日本は依然としてタイト・カップリングなのです。人と人とがプロジェクトを中心に協力し合ってやろうしている。変わっていないのです。  典型的なのは一昨年のDVD騒ぎです。どのメーカーも一緒になって乗り遅れまいとする。例えばDVD-RAMがあるというと,自分を捨ててまでしてDVD-RAMに賭ける始末です。馬鹿じゃないかと言いたいのです。
 会社は新しい研究をしよう,新しい事業の芽を出そう,いい特許を取ろうと,高い目標を掲げます。私自身もそういわれて1970年にレーザーを集光するという今の光ディスクの原形の研究を始めたのです。当時は世界中の研究所,大学公共機関が大々的にホログラフィーという光記録なるものを進めていた真最中でした。ホログラム=光記録の時代でしたが,そんな時代に私がホログラフィー記録技術を否定した,最大の技術的根拠は,今世紀にはホログラム記録に必要な銀塩フィルムに置き換わる中間調記録ができるフォトン記録材料は発明されないという技術予測でした。 レーザーを集束する方法ではそれが必要ないというのが大きな指針です。しかし,この方法も解決しなければならない課題は何十と山積して,例えばサブミクロンのトラッキング方式,ミクロン単位の自動焦点方式など,当時は何もなかったのです。しかしこれらの課題は,電子光学技術で解決できると確信したのです。スポットウォブリングとか現在のCD-R,MDミニディスク,DVD-RAMに使われているウォブル溝という方式は1972年に発明した技術です。その方式を研究考案するために,Optical Society of America学会でFrederic Ives Medalistを受賞したHarold H. Hopkins教授が1978年に計算したような膨大な回折計算を, すでに1971年に私はやっていたのです。これが,新しいことをやるために,現実の技術の否定をみずから実践した最初でした。

 新しいことをやるためには何をしたらいいのかとよく聞かれますが,答えは簡単です。新しいことをやりたいと思ったら,まず現実を否定しなさい,と言っているのです。そして次に何をやるかを考える。そのなかにはうさん臭いものがいっぱいあるはずです。しかし,次の世代に通用する技術を考える嗅覚を自分で養わなければなりません。それはもう至難の技ですが,この時点でそれを実行するかしないかで,その人の能力に差がでてくると信じています。このような考え方は日本企業に参加する前の20代に,アメリカで経験した研究生活が影響していると思います。

アイデンティティー

 会社は研究者に新しいことを提案してほしいといっていますが,実際に新しいことを提案しはじめると周囲から妨害,中傷が起こるのです。要するに,あいつはおかしなことをいっていると。だから自分がこれは必ず将来ものになると確信したら,その技術を外に発信するのです。社外の人と交流し,学会に論文を発表してよその人に見てもらうことをよくやりましたよ。社内評価だけでは潰されるのです。評価しようとしないのですね。

 実際に経験したものに,1985年に5.25インチの光磁気ディスクで,データを記録するガイドになるグルーブ溝にウォブルマークを併用すると,今後の高密化に寄与できると,私は2年間かけて実験と計算を繰り返して社内提案を行い,学会発表もしました。しかし,社内では聞く耳をもってもらえず,結局規格化提案は駄目になってしまいました。社内には周囲に有能な研究者も多くいて,皆さん馬鹿ではありませんから,技術的には分かっても,どちらに味方したほうが昇進と業務評価にプラスになるか,天秤にかけるのですね。ところが,10年後の1995年7月にありましたDVD-RAMの規格化会議に,当時の私のその実験データが無断でもち出され,グルーブ溝にウォブルマークを併用する効用を提案しているのです。これはDVD-RAMの規格になり,会社としては戦略的にポイントを稼いだ訳ですからいいのでしょうが,研究の良心はどこにあるのだろうと,あきれかえってしまいます。
 課長がいて,部長がいて,所長がいる。すると,上長の機嫌をいかにとるか,その任期の間にいい点を取らなくてはいけないということになります。昇進に響きますから5年も10年もかかる新しい技術,つまり世の中で煙も出ていないような話題は,全然意味がないのです。社内の誰にとってもメリットはないのです。
 私は大阪大学で学位を取ってすぐの,1967年の春にアメリカに渡りました。大学での学位論文「領域型レンズ自動設計法」という新しい論文がロチェスター大学の光学研究所に着目され,その研究を向こうで続けるためでした。
 向こうで感じたのは,ミミズの博士でもノミの博士でもいい,どんなつまらないものでもいいから,生きていくためにはその分野で世界一になればいいということでした。アメリカはそういう意味でいろんなチャンスがある,広い国だと思いましたね。そのためには自分のアイデンティティーというのをもっていなければいけない。他人がこうやっているからこうやりますということは,もう二番煎じなのです。研究室での朝は,コーヒータイムでの「What is new today?」で始まり,お前のアイデアは何なのか,お前は何をしたいのか,何を主張するのかから話が始まるのです。そういう考えを私が抵抗なく受け入れられたのは,卒業したのが阪大であって,官僚養成大学的な東大とは違ったバンカラさの影響だと思います。20代にアメリカで経験した,議論とはこのようなものであるというこの思いが,先ほどの光ディスクのように,議論の不透明性によって打ち壊されたわけです。非常にショックでした。それがあってから,私の研究の主張と成果というものを風化させないように,『光記録―研究と特許―』として自費出版しているのです。これは今も続いています。

特許のこと

 企業にとって特許は,戦略的重要性をもつものは言を待たず,またその重みも年々増加しています。研究者は,それに向けた努力を十分なすべきなのですが,学会発表,製品試作などに注力するエネルギーに比べて劣っているのが現実です。その大きな原因はどこにあるのでしょうか?
 私はこの問題を「研究と特許」という観点でとらえ,長年をかけて数万件に及ぶ特許のデータベースを作成し,研究者の成果の追跡調査を行ってきました。そこで分かったことは,新しい技術潮流をつくる特許の成功の確率は,優秀な研究者でも0.3%以下であるということです。すなわち,研究生涯年数を30年として,その間に最大300件出願してもせいぜい1件あるかないかの低いものなのです。非常に優秀な研究者でも,生涯に出願する件数は250件程度,普通は50件程度ですから,研究者として成功したといえる人はほとんどいない,といってもいいくらい大変なことなのだという事実です。改良特許ではなく,世の中を引っ張っていくような事業になるものはそのくらい厳しく,この数字は納得できるものと思います。余談になりますが,私はこの調査内容をもとに,「発明の方法」,「研究と特許」というテーマで大阪大学で5年間特別講師として講義を行ってきました。このような話は今の大学の先生は誰もできませんから,毎年学生に好評でした。
 本題にもどりますが,ところが残念なことに,社内での各研究者の特許を評価する,長期的なデータベースが構築されていないのです。研究とは長いレースのようなものですから,長期的なデータベースを毎年更新しながら,10年後にでも事業の目になるような,革新的特許の成果がどういう形で補償されるか,若い研究者たちに見えるようにすべきだと思いますね。現状では,おれもちょっと頑張って考えてやろうという意欲が,まったく出なくなっているような気がします。
 一方,現在のように国際的な企業同士での特許戦争が厳しくなってきますと,自社の研究成果だけでは危ないことで,企業間同士でのクロスライセンスというものがでてきます。これはどういうものかといいますと,企業間での特許論争を避けて,お互いに黙って使えるようにしましょうよというものです。要するに,暗黙の了解で特許権利の行使をシェークハンドしましょうというわけです。これは会社の経営危機回避の一番スマート(?)なやり方なのです。しかし,そうなってきますと,社内では個別に特許の評価をする必要がなくなってきます。その特許が重要なものかどうかを評価せずに,ごみのようなものと金のようなものとを一緒に,束でどうぞというわけです。うちの特許は何トンありますよ,高さは何メーターありますよというようなものです。金特許は,出願料稼ぎまがいの特許と同列に扱われ,出願件数だけで評価されてしまいます。
 ところが,世の中にはそういうのを本当に真剣に考えようという研究者もいるわけです。右へならえという人間ばかりじゃありませんからね。しかし,それを評価できるのは5年か10年先のことですから,その出願時点では誰も評価できないのです。目先のことしか評価しないような評価体制では,なかなか新しいのは出てこないのです。
 クロスライセンスは,会社の運営の危機回避のために,非常に有効な手段であることは確かですが,発明者にとってはどのようなメリットがあるのかまったく不透明なのです。 野球選手とかは,トップともなれば年間4億円契約の時代ですが,いくら優秀な研究者でも生涯に1件あるかないかの難しい挑戦に成功したとしても,そういうわけにはいっていません。研究のプロとして,10億円特許補償するぐらいの企業がでてくると,研究者も挑戦的になって企業も活性化すると思います。研究者もそれぐらいのことがいえるプロ意識をもたなければならないと思いますよ。最近の新聞でもいっていますが,研究者の能力は会社の貴重な財産だと考るべきで,今までの特許補償制度の根本的な見直しを行う企業も出始めています。今後は研究プロといわれる,精神的に企業から独立した研究者が必ず出てくると思います。

Highwits

 光ディスクの国際学会で私の考えの成果をいろいろと発表していた関係で,海外のベンチャーから何か新規事業の提案をしませんか,研究投資をしますよ,と言ってくれたのです。そのとき担保なしの投資,ストックオプションなるものを初めて身近に感じました。そこで,前から考えていた内容の商品コンセプト,商品化のタイミング,市場売り上げ予想,開発期間,開発予算,従業員確保のすべてを40頁あまりの事業提案書にまとめて提示したわけです。海外のベンチャー事務所での説明を終えると,goの決定が出たかと思うとすぐ,オフィス探し,人材探し等々準備にかかり,家に帰る時間はほとんどありませんでした。商品試作品を作り,営業活動の売り込みも私がやりました。この会社は,Highwits Technology(高い知恵)という社名で一昨年12月に正式に登記しまして,100%外国ベンチャーキャピタルの金で運営しています。今までの研究一色の生活が一変する,研究馬鹿に会社運営なんかできるはずがないといわれてのスタートでした。しかしこのような転身は海外では珍しくなく,アジアのなかの台湾でも,ストックオプションなどの特典のない大会社は,若者には魅力がないようです。ところで日本は時代が変わってきたといわれていますが,学生の就職などをみてもまだまだ大企業依存主義ですよね。
 Highwitsのマンパワーに関しては,各専門家を自社で100%抱える非効率なやり方はとっておらず,10名程度の一流の専門家に遠隔での支援をお願いしています。やっと1年になりますが,仕事も軌道に乗りはじめ,お茶くみ,掃除から経営,研究まで,すべて自分の判断と責任でできるのは人間として楽しいことです。

辞めた理由

 私が前の会社を辞めようと決めたのは1996年の2月です。前からずっと独立したいと思っていましたが,最近特に会社と研究者の間の信頼関係が,お互いになくなってきたのではないかという思いが募ったのが大きな理由です。この10年間,誇れる製品といわず,技術すら出ていないのはその結果の表れではないでしょうか。他社の技術動向ばかりに目が向いてしまって,社内の新しい研究成果を事業の戦略に生かす術が考えられないでいるのです。井の中の蛙では困りますが,自社技術に対するこだわりがなくなってきています。その一例が昨年のDVD-RAMです。 DVD-RAMは将来の高密度化に壁があります。それを承知で,自分を捨ててまでして,世論に飛びついているのです。技術の会社が自社の技術にこだわらなくなったとき,その会社はもう終わりです。それで自分の会社を作って,自分の技術にこだわった仕事をしようと決断したのです。

光ディスクの将来

 光ディスクの将来技術を見るとき,磁気ディスクと光ディスクの高密度化に対する技術革新の速度を比較する必要があります。磁気記録ではヘッドギャップ距離が年々小さくなって,記録密度も向上しています。
 一方光記録はご存知のとおり光スポットの大きさ,すなわちレンズ開口数(NA)とレーザー波長(λ)の比λ/NAで決まってしまいます。開口数(0.4~1.0)もレーザー波長(0.4~0.8ミクロン)も小スポット化に余裕がありません。この限界を打破する技術を開発しようと,1988年に光磁気に有効な方式で,0.1ミクロンの磁区が記録できる能力のある「レーザパルス照射磁界変調記録」という方式を大変なエネルギーを費やして考案しました。1996年4月には実際に0.1μmの記録観測がスピンSEMで確認されました。磁区長さが0.1μm記録という,今まで光ディスク記録でできないと考えられていたことが,光磁気で実現できるようになったのです。しかしこの技術も,社内ではやっぱりというか,反応は冷ややかでした。しかし社外では,この技術はシャープ,ソニーなどが大いに評価するところとなって,次世代のミニディスク(MD)に使うことになっています。ASMOという6Gbyte容量の規格にも採用されています。
 今後VTRテープは,光ディスクに置き換わるようになると考えています。何しろ光ディスクは巻き戻しなどが要らないし,操作性では一番です。そのためには容量はCDサイズで15~20Gbyteの4時間映像記録の技術が必要になってきます。先ほどの「レーザパルス照射磁界変調記録」手法では30Gbyteがすでに技術的に可能になっており,残る技術課題は再生技術の開発にあります。私は今,新しい挑戦としてこの再生技術に挑戦します。
 世の中のニーズを見ると,パソコンだけではなく,衛星,ネットワーク,映画といろんな画像メディアが必要になってきています。そうなってきますと,何10Gbyteあっても足らなくなってくることは間違いありません。
 今は皆さんDVDでわーっと動いていますけど,家電メーカーも含めて,景気が悪くなったというのか,余裕がなくなっているというのか,目先にだけしか目が向いていないのです。しかも各メーカーには技術の差があまりありませんので,同じことをごちょごちょお手てつないでやっているわけです。

海外の研究支援会社コメッツ

 これは昨年7月に設立した海外の研究所の研究者を支援するボランティア会社です。欧米以外の国を対象にして,今はメキシコです。メキシコにはINAOEという国立天文学・光学・電子工学研究所があって,そこのコルネホ教授は私がロチェスター大学にいたときに修士の学生でした。その後,東工大の辻内順平先生のところに留学してそこで博士号を取得し,その後帰国して昨年までメキシコで物理学会の会長をやったりしていました。
 昨年,そのコルネホ教授から,メキシコの若い光学研究者をいろんな形で支援して貰えないかという打診があって,コメッツという会社を設立しました。この会社の目的は,1つは今いった研修生の受け入れで,発展途上国の研修生を受け入れてくれる会社を探すこと,もう1つは日本で不要になった機器を向こうに寄付するという仕事で,もうすでに成果が出始めています。
 コルネホ教授は,日本はいろんな意味で恵まれているが,メキシコは教育一つをとっても何10年というレンジで考えなくてはいけない,だから100年の計で人の育成を考えなければいけないのだというのです。人を育てるということが基本です。物を与えただけでは,壊れた,それで終わりです。それでは困るのです。人を育てておけば,道は開けます。何かをしてやりたいという,そういう恩着せがましい話ではないのです。
 海外との連絡は全部辻内先生にお願いしており,私は国内企業での折衝を担当しています。先生とはバリアーなしでお話できますから,これからが楽しみです。コメッツのホームページはhttp://club.infopepper.or.jp/~cometsです。
 OplusEの1997年の7月号にコルネホ教授が「メキシコの光学」というタイトルで執筆していますので御参考ください。 (文責 M.M.)

(O plus E 「私の発言」1998年 2月号, 152~158ページ掲載)

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