自分の行動のハードル上げたもうことなかれ

つい先程、締切の論文原稿を送りました。
ここでも時々書いてますが、夏休み中この原稿に頭を悩まされて休めたもんではなかった……。

2週間前ぐらいまで、どうしようあーしようこうしようと悩んでいた。でもふと、変に完璧を目指し気負いすぎていることに気が付きました。

そこから、まぁ無理しても意味ないし、と、少し気楽に考えることができ、今日を迎えることができました。その思考の変化が面白かったので、もっと具体的に言語化しておこうと思って、お風呂場のカビキラーの待ち時間に書いています。

論文原稿を出すまでの道のりは、本当に私は好きなんです、珍しいかもしれません。
内容も、見栄えの体裁も、どちらも少しずつ書いていくので、積み木か丁寧に積み上がっていく感じがするんです。

ただその積み上げるパーツが、実はもっと良いパーツがあるのかもしれないとか、このパーツを土台に持ってくるのは一般的ではないかもしれないとか、そもそも積み木の積み上げ方が普通じゃなくて笑われないかとか、そういう不安が漠然と襲ってくるのだけが、苦しいんですよね。

その不安の種をもっと探すと、誰かが「こうすべき」と押し付けているようなもの(orと、私が勘違いしている)に対し、起きていることがあると思っています。

誰にでもある、ストレスかなと思います。

ただ自分自身が、「それでも、私は今のベストを尽くした、私の中では進歩している、積み上げたものでダメなのであれば、次の機会にまたより良いものを積み上げればよい」と思えるかどうかで、このストレスの影響は大きく変わるかなと思います。

例え話で意味わからなくさせたかもしれませんが、実際成功するには失敗はするものなので、たとえあらかじめ知っていて、回避できると思っていたような失敗(今回の場合は問いの設定の広さと、スケジュールミスかな)でも、次は多分同じようなミスはしないように徹底して心がけるので、もう送った原稿がダメであっても受け入れます…。

と、完璧主義の不安に殺されそうな自分を自分でなんとかなだめたところで、お風呂掃除を再開して今日はゆっくり休んで、また研究に戻ります。いやーーーーでもやっぱり色々反省ーーーーー!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?