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窓と生活、大人になるということ

今回のnoteは小川によるエッセイ。
通学の電車からどこか遠くまで。

走る電車の窓に映る景色は川のようでいて留まることを知らず、それが夜中であればなお、光の残像が泳ぐ魚のようにゆらめいて綺麗でした。この時期の電車は、新年度を迎えた社会人や学生でごったがえして、行きも帰りも変わらず混んでいます。あれほど終わってほしくないと願った長期休みがあっけなく終わりを迎えて、早くも学校に通うことに慣れてしまって、とても良くない。こうして季節が回ることに慣れてしまっては、いつか自分の失って来たものの実感がなくなる、それ以上に、失ってしまったことすら忘れてしまうのだろう、と予感しているからです。

2023年4月、街の風景や周囲の人たちの様子ばかり気にしています。ふと視線を上げると、向かいに立っている人と窓越しに目があってしまい、どうにもやるせなくて窓の外に意識をやるのですが、気づけばまた反射する人たちの観察をしています。景色は流れるけれど、反射する人々は同じ窓にとどまっている、このことに意味を見出したい、とふと思いました。満員電車に揺られながら、

阿部芙蓉美のエイトビート・サッドソングを聴いていました。「なんかわかんないけど泣けちゃうの」と彼女は歌い、アルバムでは、いつかまた微笑み会える日が来るまでという曲につながるのですが、出会いや別れを歌った両曲の収録されたアルバム『沈黙の恋人』は、今日までの私にとって(なんと言い表せば良いのか困ってしまうほどに)思い入れの深いアルバムです。

2020年4月、もしもこの時このアルバムに出会っていなければ必ず、わたしは別の何かになっていたと思います。思春期をやり過ごすことは、嵐や台風の中、学校に閉じ込められるのと同じことです。高校の時、同級生の男の子の目を見て、春の嵐のようだ!と思いました。思春期のもたらす変化は、目まぐるしく、やがて竜巻となり嵐を巻き起こすのです。

「何もかも捨てて仕舞えば君の瞳の中に旅立てるのに」と彼女が歌いました。そして、「息もできずに泣く 大抵のことなら 上手くやれるようになる」。私たちが大人になるうえで必要なのは、何かを失うことなのでしょうか。心ごと全て無くしてしまうことは、とても寂しいことだと思います。


「何もかも捨ててしまおう」
君とあの海  より/ 阿部芙蓉美

電車のドアが閉まって、走り出した電車にはまだ見ぬだれかがいるのでした。満員電車はすでに窮屈で降りてしまいたいけれど、目的地に向かわねばならないので、そうもいきません。顔を上げて、流れる景色を見て、留まることも進むことも私は自分自身で選ぶことができるのだ、と確信したのでした。

どこか遠くへ行ってしまいたいと思っているうちは、少なくともこの切符を握りしめているのだと思います。


ポケットに入れた切符がやわらかくなるまでひとり春を寝過ごす
/ 岡野大嗣


(文責:小川)

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