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「1から場所を作る」 出張料理人 ・武田和弘

OPEN MAGAZINE "Interview"では、「場づくり」に焦点をあてて、その領域を担う人物にインタビューを行うことで、未来へのヒントを探ります。

今回は「料理で人を笑顔にする」を信念に掲げ、出張料理人として活躍されている武田さん。お弁当の販売やケータリングを通して、お腹も心も満たす料理を届けています。某有名レストランなどで研鑽してきた武田さんは、なぜ出張料理人として生きていく道を選んだのか。その訳にはある特別な想いが詰まっていました。

厨房から見えない景色

-- 早速ですが、料理に興味を持たれたのはいつ頃でしたか?

武田さん:僕が高校生の時なので、20年程前になります。

当時、新宿にある割烹料理店でアルバイトをしていました。今の立場でこの話をすると「早くして勉強熱心ですね」なんて言われますが、実は、料理に興味がないまま、ただの憧れだけで飛び込んだ世界だったんです。

-- つまり、料理に興味を持たれたのは偶然だった、ということでしょうか?

武田さん:そうなんです。話せば長くなりますが、働き始めた頃は、洗い物ばっかりさせられていました。その時は料理人を目指していなかったので、苦ではなかったのですが、一緒に働く先輩方がすごく怖くて。今だから言えますが、手を出されることもあったので、何度も辞めようとしました。

ですが、ある時「武田!料理を運べ!」と言われて、厨房の外に初めて出たことがありました。その時にいつもとは違う先輩方を目にしたんです。

僕の目に映ったのは凛とした表情でサービスするクールな先輩方でした。そこには料理を食べて、幸せそうな笑みを浮かべているお客様もいて。「これがプロの仕事か」と感動したんです。そんな先輩方を見て、素直に憧れました。

-- なるほど。料理人を目指したきっかけの出来事ですね。そこからどのようにしてキャリアを築かれたのですか?

武田さん:高校卒業後と同時に割烹料理店を辞めて、ホテルの天ぷら専門店で15年程働きました。その後は、得意料理が天ぷらだったので、それを活かそうと蕎麦割烹料理店で働くことにしました。

「辞める時は、独立する時だ」なんて意気込んで働き始めましたが、途中で自分が本当にお店を持ちたいかが分からなくなってしまって。そんな中途半端な気持ちで働く自分にも嫌気が差して、7年経ったタイミングでお蕎麦屋さんを辞めることにしたんです。

-- そうだったのですね。辞めた後の進路は決まっていたのですか?

武田さん:実は全く決まっていなくて。しばらく途方に暮れていましたが、ある時、僕のフェイスブックに先輩からメッセージが届いたんです。

「武田さん、今何されてますか?」「ケータリングを手伝ってもらえない?」

突然のことでしたが、時間だけはあったので「手伝います」と即返信しました。

当日のケータリング会場は、美味しい料理で満たされた人達の笑顔で溢れかえっていました。その時見た景色は、今でも忘れられなくて。あれは厨房からでは見ることのできない景色でした。

その日を境に「人を笑顔にする料理人」を目指すようになって、出張料理人としての働き方も模索するようになったんです。

コロナが追い風になった

-- その時見た景色で目指すべき方向性が明確になったのですね。出張料理人とは、具体的にどのようなお仕事なのでしょうか。

武田さん:僕はケータリングや撮影場所に卸すロケ弁づくり、あとは個人宅で料理を作ることが多いです。基本的には何十人、多くて何百人に対して料理を作るので、食材の調達から、調理場の確保、運搬まで全部をやらなくてはいけません。

実店舗も持たず、無所属の料理人が食べていくのはとても大変で。僕も最初の1年目は全く仕事がなかったです。

-- 相当な苦労があったとお察しします。武田さんは、お弁当の販売も行っていますよね。突然ですが、なぜお弁当だったのですか?

武田さん:お弁当は料理人としてのキャリアを全て詰め込める場所だと思ったからです。自分のお店を持ってる人は、これまでの経験やこだわりをお店に詰め込みますよね?それと一緒で、僕はあの小さなお弁当に全てを詰め込んでいるんです。

-- それはとても面白いですね。では、コロナで受けた影響についても教えてください。武田さんの活動にも支障が出たかと思いますが、これまでどのような苦労があったのでしょうか。

武田さん:実は、あまり支障を受けていないくて。大規模なケータリングはなくなりましたが、身内でやるような小規模のケータリングや個人宅にでの出張料理は随分と増えました。

「誕生日を祝うための料理を作ってほしい」とか「外食はできないけど、家で美味しい料理が食べたい」とか、こういった声を掛けてくださる方が多かったです。

-- そうだったのですね。武田さんの活動においては、コロナが追い風になった、と言えるかもしれませんね。

最近は、日常に贅沢を求める人が増えたように思います。武田さんの料理がそういったみんなの想いを満たしているように思いました。

料理で変わる場所

-- 今、取材場所としても使わせていただいている「食スタイルLab」ですが、ここはシェアキッチンですよね。ここで武田さんも間借りされているのですか?

武田さん:そうなんです。僕は毎週土曜日に間借りして、お弁当の販売を行っていますが、他の曜日にも違った料理人が立って、様々な料理を振る舞ってくれます。食好きな方なら、いつ来ても楽しめる場所になっていますよ。

僕にとっては料理人として刺激をもらう場所にもなっています。ここで間借りをされている方で「普段はデザイナー、週末だけ餃子職人」なんて方もいます。これまで料理人一筋で生きてきた身としては、他のキャリアを経験されている方との交流はとても勉強になるんです。

-- なるほど。お話を聞く限り「同じ場所でも人が変われば違う場所になる」そんな印象を受けました。

武田さん:「同じ場所でも人が変われば違う場所になる」というのは、仰る通りだと思います。

当然ですが、どんな料理を出すかで来てくれる方も違ってきます。なので、必然的にその場所の雰囲気とか、空気感が変わってくるんですよね。そういった意味では、その場所には似た者同士が集まりやすく、お客さん同士が意気投合するケースも少なくありません。

前提として、僕に会いに来てくれる方は、美味しい料理を求めています。「どんな場所にしたいか」と考える前に、まずは来てくれる方々の「お腹も心も満たせる料理」を考えますね。ベストな料理を出すことができれば、結果的に思い描いてた場所になると思っています。

-- たしかに。とても納得感あるお話でした。武田さんは料理を食べてもらった時、「美味しい」以外に言われて嬉しい言葉はありますか?

武田さん:「また来ますね」が一番嬉しいですね。あとは「苦手だったけど、食べれました!」も嬉しいですよ。その食材の魅力に気づかせることができたことは、料理人として誇らしいことですからね。

再確認した魅力

-- 最後に、武田さんが今後挑戦していきたいと思っていることについて教えてください。

武田さん:実は、自分のアトリエを持とうと考えています。色んな場所を見ていくうちに「やっぱり場所を持ちたい」と思うようになりました。

これまで、出張料理人としてケータリングや間借り営業を行い、1から場所を作る経験を積んできました。次の挑戦で言うと、自分だけの場所を0から生み出すことになるのかもしれませんね。

エリアは絞っているので、これから物件探しに入るところです。少し気は早いですが、新たな場所をつくることに、今とてもワクワクしています。

武田 和弘〔TAKEDA KAZUHIRO〕

東京都出身。割烹料理店でのアルバイト経験を機に、料理の世界に興味を持つ。その後、天ぷら専門店で働き、和食を中心に学ぶ。料理人として研鑽を積み、現在はフリーランスの出張料理人として、撮影用の料理監修、ロケ弁の提供、企業の食堂やケータリングを通して手料理を振る舞うなど、多角的に活躍されている。

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『食を中心に日常生活を少しハッピーにするローカルな仕組み作り・サービス提供』をミッションに、2020年7月2日にオープン。シェアレストランとして、様々なPOPUPイベントを開催している。

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