Psychiatrist小松知己

アルコール依存症者支援を主とする援助職で、反復性うつ病当事者でもあり、依存症者・統合失…

Psychiatrist小松知己

アルコール依存症者支援を主とする援助職で、反復性うつ病当事者でもあり、依存症者・統合失調症者の家族でもありました。著作『本とうつ病と私』(単著)、『ぼくらのアルコール診療』(共編著)、『あなたの飲酒をコントロールする』(共訳)など。読書・映画・おうちYogaが好きな おばちゃん。

最近の記事

忘れられない映画 ①

おそらく、ほとんどの日本国住民は「忘れられない映画」「思い出の映画」を1本とか2本は胸に秘めていると思う。コマツにもあります、そういう映画。 前回 書いたように「映画チラシ保存帳」をパラパラとめくっていくと、その映画を観た時の感情とか感慨とかだけでなく、観ながら食べたものの味とかまで思い出すこともある。 たとえば『セメントの記憶』というドキュメンタリー映画。 2019年7月15日に桜坂劇場で観ました。これは、「中東のパリ」と呼ばれるベイルートで摩天楼を建設しているシリア人移

    • 映画との再会

      2016年1月1日。再婚したツレが仏門に出家して、その2週間後に愛犬もも が急死して、ひとりになって、また映画を観始めた最初の日。 最初の映画は『スター・ウォーズⅦ』。なんか思いっきりスッキリしたかったんだよね。で、お約束通りの展開でなんだか懐かしくて、「あ~、また映画を観て良かったな」と思った。 それから次に観た映画が『セバスチャン・サルガド~地球へのラブレター~』で、これは桜坂劇場で見たのだが、いつも通りの展開ではない、深く深く胸に迫る映画でした。コマツの「映画チラシ保存

      • 「うつ病」の再発を防ぐ安全装置

        コマツはうつ病エピソードを社会人になってからでも3回繰り返したし、高校時代の不登校(高校1年の3学期は全休→高校2年の4月から何とか再度登校できるようになった)の際も抑うつ状態だったのは確かなので、筋金入りのうつ病体験者です。 で、『「薬だけ」ではうつ病は治らない』(23/07/03)にも書いたけれど、移住して働き方を変えることで、寛解に持っていくことができた。今は、抗うつ薬も睡眠薬も内服せずに、まずまず仕事も趣味も楽しめる生活ができている。 なんですが、つらつらと振り返ると

        • 子どもは親をよく見ている

          さて。 札幌時代、なぜあそこまで「正職員」にこだわったかな、って振り返ってみると、母の経験を身近に見ていた影響が大きかったのかな、と今は思う。 亡母は、一家で鹿児島に移住するまでは正職員の私立高校教員で、一家の大黒柱だった。亡父は、大学院生をやりながら非常勤の高校教員をしていた。その頃の父は、けっこう育児・家事をしていたらしい。『おまえのオムツもよく替えたよ』『おまえの保育園の送迎を原付バイクでしていたけど、1回おまえを落っことして、保育園から慌てて来た道を戻ったことがあった

        忘れられない映画 ①

          「薬だけ」では うつ病は治らない

          コマツの うつ病エピソードは、4週6休で病棟・外来を担当して日当直もある病院の正職員だった時期には3回もあった。最後のエピソードの時は、急性期にも半日の外来診療を続けた事など諸般の条件が重なって、当直をしたり時間外の研究会参加ができる状態までは回復しなかった。40代を「9時5時オンナ」で過ごした。 そこで、再婚したツレにくっついて移住する時に考えました。正職員であることにこだわるのはやめよう、って。思い切って、週4日32時間の常勤パート職員として採用してもらった。札幌時代も行

          「薬だけ」では うつ病は治らない

          人間は走るために生まれてきた

          以前からずっと思っていたこと。「人間のどんな体の部位でも、使い過ぎ・無理(人間の生理に反すること)で起きる故障は、その使い過ぎる生活を変えないと、結局は治らないんじゃないか」 コマツは学生時代からハイヒールを履かない主義だった。だって、あれって、現代の纏足でしょ? どう考えたって身体に悪いよ。足のアライメントも背骨のアライメントも崩す靴ですよ、あれ。なので、「ごく普通の」運動靴か、「ほぼペッタンコの」サンダルを履いていた。ずっとです。 ところが、両足に鶏眼ができ、だんだん外

          人間は走るために生まれてきた

          思ったことを何でも書いてみる

          本との出会い、著者との出会いって不思議だ。 例えば、内田 樹先生の場合。 コマツは、内田先生とは公に認められた師弟関係にあるわけじゃないけれど、「ウチダタツル」なぞと呼び捨てにはできない尊敬の念を持っているのです。でも、内田先生の本を熱心に読むようになってまだ、10年にも満たない。コマツの場合は内田先生の編・共著『9条どうでしょう』が始まりだった。 Amazonの購入履歴をみると『9条どうでしょう』を購入したのが2013年4月23日で、医局の本棚最上段に1年半程 置きっぱな

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