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パイロットは忙しいのである

最近管理職になって仕事が忙しくなった銀行員の姉が
「パイロットの仕事って、どうせ楽なんでしょ。自動操縦にしたら、やることないんでしょう?」
 という。楽でいいわよね、優雅よねパイロットは、と言いたいらしい。
仲の良い旧友でもなかなかここまで言いたい放題に言ってくれないので、「なるほどこれがパイロットの仕事のイメージか」と思ったものだ。
 当然であるが、パイロットの仕事はそんなに楽ではないし、暇ではない
 
 パイロットの仕事は、会社が計画した飛行計画の承認から始まる。会社の運行管理者が、その時の天候などを考慮して計画したものをパイロットの目で見て検証し、承認する作業である。飛行機が出発する1時間前くらい前に、機長と副操縦士は会社のパソコン端末の前で落ち合って「よろしくおねがします」って挨拶をして、2人で仕事を開始する。どの高度が揺れないとか、空港の視界や風の状況などの気象の解析から、空港のどのライトやレーダーが使えないといった航空情報の確認、各便のお客さんの人数と燃料の調整等々、本当はもっとあるんだけど、とても全部は説明できないくらい色々な事を考えている。
 天候の概略の把握と、航空情報の確認で5分から10分くらいかかるので、その後の各便の高度の選定と燃料の検討を10分から15分でやらなくてはいけない。パイロットはどっかに1便だけ行って終わりではない。往復だったり、多い時には3便、時には4便もあったりする。そうすると1便につき3分から5分で決めなくてはいけない。だから最初から〆切に追われた状態で仕事開始なのである。いきなり全開フルパワーが要求される。
 仲の良い機長と副操縦士が久しぶりにあっても
「久しぶり、元気だった?」
「元気でしたよ。バリバリですよ〜」
 なんて二言三言話した後は、ずっと血走った目で画面見ながら必要なことしか喋らない。手早く終わらして早く飛行機にいって準備をしなくてはいけないと思ってる。
 
 ここまでの飛行計画の承認手続きで20分とかかかると、出発までは40分しかない。大きな空港だとこれではもう出発に間に合わない。だから大きい空港は10分位前に早めに仕事を始める。小さい空港でも、事務所から飛行機までは5分では行けない。エスカレーターを上がって、お客様同様にX線検査機も通る必要がある。従業員専用レーンがない空港だと、お客さんが並んでいるのに「申し訳ありませんが、間に入れてください」と横入りをさせてもらう。申し訳ないな、といつも思っている。横入りはダメだって次男に教えたのではなかったのか、とも思っている。
 その後も時間がないので、とにかく早歩き。せかせか歩く。いくつかドアがあり、そこにはセキュリティー用の暗証番号があるのだけど、当然全部覚えておいて一発でささっと通らなければいけない。そこでも「番号なんだっけ」って、もそもそしている時間はない。これも当然だけど、空港ごとに暗証番号は全部違うので、その日に必要なものは記憶している必要がある。
 飛行機に到着したら機長は飛行機の外部点検を行い、副操縦士はコックピットでコンピューターに飛行経路の入力などをしている。その間、客室内では清掃と飲み物や食事の搭載があり、狭い通路を清掃員や飲み物を積んだカートが行ったり来たりしている。それらが終わる頃を見計って、CAとの次の便の打ち合わせがある。離陸して何分経ったらどれくらい揺れるから、それまでにサービスを終わらせて欲しい、とかなんとか言う。飛行機の大きさにもよるが、出発の20分から30分前までには全部終わらす必要がある。この間、ほとんど分刻みで動く必要がある。

 当然であるが、上空も忙しい。
心無い姉は「自動操縦でぼーっとしてるんでしょ」と言ったが、当たり前だがパイロットは上空で、自動操縦を入れて「ぼー」っとはしていない。そんな事をしたら、飛行機が落ちる。
 確かに自動操縦は使う。離陸したら1〜2分で入れて、着陸2〜3分前に解除が普通だが、これらは自動操縦を入れて楽をするためではなく、自動操縦で操縦という作業を機械に任せて、他の事に意識を集中しているのである。他の事とは、管制機関と交信したり、雲を避けたり、揺れない高度を探して高度を変えたり、キャビンのサービスの進行状況を気にしたり、他の飛行機がどこにいるのか探したり等々たくさんあるのである。
 上空での作業の忙しさを伝えるのは難しい。パイロットになるには、長い訓練が必要だ。その訓練のほとんどが、早く正確に作業できることを求められている。機長から副操縦士を見れば「遅い!トロい!」と思っているし、初期課程のプロペラ機の訓練生が一番最初に学ばなければいけないのが、飛行機の操縦に要求される「速さ」について来られるようになるか、という事だと思う。もちろん、操縦の上手さ、柔らかさというのはあるけれど、飛行機を操縦する判断のスピードについて来れなければ、パイロットにはなれない。だから、上空での作業量の多さを説明するのには、長年やってきた情報処理のスピードを上げてきた歴史を逐一説明する必要があり、難しい。
 だから、もっと感覚的に説明がしたい。何かの本で、とあるベテランパイロットが「仕事をしているときは、自分がタコになったような気がしている」というような事を言っていた。たくさんのスイッチを操作しながら、あるいは指示をしながら飛行機の操縦をするので、常に同時にいくつもの作業を並行してやっている。そうしていると、本当は手が2本しかないはずなのに、頭の中ではあたかも何本もの手が動いて操作、操縦しているイメージになるのである。
 僕が副操縦士に上がった時の、おじいさん機長が言っていた事は「飛行機はね、もぐら叩きなんだよ」である。これは操縦の話ではなく、危機管理の話である。航空機を運航していると、常にいろんな難題が降りかかってくる。それらのことを放置しないで、その兆候が見えた段階で「おりゃ」っと頭を叩いて、その問題が大きくならないようにする。兆候を見つけるのが遅かったり、叩く順番を間違えたりすると、どんどん問題が大きくなって対処が難しくなる。だから、パイロットは常に問題の兆候を探している。何もない平穏な時でも、「あーなったらどうしようかな、こーなったらどうしようか」とうんうん考えている。
 タコになったつもりで手を動かしたり、常に頭を使ってうんうんうなっているので、お茶をゆっくり飲む暇もない。意識して水分を取らなきゃと思わないと、十分な水分が取れていないことがある。朝用意したペットボトルがほとんど減っていないこともある。それでなくても機内は乾燥している。

 以前、どこかの番組で「パイロットのカバンの中は?」みたいなのがあった。よくあるやつだ。
 案内役のコパイが出したのは、ライセンスや手袋、ヘッドセットなど一通りのあと、オシャレなお菓子とコーヒーの携帯用フレンチプレスだった。ゆっくり美味しいコーヒーでも飲もうというつもりらしい。この時点で、この副操縦士は経験が浅いな、と思った。パイロットの仕事に夢を持ちすぎているようだ。上空で優雅に美味しいコーヒーを飲む?そんな余裕はない。それに、コーヒーは精神を落ち着かせるのには役立つが、水分補給には向かない。
 番組では、その後機長の持ち物検査になった。機長はもっと実践的で、ミネラルウォーターとハチミツ飴を出してきた。そうだろ、そう来なくちゃと思った。水分補給は水だよな、と賛同する。飴に関しては、プロポリス入りのハチミツ飴は乾燥する機内にはちょうど良いそうで、確かにそれも良いかなと思った。勉強になります。僕の今の飴はビタミンC入りである。
 飛行機の操縦は、忙しい。というか、闘いに近いと思っている。闘いというと、なんかかっこいいものに見えてしまうが、言いたいことはそうではない。汗水をたらして苦闘をしているということである。焦って、ドキドキして、汗をかいて、喉が渇いて、それも気が付かない位忙しいから、水分補給を意識的にして、そうやってパイロットは飛行機を操縦している。その副操縦士が機長になる時は、持ち物が携帯用フレンチプレスからミネラルウォーターに代わっているかもしれない

 ん?と、ここまで書いてしっくりこない
 先輩方の表現を借り、他社番組のコパイにケチをつけてまでしたのに納得できない。これは僕の表現ではない

 なので、失礼な姉との会話を続ける
「上空で暇?暇なわけないよ、忙しいよ、スゲー忙しいよ、忙しすぎて水も飲めないよ!」
「水も飲めない?水くらい飲めは良いじゃないのよ!」
「そんなガブガブ飲めないよ、トイレが近くなる」
「トイレだっていけば良いじゃないのよ!」
「そんな簡単にいけないよ!コパイに1人で操縦させたら怖くてしょうがない。速攻で戻りたいよ!」

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