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忘れたいのに、忘れられない。 記憶の引き出しにしまう前に試してみて欲しいこと



はぁ。


“ため息をつくと幸せが逃げる” とよく言いますね。でもこれって、体にはとても良いことだってご存知でしたか?


ため息は、バランスが崩れた自律神経の働きを回復させようとする、体の作用。いわば、機能回復のためのリカバリーショットといえます。

本当に大変な状態の時、人はため息もつけないそうです。なので、ため息をつけるということは、まだ少し体に余裕があるということ。

でも気をつけて。
美しいものを見た時などに出る場合を除いて、ストレスがかかっているのは間違いないそうなので、身体からのサインにちゃんと向き合うことが大切だそう。


体がしんどい。
心がしんどい。
そんな時は自身で原因を深掘りするのは苦しいかもしれません。
大人は特に見て見ぬふりをしがち。
自分の傷には目を向けない。
それが内省的なものであっても、自分で生み出した傷の元を探っていけば、きっかけは他人から受けたものが多い。だから探りたくない。
思い出してしまうから。



突然ですが、「お釈迦様と悪口男」というお話をご存知ですか?



悪口を言われたら、それを受け取ってはいけない


受け取らなければ、それはあなたのものにならない。そんな話です。
私は幼稚園の時にそのお話を聞きました。
幼い私はピンと来なくて、ぼんやりと聞いていた。でもずっと記憶に残っていた言葉でした。



言葉には形があるように思う。
愛を含む言葉はふわふわ丸く温かく、溶け込むように優しく積もる。
その反対の言葉には鋭くてトゲがある。それがどんなに軽くて、小さくても奥深くまで刺さってしまうから簡単にそのトゲを抜くことは出来ない。

私が思うに人は傷つくような出来事があったとき、脳の一番浅い手前の引き出しにしまっておくのではないかと思う。
すぐに取り出して捨てられるように。

だけど、簡単に取り出せるが故に何度も取り出し、眺めては自分を刺して、再びしまってしまうのではないか。

一度だけ付けられたはずの傷を、自分で何度も確かめてしまう。
そしてその度に後悔して、その引き出しの次の引き出しへ。下へ下へと見えないように奥へとしまい込んでいく。
もう簡単には捨てられない場所へ。
自ら移動させてしまうのではないかと思う。

きっと一番初めが肝心だ。
向けられたその言葉を、引き出しへしまわずに、そのまま送り主へ返すのだ。
許せなかったり、ガッカリしたり、そこに紐付いた感情とともに記憶に残ってしまえば、絡まった糸が自分を縛る

記憶に残さないという選択肢がある。



もしも受け取ってしまったならば、今すぐに潔く捨ててしまおう。取り出して眺めてはいけない。ポイっと投げて、宇宙の彼方に捨てるのです。

でもどうしてもまだそこにあって痛いならば、ちゃんと泣きましょう。

子どものころ転んで泣くのを我慢していた私に母が言った。

「痛かったら泣かないと。痛がっていることに気付いてもらえないよ。」



我慢しないで欲しい。
大人だって痛い時がある。
昔の人は傷ついた分、人は強くなると言ったけど、私に言わせればそれは都市伝説だ。強くなったふり、気にしないふりが上手になっただけ。強くなったなんて気のせいだから。


要らない荷物は捨ててしまおう。


私たちは きらいなものを見つめるよりも、すきなものを見つける、それだけの旅に出よう。
記憶の引き出しには、それらだけ詰め込んで行こう。

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スヌーピーの作者チャールズ・M・シュルツの言葉


あなたに必要なのは愛だけ。
…でも、ときどき、ちょっとチョコレートがあるのは構わないけど。


数年前に旅立った母が教えてくれた。
スヌーピーは哲学だと。
私にとって人生の先生は母だった。

昨日は母の日。
あなたを思い出してちょっとだけ泣いたけど、痛かったわけじゃないよ。
ただ少しため息をついただけ。
会いたくなっただけ。







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