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片葉の清水と愛馬香月【岩手の伝説⑤】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館


人皇第七十代、後冷泉天皇の、康平三年、即ち前九年の役に、

衣川の舘で敗れ、厨川柵を最後の地として拠守した安倍貞任を、

遂に火攻めの奇計を以て破り、貞任を誅し、弟宗任等を捕らえて、

陸奥(むつ)の乱を平定した源義家は、都に帰るべく、

名馬香月に打跨り、意気揚々として、今の小山字柴山にさしかかりました。


※人皇・・・じんこう、にんのう、じんのう。神武天皇以後の天皇のこと。その前の時代は日本神話では、神が治めていたといわれているので、神々に対して人の天皇のことをいう。

※後冷泉天皇・・・ごれいぜいてんのう。平安時代の第七十代天皇。在位中の元号は、寛徳、永承、天喜、康平、治暦。

※前九年の役・・・平安時代後期の、陸奥国(東北地方)で起こった戦い。永承六年から康平五年まで。源頼義らの軍が、陸奥国の豪族安倍氏を滅ぼした。名称や期間は諸説あり、奥州十二年合戦とも呼ばれる。様々な伝承が残る有名な戦い。

※厨川柵・・・くりやがわのさく。安倍氏の拠点。今の盛岡市。

※安倍貞任(あべのさだとう)、安倍宗任(あべのむねとう)


そこの路傍に、周囲二十間許りの池が、芦を水面に映して静まり返っていました。

※間・・・けん。長さの単位。一間は約1.82メートル。

※許り・・・ばかり、~くらい、~ほど

陸奥を平定したのも、この香月の力によるところが誠に多いし、連日の行軍でさぞ疲れたであろう、いで心ゆくまで飲むべしとして、この池に名馬香月を進められました。

※いで・・・さあ、どうぞ。促す言葉。

馬は池の静けさを破って、一しきり水を飲んでいましたが、やがて頭を上げて高々と嘶き(いななき)、義家の情に感ずる如くでありました。

この時義家は、馬上より池に向って、

「吾(われ)、この池に多生の縁ありて愛馬を労わるを得たり、陸奥鎮守府将軍として身に徳あらば、明年より池の芦、尽く片葉となるべし。」

※多生の縁・・・前世で結ばれた縁。

と申し残され、颯爽として馬を進められたのでありました。

その翌年より、不思議にもこの池の芦は悉く片葉となって、義家の仁と徳とは、地方の豪族は勿論、草木すらなびくのでありました。

この池、これが現在(当時)小山字柴山、東堀切小学校前方、約一丁の田圃(たんぼ)にある、片葉清水だと言い伝えられます。

周囲二十間もあった池も、今は埋もれてわずかに十二尺、ただ片葉の芦のみ四五本が残り、八百年前の史実を物語り、顔に風にそよいでいます。


※片葉の芦は実際に日本各地に生えており、不思議なものとして様々な伝説が言い伝えられている。