御種の松【岩手の伝説⑨】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
今を去る三百七、八十年前、当時の領主によって御種松(おたねまつ)が植えられ、その善政でわが村も、いたる所に人家が見られるようになりました。
しかし、そこここの林という林は、用材や薪炭材(しんたんざい)として、
頻りに(しきりに)伐採されましたが、植林はしなかったので、果ては切株さえ掘り起こされるようになり、再び蝦夷時代の草原を思わせる有様になりました。
領主は一日領内を見廻りましたが、この様子を見て大いに驚き、早速領民に対して濫伐を戒め、極力植林を奨励されました。
※濫伐・・・らんばつ。乱伐と同じ。将来計画もなくむやみに森や林の樹木を切ること。
中にも領主自ら、御種松と称し、松を植えられました。
今の当笹森の鈴木亀之亟氏(現、鈴木東吾氏)の所有地、
字前館の斎藤新三郎氏(現、斉藤兵一氏)の所有地、
字方八丁の小野寺正五郎氏(現、小野寺忠雄氏)の所有地、
字北峠の佐々木林左ェ門氏(現、佐々木健夫氏)の所有地、
字後嘉藤の小野寺安兵衛氏(現、小野寺輝男氏)の所有地、
等それであります。
これは今ならば保安林ともいうべきもので、領主は御種の松と称し、決して伐採を許しませんでした。
勿論これを伐採すれば重い罪科に受せられたのであります。
かくして二百幾年かは、御種の松と称して手を触れるものもありませんでしたが、その後、一ヶ所伐り、二ヶ所伐りして、ついに四ヶ所とも伐採され、残されたのは只一ヶ所、当方八丁(ほうはっちょう)の御種松のみとなってしまいました。
不思議にも、何故にこの松のみ残されたかでありますが、それには奇なる物語が傳え(つたえ)られているのであります。
およそ百五十年前、天を摩すこの御種松を伐採しようと、近所の杣人が集まりました。
※天を摩する・・・てんをまする。天に接するくらい高い。
※杣人・・・そまびと。木こりのこと。伐採、造材に従事する人。
やがて根元に斧が振り下ろされた時、その度に木片が四方に飛んで、間もなく白い木目が斜めに見えるまでになりました。
この時驚くべし、その斜めに見える木目より、淋漓として鮮血が流れ出たのであります。
※淋漓・・・りんり。したたり流れるさま。
この有様を見た杣人はいずれも「アッ」と驚き、ただ呆然としてその老松を仰ぎ見るのでありました。
この時一人の杣人は、
「年代を経た御種の松だ。きっと木精があろう。
これを伐るなら或いは祟りがあるかも知れん。無暗に伐るのはよそう。」
※木精・・・もくせい。こだま。樹木に宿る精霊。
と言い出したので、いずれも恐ろしくなり、そのまま伐るのをやめ、血染めの松として残されたのでありました。
この御種松も大正十二年、伐られてしまいました。
この松の樹齢は三百五十年とかのことですから、それが真実とすれば、先年伐られる時はすでに枯死に近付いていたのであり、後したがって或いは、木精も去ったのでしょうか、別に伐る時も不思議は見られなかったと言われます。