ツブ沼の怪【岩手の伝説④】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
昔々、市野々※の近くに、八郎という若者がありました。
※いちのの・・・奥州市胆沢の若柳地域にある地名。
その若者がようやく十五になった春、父と母は悪い病気にかかり、相次いで世を去りました。
兄弟のない八郎は、ポツンとただ一人この世に残されました。
十五になったばかりの八郎はあまり働きもできないので、雇ってくれる人もありませんでした。
八郎は仕方なく網を担いで川に行き、小魚や貝を捕っては近所や町に売って、細々とした生活を送っていました。
その八郎も二十歳になりました。
しかし父や母の亡くなった五年前と同様、生活は貧乏でありました。
二十歳といえばもう年頃なので、お嫁さんを迎えてもよいのですが、貧乏なためか、お嫁さんになってくれる人はありませんでした。
そして相変わらず魚介を捕ってきては、近所や町に売って貧しい生活を送っておりました。
或る日、八郎の網に大きなツブがかかりました。
五年間も漁をしている八郎にしても、見たこともない程大きなツブでした。
そう、釣鐘くらいの大きさは充分ありました。
その大きなツブを担いで、八郎は近所を売り歩きました。
しかし近所の人達は、その大きなツブを見て気味悪がり、買ってはくれませんでした。
夕方までかかっても、ついに買い手がなく、八郎は疲れて家に帰ってきました。
これでは仕方がないから、明日は町まで担いでいって売ろうと思いました。
早朝元気よく起きて、町に行った八郎でしたが、暗くなって家に戻った八郎の背には、朝家を出た時と同様、ツブが担がれていました。
町の人達も大きさに驚くだけで、買ってはくれませんでした。
仕方がない、この上は金持ちのたくさんいる秋田まで行って売ることにしました。
秋田に行くには、険しい山を登り下りしなければならないので、夜のうちに沢山の握り飯を作りました。
夜の明けるのを待ち切れず、八郎はツブを担いで外に出ました。
金持ちの多い秋田ではきっと買ってくれると思うと、八郎の足は自然と早くなりました。
かれこれ一刻※もきた頃、誰かくつくつ言っているのを聞きました。
※いっとき・・・昔の時間の単位で、約30分間。
誰か後から来たのかなと、八郎は立ち止まって後を振り返ってみましたが、誰もいませんでした。
八郎が歩き出すと、やはりさっきと同じように、誰かくつくつ言っているのです。
八郎は立ち止まって、辺りをぐるりと見廻しましたが、一人の人影もありませんでした。
不思議なことがあるものだなあと思いながら八郎が歩くと、どこからとなく、くつくつと人の声がするのです。
八郎はそれを繰り返しているうちに、そのくつくつの音は、背負っているツブであることに気が付きました。
それは確かに人が何か言っている声でありましたが、何を言っているのか八郎には分かりませんでした。
八郎は気味が悪くて、急いで背負っているツブを降ろすと、野原に投げ出してしまいました。
と、晴れていた空が急に暗くなって、大粒の雨が落ちてきたと思う瞬間、ごうごうと音がして大雨となりました。
その雨が見る見るうちに溜って、そこに大きな沼が出来上がってしまいました。
それから幾年後、都の人がその大きなツブのことを伝え聞いて、見せ物にしようとやって来ました。
かのツブを捕ろうと沼に網を入れると、沛然※たる雨になりました。
※はいぜん・・・雨が勢いよく降る様。
都の人は諦めてその日は帰りましたが、翌日また網を入れましたが、やはり雨になって駄目でありました。
そんなことを繰り返しているうちに、誰言うとなしに、雨の降るのは、その沼の主になった大きなツブが捕らえられるのを嫌がって荒れるのだと、噂するようになりました。
都の人はツブのことは諦めて都に帰っていきました。
それからその沼のことを、みんなはツブ沼と言うようになりました。
そのツブ沼は、東西四百米、南北三百米、深さ十米と言われ※、不思議なことに、流水口がないのにかかわらず、四季を通じ水深が変わらないといわれております。
※米=メートル。正確な情報ではない。
沼の中には沢山のツブが棲息しており、今でも旱魃※の年は、雨乞いをする農民によって、ツブを怒らすよう、沼を掻き回す行事※が行われるそうです。
※かんばつ・・・干ばつと同じ意味。ひでり。
※現在は情報なし。
※ツブ・・・おそらく食用になる淡水タニシのこと。