悲恋の作神さま【岩手の伝説①】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
昔々ある所に、サワという美しい娘がありました。
顔が美しいばかりでなく、気立てもよく、それに利巧で働き者でありました。
そんな訳ですから、縁談は降るようにありました。
「あの娘と一緒になれないなら死んでしまう。」
などという、のぼせ上がる若者も十人も二十人もいました。
そんな果報者のような娘でありながらサワは、持ってくる縁談、持ってくる縁談をことごとく断りました。
これは良縁と、自信をもって持ってきた庄屋※の縁談にさえ、サワは首を縦に振りませんでした。
※庄屋(しょうや)・・・江戸時代の村役人。今の村長に当たる。名主ともいう。
それには訳がありました。隣居※のシゲクラという若者を密かに想っていたのでありました。
※隣居(りんきょ)・・・親子など二つの世帯が隣どうしに住みあうこと。二世帯住宅。同居と近居の中間。
シゲクラは容貌はあまり良いという方ではありませんでしたが、気立ての優しい力のある若者でありました。
去年の秋、神社の祭礼の夜、垣間見たシゲクラをサワは忘れられない人になってしまいました。
「私の生涯を托す人はこの人だ。」
と心に固く決めてしまったから、他の若者など見向きもしなくなったという次第でした。
そうこうするうちに吉日を選んで、サワはシゲクラを夫として迎えることになりました。
こうなると面白くないのは近所の若者連※ということになります。
※村単位に形成される青年男子の集団の一種。若連、若連中、若者組など、様々な呼び名がある。
「糞面白くもねえ、シゲクラをウンといじめてやれ。」
と、よくないことを相談してしまいました。即ち、
「一日に薪を千束取れ。」
「石のキザハシ(階段)百段造れ。」
「百八のノゾキ石垣(?)を造れ。」
「千尋のアク(灰)の縄をなえ。※」
などということでありました。
※1尋(ひろ)は、両手を左右に伸ばしたときの、指先から指先までの長さ。約1.5~1.8m。千尋は、きわめて長いということ。つまり無理難題をふっかけている。
※綯う(なう)・・・糸やひもなどを一本により合わせて縄などを作る。
そのどれをとってみても、人の力などではどうすることもできないものばかりでありました。
シゲクラはこうした近所の若者たちの要求を突き付けられると、青くなって妻の元へ帰ってきました。
サワは夫のただならぬ様子に心配しながら訳を尋ねましたが、シゲクラは自分の心配を妻にまで及ぼすのを怖れて、ただ何でもないと黙っていました。
しかし利巧なサワは勘づいていますから、しつこく尋ねました。
妻の親切にシゲクラは貝のように堅く閉じていた口を、涙ながらに開きました。
それを聞くとサワは微笑みながら、
「なんだ、そんなこと。」
と事もなげに言いました。
そしてシゲクラは突き付けられた難題を持ってくる度に、沢山の猿を連れてきて薪を切らせたり、近所の人達の知らぬ間に遠い国から人足※を連れてきて、石段を造ったり、新しい道具を工夫して使ったりして、ノゾキ石垣まではやりおおせてしまいました。
※人足(にんそく)・・・重い物の運搬など、力仕事をして生計を立てている人。
しかし千尋のあく(灰)の縄というのには、サワも困惑しました。
そして黙々と一昼夜も考え込んでしまいました。
妻のそうした難渋※の顔を見ると、シゲクラも心の痛む思いが募るのでした。
※難渋(なんじゅう)・・・物事がはかどらず苦しむこと。
俺のために最愛の妻に心配をかけさせる不甲斐なさに、臍を噛みたい思いでした。※
※臍を噛む(ほぞをかむ)・・・自分のヘソを噛もうとしても及ばないことから、後悔する、すでにどうにもならなくなったことを悔やむ、という意味。
サワはやがて膝を叩きました。
青ざめていた顔には紅色に血の色が浮かび、瞳には微笑みが出て参りました。
早速、千尋の縄をなうことにしました。
なえ終ると、それを唐金※の箱二つに分けて入れました。
※唐金(からかね)・・・青銅のこと。
そしてその箱のあたりに沢山の薪を積んで火を放しました。
蒸し焼きにしたのでした。
こうして千尋のあく(灰)の縄はできたのでした。
しかし二人は考えました。
次々とくる難題にうまくは逃れてはいるものの、いつかは行き詰る時があるかもしれない。
その時は殺される時だかもしれない。
いっそのこと今のうちにここを逃げて、どこかへ行って新しい家を造ることにしようと相談し、ある日、日の暮れるのを待ってその地を立ち去りました。
足の弱いサワを背負って、シゲクラは野越え山越え幾日、水沢の日高(地名)まで来ると、流石のシゲクラも疲労が激しく、サワを背から下ろすと、のけぞってしまいました。
サワは早速、井戸を掘って水を飲ませたので、シゲクラは元気よくなりました。
ところがサワは井戸掘りなどの重労働がたたったのか、急に病気になってしまいました。
シゲクラはサワを介抱しながら一生懸命、西に道をとって行きました。
止々井沼※まで来た時は、サワはもう青くなってその場にうづくまってしまいました。
※止々井(ととい)・・・岩手県奥州市にある地名。
一歩も歩けないというのでした。
止々井沼の主は、その有様を見て憐れに思い、病気の良くなるまで泊っていけと言いましたが、二人はなんだか村の人達に追われている恐怖に襲われ、じっとしていられないのでした。
シゲクラは渾身の力をしぼりサワを背負って歩くことにしました。
しかしそれも土橋(地名)までで力が尽き果ててしまいました。
サワは涙を流しながら、虫の鳴くような低い声で言いました。
「もう私はだめだ。
こうしていたら村の人達が追ってきて殺すだろう。
だからおれに構わないで早く逃げてくれ。
そして、初めの約束の家造りに必要な水を流すよう、これから更に登って行って、猿の遊んでいるノゾキ岩(猿岩)の所に住んで、家造りをして下さい。」
と。
シゲクラは涙ぐみながらサワをそこに葬ると、さらに西に向って登って行き、サワに言われた岩を発見して、此処に住むことにしました。
シゲクラは後日、サワを土橋の近くにある、胆沢川の川岸の白い岩の所に改葬しました。
シゲクラはサワの遺言通り猿岩に住み、作神様※となりました。
※作神(さくがみ)・・・農作の守護神。農神。田の神。
今でも夜になると、妻を慕って流すシゲクラの涙が川を流れて、サワの葬られている所に届くのだといっています。