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やっぱりここにはいられない

疲れた1年だった

とても疲れている気がする。
ちょうど一年走り続けてきた。
補助金の申請、採択から事業の実施、実績報告までやりきった。
でも、また同じような次がやってくることが分かった。

やり切って、一瞬ふっと力が抜けてしまったら、思いっきり脳内も醒めてしまった。
さすがに1年間ハイテンションでアドレナリン出しながら走り切ったから、落差がすごい。

まだこの状態は続くらしい

4月からは今以上に事業が増えるらしい。
今年度だって企画から調整、本番の直前の準備まではほぼ一人でやりきった。
今度もきっとそれは変わらないだろう。
いや、むしろ事業が増えるのだからサポートはもっと望めない。
この状態でまたアドレナリンを出せと言うのだろうか。

疲れているのは目の前の課題ではなく組織の問題

私はなぜ疲れているのか。
何に疲れているのか。

何をやっても変わらない現状。
やればやっただけ、まだできると思われてまたやらなければならないことが増えてしまう。
その繰り返しが見えるからだろうか。

何のためにやっているのか分からなくなるからなのか。

いや、本質的な課題解決に立ち向かおうとしても、そこをあえてスルーしようとしている姿の人が見えてしまうからかもしれない。
あと、20年後どうなっているか。
このままいられるとは思えないことはみんな分かっているのに。

もはや問題は目の前の課題ではなく、組織の硬直化だ。

やってもやってもの繰り返し

そう、ハムスターがくるくるあの滑車の中で回っているみたいに結局どこにも行けていない。
全力を尽くしたところで、また全力を振り絞るように要求されるだけで、何だか虚しい。
目の前の壁を潜り抜けようと走ってみるけれど、結局走るところを変えなければ何も変わらないのだ。

結論は二択しかない

組織を変えるか私が出ていくか。
どちらかしか選択肢はない。

組織を変えるには、同じ思いを持つ仲間が必要。
これは最低限であって、同じ思いは持つけれど、私にはできないことができる仲間がいると最強になれる。
もちろん私はその人ができないことをやる。
要は、私ひとりでは到底実現できないということでもある。

もう一つは、以前から宣言しているとおり、私自身がこの環境を抜け出すこと。
年齢的なこと、地理的なこともあってなかなか苦戦しているけれど、今のこの気持ちをバネにしてやるしかない。
とりあえず1日1分でも(さすがに1分は短すぎるけど)勉強するようにしている。
やっぱりここに戻ってくるのか。
やるしかない。

ただ疲れているわけにはいかない

今はきっと冷静になっている時間だ。
見ないふりをしていたわけではないけれど、ひとまず横に置いていた組織としての問題がくっきりと見えてうんざりしてしまっている。
このまま自分のエネルギーを吸い取られて枯渇させるわけにはいかない。
でも、自分を成長させることができればこの状況だってラッキーに変えられる。
この組織には疲れているけれど、私自身が疲れているわけにはいかないのだ。
冷静に、ローテンションでもエネルギーは手放さないでいこう。

このまま流されてしまわないように

疲れていると、全てが嫌になって、何もやる気が起きなくなるのは当たり前のことだ。
もちろん、休息も必要だし、休むことを悪とするわけではないけれど、単に疲れていることに飲み込まれたり逃げ込んだりすることは違うのかもしれない。
いや、疲れていることは自分の中に受け止めるとして、疲れているからといってこのまま現状に流されることのないように、自分の立っていたい場所を見失わないでいよう。

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