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みんな硝子の心を持っている


人はみんな、ガラスの心を持っている。
そのガラスが強化ガラスなのか、防犯ガラスなのか、三層ガラスなのか、薄いガラスなのか、模様が入っているのか、そんな違いはあるけれど、決して絶対に壊れないものではない。
割れたり、ヒビが入ったり、傷がついたり、それは誰でもあることなのだと、ある人が教えてくれた。


私がこの1年お世話になった上司はけっこうすごいで、人望も厚く、退職までのこの数日は会いに来る人が絶えず、贈り物が山のように積まれていた。
そんな上司がある人に発していた言葉をここに残しておきたいと思って書いた言葉がタイトルの通りの言葉。
今日は送別会で遅くなることは予測できたのに、記事のストックができてなかったのだけど、それはそれで幸いだったかもしれない。


フィジカルもメンタルも強いに越したことはない。
でも、身体は丈夫ですと言えても、メンタルも丈夫だと胸を張って言える人はそうはいない。
謙遜して、いや本心から自分のメンタルはガラスでできている、と表現する人はけっこういるのではないかと思う。
そういう人を見ていると、私だってそうだと言いたくなることがある。
私だって、テンパルし、パニクるし、傷つきもする。
そう、どんなに強く見えたとしても誰しも心はガラスのようなものなのだ。


それぞれのガラスがどんなことで壊れるのか、割れるのか、傷つくのか、それはガラスによる。
でも、どんなガラスも乱暴に扱っていいということはないし、永遠に壊れないという保証があるものでもない。
心も同じで、どんなことをしても壊れない人がいる、ということではなく、誰もが脆く傷つきやすい面を持っているはずで、誰もがその扱いは尊重されるべきものなのだろう。
至極当たり前のようなことであるけれど、何だか妙に納得してしまった。


だから、無理に自分自身を強いはずだと思わなくてもいいし、人は皆、丁重に扱われるべき存在であることを忘れてはならない。
どんな人でも、心が健康に過ごせるようにいられる権利がある。


みんな硝子の心を持っている、この言葉を聞いたとき、最後の最後までこの人には敵わないな、と思った。
業務上では異なる意見を述べさせてもらったこともあったけど、それは全てこの上司の手のひらの上で転がされて、言わせてもらってたのかな、と今となっては思う。

ありがとうございました。
まさか、こんなに早くいっしょにお仕事ができなくなるときが来るなんて思ってもみませんでしたが、いっしょにお仕事をさせてもらえてとても光栄でした。
私にはないものを持っていて、私には決してできないことができる人。
間違いなく、忘れられない上司の一人になりました。
これからの人生がますます輝かしいものでありますように。
たまに遊びに行きますね。


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