「敬」=世間から身を守る手段 【『左伝』『論語』に学ぶ】
魯の国の兵権を掌握していた季武子には後継者(=適子)がありませんでした。
この記事にある「適子無し」という表記から、正妻に男子が生まれなかったか、正妻がいなかったことがわかります。
側室が男子を産んでいても、正妻に男子が生まれないと史書には「適子無し」と記されるからです。
このような場合には、往々にして後継者争いで内紛が起こります。
血縁という絶対的基準ではなく、「才能がある」「徳がある」「人望がある」「親孝行である」といった相対的基準で後継者を決めることになるため、そこに争いの火種が生まれることになります。
『左伝』の記事をみると、やはり後継者を決めるにあたり、騒動があったことが読みとれます。
季武子には、複数の庶子がいました。
公鉏という年長者がいましたが、季武子は年下の季悼子を可愛がっており、後継者にしようとします。
季武子が最初に相談した家臣の申豊には逃げられてしまいましたが、次に相談した臧武仲(臧紇)は、自分に任せろと言わんばかりに公鉏と季悼子を酒席に呼びました。
臧武仲は、先に季悼子に特別席を用意して大夫たちともてなします。
その後に、公鉏を招き入れました。
これは明らかに年長者を蔑ろにする無礼な対応です。
当然、公鉏はこの対応を不服に思い、職務を拒絶してしまいます。
公鉏の聡明な家臣であった閔子馬は、拗ねて職務に就こうとしない様子を見て、その態度をたしなめました。
公鉏も「なるほど」と感心し、その後は忠実に職務を全うしたようです。
結果は、閔子馬が言った通りになりました。
ここに、上に立つ者がとるべき態度が示されています。
民を従える為政者は、民心が離れてしまうことを一番に懼れなくてはなりません。
『中庸』に「其の睹えざる所に戒慎し、其の聞こえざる所に恐懼す」とあるように、目にも見えず耳にも聞こえない民心を大切にすることが重要なのです。
いくら家門が高く、地位や名誉を代々受け継いでいたとしても、民意が離れて一度反乱が起これば、その地位を剥奪され国外に逃亡するような憂き目にあうことも稀ではありません。
少しばかり無礼な扱いを受けたとしても、民心さえ掌握していれば家門は安泰です。
孔子が「孝敬の徳」について、弟子の子游に述べているところです。
孝行と言っても、ただ親を養っているということでは、犬や馬に餌をやっているのと変わらぬこととなり、かえって不孝になってしまいます。
そこに「敬」(つつしみ、うやまい)が必要だと孔子は言っています。
ここでいう「敬」とは、謙虚な態度のことを指します。
人格や才能が優れているから尊敬するということではなく、単に形式的に「無礼なことをしない」ということです。
最近は敬語表現などは要らないという若者を見かけますが、これは危険なことです。
世間とは実に恐ろしいものです。他人の評価や評判などは、簡単に覆されるものだからです。
メディアやSNSなどで放った「ひと言」で、世間から攻撃され反感を買ってしまう人を何人も目にしたことがあるのではないでしょうか。
特に地位のある人は、絶え間なく敵からの攻撃に晒されているといっても過言ではありません。
敬の態度というものは、あくまでも自分の身を守るための手段です。
敬語表現も同じです。
相手が人格的に優れているから尊敬語や謙譲語を使うのではなく、自己保身のために使うものなのです。
現代では、孔子や『論語』は、倫理や道徳の場面で登場することが多いため、人格的修養という要素が強調される傾向にありますが、「敬」の徳というものは、世間の荒波の中で生きていくための実に合理的で確実な処世術といった側面が強いものと言えるでしょう。
これこそが、「礼」という形式儀礼の良いところなのです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?