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「敬」=世間から身を守る手段 【『左伝』『論語』に学ぶ】

季武子に適子無し。
公弥、長たり而、悼子を愛し、之を立てんと欲す。
申豊於訪うて曰く、弥与紇は、吾れ皆之を愛すも、
才を択び焉り而之を立てんと欲すと。
申豊趨り退きて帰り、室を尽くして将に行かんとす。
他日又訪い焉るに、対えて曰く、其れ然らば、
将に敝が車を具え而行かんと。乃ち止む。
臧紇於訪ぬるに、臧紇曰く、我に酒を飲ませよ。
吾子の為に之を立てんと。
季氏、大夫と酒を飲むに、臧紇客為り。
既に献じて、臧孫命じて北面に席を重ね、
新樽は之を絜め、悼子を召す。
之を逆さに降るるや、大夫皆な起つ。
ついでるに及び、而て公鉏を召し、
使て之よわいせしむ。
季孫色を失う。

【現代語訳】
季武子には適子が無く、公弥(=公鉏)が長子だったが、
季武子は季悼子を愛し、これを跡継ぎにしようと望んだ。
そこで家臣の申豊に相談した。
「弥も紇も、私は愛しているが、才能で跡継ぎを決めたい。」
聞いた申豊は小走りで家に帰り、家財を洗いざらいまとめて
逃亡しようとした。数日後また相談されるとこう答えた。
「もうそうなさるなら、私は車を連ねて逃亡します。」
だから話は一旦終わった。
季武子は次に臧紇に相談した。
臧紇「酒宴を開いて私を呼んで下さい。
あなたの望むようにしてみせましょう。」
そこで季氏は家老たちを集めて宴会を開き、臧紇を客に呼んだ。
駆けつけ一杯が終わった後、臧孫は使用人に命じて、
北面に階段付きの派手な席をしつらえ、杯を清めて季悼子を呼んだ。
季悼子が階段を下りると、家老たちは皆席を起って敬意を示した。
そして上座下座の席順が決まってから、公鉏を呼んで、下座に着かせた。
季孫は「やるものだわ」と顔色を失った。

『左伝』襄公二十三年より

魯の国の兵権を掌握していた季武子には後継者(=適子)がありませんでした。
この記事にある「適子無し」という表記から、正妻に男子が生まれなかったか、正妻がいなかったことがわかります。
側室が男子を産んでいても、正妻に男子が生まれないと史書には「適子無し」と記されるからです。
このような場合には、往々にして後継者争いで内紛が起こります。
血縁という絶対的基準ではなく、「才能がある」「徳がある」「人望がある」「親孝行である」といった相対的基準で後継者を決めることになるため、そこに争いの火種が生まれることになります。
『左伝』の記事をみると、やはり後継者を決めるにあたり、騒動があったことが読みとれます。
季武子には、複数の庶子がいました。
公鉏こうそという年長者がいましたが、季武子は年下の季悼子を可愛がっており、後継者にしようとします。
季武子が最初に相談した家臣の申豊には逃げられてしまいましたが、次に相談した臧武仲(臧紇)は、自分に任せろと言わんばかりに公鉏と季悼子を酒席に呼びました。
臧武仲は、先に季悼子に特別席を用意して大夫たちともてなします。
その後に、公鉏を招き入れました。
これは明らかに年長者をないがしろにする無礼な対応です。
当然、公鉏はこの対応を不服に思い、職務を拒絶してしまいます。

季氏公鉏を以て馬正為らしむも、慍り而出で不。
閔子馬之に見えて曰く、子然る無かれ。
禍福は門に無し。唯人のぶ所と。
人の子為る者は、不孝を患いて、所無きを患え不。
其の父の命をつつしまば、何の常か之れ有らん。
若し能く孝敬たらば、富は季氏に倍せんも可也。
よこしまに軌なら不るを回さば、
禍いは下民に倍せんも可也、と。

【現代語訳】
こうして季氏は公鉏を跡継ぎから外し、馬の管理の長にした。
公鉏はふてくされて仕事に出なかった。
それを見た閔子馬が公鉏の所に来て言った。
そういう態度はおやめなさい。
『禍福に門なし。人が自ら招くもの』と言います。
人の子たる者、気にかけるべきは親への不孝。
地位の高下などではありません。
父親の言いつけをつつしんでおれば、事情が変わらぬでもありません。
孝と敬につとめれば、富は季氏(悼子)の倍にもなりましょう。
ねて規定を守らぬと、下々の民の倍の災禍もおこりかねませんよ。

『左伝』襄公二十三年より

公鉏の聡明な家臣であった閔子馬は、拗ねて職務に就こうとしない様子を見て、その態度をたしなめました。
公鉏も「なるほど」と感心し、その後は忠実に職務を全うしたようです。
結果は、閔子馬が言った通りになりました。
ここに、上に立つ者がとるべき態度が示されています。

民を従える為政者は、民心が離れてしまうことを一番に懼れなくてはなりません。
『中庸』に「其のえざる所に戒慎し、其の聞こえざる所に恐懼す」とあるように、目にも見えず耳にも聞こえない民心を大切にすることが重要なのです。
いくら家門が高く、地位や名誉を代々受け継いでいたとしても、民意が離れて一度ひとたび反乱が起これば、その地位を剥奪され国外に逃亡するような憂き目にあうことも稀ではありません。
少しばかり無礼な扱いを受けたとしても、民心さえ掌握していれば家門は安泰です。

子游、孝を問ふ。
子曰はく、
今の孝は、これ能く養うを謂う。
犬馬に至るまで、皆、能く養うことあり。
敬せずんば、何を以て別たんや。

【現代語訳】
子游しゆうが孝について質問した。
先生は言った。
今の親孝行というのは、よく親を養っているということのようだ。
しかし飼犬飼馬でも、愛犬愛馬となれば、十分にたべものも与えるだろうし、寒ければ毛布の一枚もかけてやるだろう。
敬まうということがなくては、何で親と犬馬とを区別しようぞ。
「能く養う」というだけでは、むしろ親を飼犬飼馬扱いするもので、
孝行どころか、とんでもない不敬なことだ。

『論語』為政篇

孔子が「孝敬の徳」について、弟子の子游に述べているところです。
孝行と言っても、ただ親を養っているということでは、犬や馬に餌をやっているのと変わらぬこととなり、かえって不孝になってしまいます。
そこに「敬」(つつしみ、うやまい)が必要だと孔子は言っています。
ここでいう「敬」とは、謙虚な態度のことを指します。
人格や才能が優れているから尊敬するということではなく、単に形式的に「無礼なことをしない」ということです。
最近は敬語表現などは要らないという若者を見かけますが、これは危険なことです。
世間とは実に恐ろしいものです。他人の評価や評判などは、簡単に覆されるものだからです。
メディアやSNSなどで放った「ひと言」で、世間から攻撃され反感を買ってしまう人を何人も目にしたことがあるのではないでしょうか。
特に地位のある人は、絶え間なく敵からの攻撃に晒されているといっても過言ではありません。

敬の態度というものは、あくまでも自分の身を守るための手段です。
敬語表現も同じです。
相手が人格的に優れているから尊敬語や謙譲語を使うのではなく、自己保身のために使うものなのです。
現代では、孔子や『論語』は、倫理や道徳の場面で登場することが多いため、人格的修養という要素が強調される傾向にありますが、「敬」の徳というものは、世間の荒波の中で生きていくための実に合理的で確実な処世術といった側面が強いものと言えるでしょう。
これこそが、「礼」という形式儀礼の良いところなのです。


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