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為政者が目指すべき政治とは 【『論語』『左伝』に学ぶ】

子曰はく、知これに及ぶとも、
これを守ること能はざれば、
之を得と雖も、必ず之を失う。
これに及び、仁能く之を守るとも、
って之にのぞまざれば、
則ち民敬せず。
知之におよび、仁能く之を守り、
荘以って之にのぞむとも、
之を動かすに礼を以てせざれば、
未だ善ならざるなり。

【現代語訳】
孔子が言われた。
人君たる者、知がそのくらいに適応しても、仁徳をもってその位を守ることができなければ、その位を得ても、やがてそれを失うであろう。
知がその位に適応し、仁がその位を守るに足りても、威厳をもって民にのぞまなければ、民は君を敬うことはないであろう。
知がその位に適応し、仁がその位を守るに足り、威厳をもって民に臨んで、民を使い動かすに礼をもってしなければ、まだ理想的な善政ではない。

『論語』衛霊公篇

『論語』はとかく「仁の書」と思われがちです。
しかし、子細に読み込んでいくと、「仁」よりも「礼」の方に高い価値をおいていることがわかります。
為政者として民に尊敬されるかどうかが、まず問題となります。
知や仁の徳をもってしても、「荘」の徳が無ければ、民に侮られるだけです。
「荘」とは人格的な威厳、人としての重みのことです。

我死なば子必ずまつりごとを為さん。
唯だ有徳者のみ、能く寛を以て民を服す。
其の次は猛に如くは莫し。
夫れ火は烈し。民は望みて之を畏る。
故に死する者すくなし。
水は懦だ弱し。民は狎れて之をもてあそぶ。
則ち死する者多し。故に寛は難し、と。

『春秋左氏伝』昭公二十年より

上の一文は、『左伝』に記されている鄭の名宰相=子産の遺言です。
民に寛大な政治というものは、有徳者であれば民も従い無事に行うことができるが、そうでないのであれば、厳しい政治をするのが最善の策であると言っています。
民に侮られるくらいならば恐れられる方がましである、と言いたかったのでしょう。
自分に自信のない為政者は、民に媚びて人気取りの政策をしがちです。
民はそのうち、わがまま放題となり、要求ばかりをし義務を怠ることから、乱が起きるようになります。
小心者の為政者は、みせかけの仁政で批判をかわそうとし、かえって侮られる結果となります。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉で有名な上杉鷹山は、改革を断行するために、反対する者を処刑することも厭わない厳しい政治を行いました。

為政者は常に孤独です。
人に頼っているようでは何もできません。
それ故に、昔の為政者たちは人に頼らず、独り学問と修養に励みました。

子曰はく、
天何をか言わんや。四時行なわれ、百物生ず。
天何をか言わんや。

『論語』陽貨篇

他人が見ていなくても天が見ていることを意識して、常に己れを律し、居住まいを正すことに努めました。
「己に克ちて、礼に復るを仁と為す」と『論語』の言葉にもあるように、このような気概性をもった人物だけが天下万民を救える真の天下人となれるのです。
「威」があっても「礼」が無ければ、単に民を威圧するだけの恐怖政治となってしまいます。
威厳がありながらも、そこに弱者へのいたわりを施す恵政が必要となるのです。
「礼を以て行う」善政を為すことは、大変に難しい道のりと言えるでしょう。

子曰く、之をみちびくにまつりごとを以ってし、
之をととのうるにけいを以ってすれば、
まぬかれてはじ無し。
之をみちびくに徳を以ってし、
之をととのうるに礼を以ってすれば、
はじ有りてただし。

【現代語訳】
孔子が言われた。
法律による政治で人民を指導し、刑罰をもって統制を強行しようとすると、人民は刑罰を免れさえすればよいというので、廉恥心れんちしんがなくなってしまう。
仁義道徳をもって人民を指導し、礼儀作法で足なみをそろえるようにすれば、人民は恥を知っておのずから善に至るものぞ。

『論語』為政第二篇


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