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国家衰退の原因とは 【ギボン著『ローマ帝国衰亡史』】

イギリスの元首相チャーチルは、ノーベル文学賞を授与された数少ない政治家です。
高い教養をもっていた彼の愛読書は、18世紀の歴史家ギボンが著した『ローマ帝国衰亡史』でした。
現代においても、「大帝国であったローマが、なぜ衰退し、滅亡したのか」ということが、ヨーロッパ人にとって永遠の課題だと言われています。
これについて、真正面から記されているギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、いわば「為政者のバイブル」と言うべきものでしょう。

チャーチルが『ローマ帝国衰亡史』を愛読していたのは、為政者の使命感や責任感、国政に携わる者としての矜持というものがあったからでしょう。
これこそが、自分の幸せな生活だけを考えている庶民との「決定的な差」と言ってもよいでしょう。

ローマ帝国は、コンスタンティヌス帝が治めていた4世紀に最盛期を迎えたのですが、その後から衰退が始まります。
ゲルマン民族の大移動という「外患」だけでなく、内部分裂・内部崩壊を促進する「内憂」が、衰退を加速させていきます。
東西分裂から、その後の西ローマの滅亡(472年)、東ローマの滅亡(1453年)へと進んでしまいました。
たとえ異民族の侵入という「外患」があったとしても、国内が一丸となって団結して戦っていれば、雨降って地固まるの譬えにもあるように、かえって、国威と国力が発展していたはずです。
しかし、「内部崩壊」が自滅へと導く原因となりました。

一般的に「内憂外患」と言いますが、「外患」に勝てない原因となるのが、「内憂」なのです。
その「内憂」とは何を指すのでしょうか。
一番の原因は、かつて質実剛健と言われたローマ市民によって構成されていた軍隊(=ローマ軍)が弱体化したことでしょう。
なぜローマ軍は弱体化してしまったのでしょうか。
それは、ローマ市民が飽食をおぼえ、宴会に明け暮れたことで、精神の気概性を無くし、奢侈と洗練にうつつをぬかすようになったからです。

当時のローマ市民の様子を教えてくれるものとして、「孔雀の羽」のエピソードが有名です。
ローマ市民の間で、孔雀の羽が大流行した時がありました。
しかし、それは孔雀の羽の美しさを活かし、自分たちを着飾るために使われていたわけではありません。
当時は、遊びと食事以外、あまりすることもない生活が続いていました。
そのため、お腹が空いていなくても、有り余る時間と食べ物を消費するためだけに、食事をしていたのです。
しかし、人間の胃袋には限界があります。
食べ物が目の前にあっても、満腹で食べることが出来なくなった時に編み出されたものが「吐いて食べる」という方法でした。
そこで登場するのが、「孔雀の羽」です。
彼らは、のどの奥をつついて、食べたものを吐き出すために、孔雀の羽を使ったのです。
そうやって、朝から晩まで宴会に明け暮れ、酒色に溺れる生活を続けていました。
公衆浴場のそばには、賭博場や居酒屋、娼家などが軒を連ね、そこに集まるローマ市民は、快楽を貪り尽くしたようです。
競技場で行われていたグラディエーター同士の戦いに、熱狂していた市民たちの様子も描かれています。
戦いの日となれば、夜明けと共に、5万の民衆が競技場に殺到し、勝敗に一喜一憂していたそうです。
これこそ、退廃の極みと言えるでしょう。
ローマ帝国を「衰退」「滅亡」に導いたものは、まさにこれなのです。

肥えた豚のように飽食に明け暮れていたローマ市民に襲いかかったのが、飢えた狼のようなゲルマン民族でした。
同様のことは、古代ギリシャでもみることができます。
アテネが軍事国家スパルタに滅ぼされたのも、同じようなことが原因でした。
国民が食べることに夢中になり、酒浸りの日々を繰り返し、ギャンブルをしたり、競技場での格闘に熱狂したりしているようでは、国家が衰退し、滅亡へと進んでしまったとしても、決して不思議なことではないのです。
むしろ、歴史の必然だったと言えるかもしれません。

果たして、今の日本はどうでしょうか。
「滅亡したローマ帝国の市民たちと、同じような生活は断じてしていない」と言い切ることができるでしょうか。

国家が衰退し、外からの侵略を受けて滅亡するまでの歴史を、しっかりと学ぶことで、忌まわしき歴史を繰り返さないことが可能となります。
このような歴史の教訓を、子供たちに正しく伝えていくことが、教育に携わる者の使命であると言えるでしょう。

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