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慶應義塾中等部対策講座 俳句編③夏の季語 短か夜(みじかよ)

夏至の頃は夜明けが早く、午前4時には明るくなってカラスが鳴いています。日暮れは午後6時を過ぎています。中学生の下校時の時間帯で人の顔もよくわかるほどです。たそがれは、「誰そ彼て(たそかれて)」が語源だという説もある位で、薄暗くなって向こうにいる人が識別できないような状況を表しています。ですので、午後6時過ぎても明るければ、たそがれではないと言えます。昼は長く、夜は短いので、ねぶそくになりがちだという句が芭蕉にあります。

鼓子花(ひるがほ)の短夜(みじかよ)ねぶる昼間哉(かな)

夏の短夜では足りず、昼顔も眠そうにしているようだ、という風情です。(芭蕉全句集450 角川ソフィア文庫)

暑さで寝苦しいので、たちまち朝になってしまう、というのです。(俳句歳時記 夏 角川ソフィア文庫)そこには明けやすい夜を惜しむ心があったといいます。寝苦しさは「熱帯夜」と言う季語にも表れていますが、現代の生活からすれば、6月の終わりの今時の夜は、熱帯夜ほど寝苦しくなく、少し早いかなと言う気もします。

蕪村は「みじか夜は」で始まる句をたくさん作っています。

短夜や枕にちかき銀屏風

寝苦しい夏の夜でも、枕のそばに置いてある銀の屏風が涼しさを醸し出してくれると言う話です。蕪村は絵画的な描写に優れている人ですから、いかにも絵になる句です。

みじか夜や蘆間流るる蟹の泡

これは百人一首の「難波潟みじかき蘆の節の間もあはでこの世をすぐしてよとや」をふまえています。蘆の節の間の短いことを短い夜が掛け詞の関係で「逢はで」「泡で」に掛けています。

元の歌が「蘆」「節(ふし)」が縁語関係なので、おそらく「蘆」「蟹」も縁語関係なのでしょう。干潟にはサワガニがよくいるからです。このように、俳句でも古典的なものは掛詞や縁語など和歌と同じように技巧を凝らすのです。

もう一つ技巧的なものが

みじか夜や葛城山の朝曇り

なぜ葛城山と言う固有名詞が出てくるか現代人は不思議に思われるかもしれませんがこれは、能の謡曲「葛城」に出てくる有名なシーンなのです。

葛城山は「修験道の霊場で、役行者が葛城山にいらっしゃる一言主(ひとことぬし)の神に吉野の金峰山(きんぷせん)との間に岩橋をかけさせようとしたが、醜い顔が恥ずかしいので夜だけ働いた、と言う故事から来ているのです。(蕪村久住角川ソフィア文庫)

だから、短い夜だけだと作業が終わらないから、顔がわからない薄暗い、朝曇りがよいのだという見立てで作ったユーモアなのです。

芭蕉も蕪村も、和歌や謡曲、中国の漢詩や歴史書などの教養が豊かだからこそ歴史に残る名作が作れたのです。古典教養の理解なくして名作は作れないのです。

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