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俳句編5 夏の季語 7月1日 富士詣(ふじもうで)慶應義塾中等部対策講座

7月1日は、富士山の山開きです。そこから「富士詣(ふじもうで)」は夏の季語となっています。江戸時代の頃から日本人は富士山を神山として崇敬し、多くの庶民が山の神様に会うために登拝(とはい)しました。

足の弱い老人や子供のために日本中の浅間神社や八幡神社の境内に富士山の溶岩で富士塚を作ってそこを登拝したのです。富士山を崇敬する集団を「富士講」といいます。これも夏の季語です。富士の行者です。

山頂の奥宮である富士山本宮浅間大社で7月1日に山開きの儀式が行われます。この時、参詣者は白衣を身にまとい、金剛杖をつきながら「六根清浄お山は晴天」と唱和しながら登拝するのです。(俳句歳時記 夏 角川ソフィア文庫)

この時の様は

「富士講者 火を連ねつつ 夜を登る 能見八重子」

といった風情でしょう。また、御来光をあおいだ後は、

「砂走り(すばしり)の 夕日となりぬ 富士詣で 飯田蛇笏」

といった情景になるでしょう。

山岳小説で有名な作家の新田次郎さんの作品に「富士に死す」(文春文庫)という作品があります。

時は元禄二年(一六八九年)の夏のことです。富士講の行者の五代目、月行(げつぎょう)が「お山は荒れるぞ」と言うところから始まります。

「富士山を対象とする信仰は非常に古く、浅間神社の名が記録されている最後の文献は『文徳実録』で、これには仁寿(853年) 7月に駿河国に浅間神社が従三位(じゅうさんみ)に叙せられたと記されている。富士山信仰が実践宗教的彩を帯びてきたのは、僧 松代(まつだい)が富士山に登るようになってからである。久安5年(1149年)頃には多数の僧が登山している。僧 松代は浅間大菩薩を信仰した。それまでは木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祭神としていたが、僧 松代の頃から神と仏が合体して、浅間大菩薩とう宗教対象が生じ、これが幕末まで続いたのである。天正年間(1573年-1592年)になって角行かくぎょう(富士講の始祖)が富士山麓の人穴にこもって荒修行して富士行(ふじぎょう)、すなわち富士講の基礎を固めて以来、富士信仰は急速に大衆化したのである。」(『富士に死す』新田次郎著 P12より)

このように何百年もの信仰の歴史があるために富士山は世界遺産となりました。それも、自然遺産ではなく文化遺産としてです。俳句の季語を学べばこのようなことまでわかるのです。

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