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巫祝王 古代の神聖政治

英国の人類学者フレーザーの代表作である『金枝篇』には、「死せる王」という概念が紹介されています。
王の多くは「神なる」性格を有しており、降雨や季節の運行といった自然を支配し、土地の肥沃に関する責任があり、災害を防いで国土の豊穣と人々の繁栄に重大な影響力をもつと考えられていました。
そのため、王が病気になったり、老齢になったりすることで、その生命力が衰えた時には、伝統的に決められた方法で、死を迎えることを余儀なくされていたのです。

これは、世界中のどこでもみられる慣習なのですが、古代中国の殷の始祖とされる湯王とうおうの例が有名です。
白川静さんの『中国古代の文化』(講談社学術文庫)第五章で、巫祝王ふしゅくおうとして「湯王」の説話を引用しています。

天大いにひでりし、五年みのらず。とうすなはち身を以て桑林にいのりて曰く、一人罪あるも、萬夫ばんぷに及ぼすことなかれ。萬夫に罪あるも、余一人に在り。一人の不敏を以て、上帝鬼神をして民の命をやぶらしめることなかれと。
ここにおいて、その髪をり、その手をゆびくくり身を以って犠牲となし、もって福を上帝にまつる。民すなは はなはよろこび、雨すなはち大いに至る。

『呂氏春秋』 楠山春樹 訳著・明治書院〈新編漢文選 全3巻〉上巻「季秋紀・順民」

「五年間も雨が降らなかったのは自分の責任である」として、湯王は己れの肉体を神に捧げて、雨乞いをしました。その後、無事に雨が降ってきたことで、民は大喜びしたという話が残っています。

白川静さんが編纂した字書「字統」(平凡社)によると、「巫」という文字は、「舞を以って神をくだすものである」とされています。
「巫」(ふ、かんなぎ)は女性だけでなく、男性の場合もあり、大旱おおひでりの時は祈祷をさせて、効果がない場合には殺して犠牲としていました。これを焚巫ふんぷ(巫を焼き殺す)といいます。

「王が天災の責任をとる」というのは、いわゆる祭祀さいし王(Priest king)の伝統であり、古代中国では『書経』の中で、徳治政治と天命思想として残っており、日本にも大きな影響を及ぼしました。
日本書紀の続編ともいえる「続日本紀しょくにほんぎ」(講談社学術文庫)には、度重なる天変地異と凶作、疫病の蔓延、謀叛などが記録されています。
その度ごとに、天皇は自らの不徳の致すところとして、「租税の軽減」や「恩赦、特赦」を行うと共に、生活を質素にして、民の生活を守ろうとしていました。
仁徳天皇などは、民の家からかまどの煙(水煙)が立ち上っていない様子をご覧になって、民が飢えていることを察したと言われています。

天災は自らの不徳の致すところだと考え、明徳慎罰論(道徳を顕彰し、刑罰を慎むこと)を一番実践していたのは、日本の天皇であると言えるかもしれません。
それは今も昔も変わりません。
災害が起きた時、避難所を慰問している天皇皇后両陛下のお姿を拝見しても、お二人が、どれほど国民の安寧を願っておられるのか実感することができるでしょう。
このお姿は、古代の神聖政治における祭祀王プリーストキングのあり方と全く同じです。
「聖王」であると同時に、「祭祀王」でもある天皇を中心とした国家の体制が、きちんとした文献が残っている聖徳太子の時代から、少なくとも1400年以上も続いているという事実は、世界的にみても奇跡と言えるでしょう。
イギリスやベルギー、オランダといった今でも王制が続いている国は、自国の歴史や文化、伝統を誇りにしています。
それでも、千年以上も同じ王制が続いている日本のような国は、一つもありません。
天皇を戴く古代からの神聖政治と、世界最先端のテクノロジーが融合し共存している日本に対して、西欧の王制国が深く敬意を払っているということを、日本人はもっと自覚するべきなのかもしれません。


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