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ジョージ・オーウェル「一杯のおいしい紅茶」

『1984』を書いた作家としても有名なジョージ・オーウェルには、「紅茶の淹れ方」に関して、絶対に譲れない項目が「11」もあるそうです。

①インド産かセイロン産の葉を使用すること。
②紅茶は、一度に大量に入れてはいけない。
③ポットは、あらかじめ温めておくこと。
④紅茶は、濃いことが肝心。
⑤茶葉は、直にポットに入れること。
⑥ポットの方を薬缶のそばへ持って行くべきで、
 その逆ではだめだということ。
⑦紅茶ができた後、かきまわすか、さらにいいのは
 ポットをよく揺すって、葉が底に落ち着くまで待つこと。
⑧プレックファースト・カップ(円筒形のカップ)を使うこと。
 浅くて平たい形は使わないこと。
⑨紅茶に入れるミルクから、乳脂肪を取り除くこと。
⑩まず紅茶から注げということ。
⑪砂糖を入れてはいけない。

「イギリスはおいしい」で有名な林望さんは、イギリスのお茶は、ほとんど形式にこだわらない気楽なもので、形式にこだわる日本の茶道とは違うと言っています。(「イギリスはかしこい」PHP文庫)

自分は、圧倒的にコーヒー派です。
それも、ミルクと砂糖たっぷりの甘いカフェラテが好きです。
銘柄などにもこだわりはありません。
ドトールやベックスなどで出てくるリーズナブルなもので十分です。
気合いを入れて読書をしようと思った時は、一冊の本を持って、カフェに出かけることもしばしばです。

そんな自分でも、ときどき無性に紅茶が飲みたくなる時があります。
先日も、そんな気分になってしまい、知り合いからいただいた紅茶を飲む機会がありました。
手土産としていただいたものだったのですが、その紅茶はかなり上等なものだったようです。
カフェオレ派の自分も思わず唸るほどの美味しさでした。
このクラスになると、砂糖などは不要です。
そのままでも十分に至福の時間を過ごすことができました。
この時、ふとオーウェルが言っていた「砂糖を入れてはいけない」という意味がわかったような気がしました。

「インド産かセイロン産に限る」と言っているオーウェルは、とても良い茶葉を使っていたのでしょう。
彼のように研ぎ澄まされた精神には、研ぎ澄まされた味覚が備わっていたのかもしれません。
普段の自分は、ティーバッグで紅茶を淹れています。
もちろん、ティーポットなどは使いません。
使えば、それなりに楽しい時間が過ごせそうですが、そんな余裕もない自分は、オーウェルに「文化の貧しさ」を指摘されてしまいそうです。

この記事を書くにあたって、彼が言っていた「ブレックファーストカップ」を調べてみました。
それは、「460㎖」もある大きなもので、2~3万円のものまでありました。
調べている中で、とても気に入った緑色のアンティークカップがあったのですが、あいにく「品切れ」でした。
一日に1リットル以上は、何かしら飲んでいるので、オーウェルを見習って、一客ぐらいあってもよいかな?と思っていただけに、少し残念だったのですが、またいつか、もっと素敵なカップと巡り会えることを信じて、紅茶ライフを続けていこうと思っています。

林望さんが言っていたように、気軽なはずのイギリスの紅茶も、オーウェルにかかれば、形式にこだわるものに様変わりしてしまいます。
こんなところにも、彼の気質を感じることができるでしょう。

同じお茶でも、利休のお茶は、茶道末期の「死をかけた」ものでした。
明日は戦場でむくろとなることを覚悟した「お茶」だったのです。
それ故、「一期一会」に大きな意味がありました。
今生の最後に味わう「命がけのお茶」だからこそ、そこには、独特の風情があったはずです。
それは、現代の茶道では味わえないものかもしれません。

オーウェルのお茶には、利休の頃の茶道に近いものを感じてしまいます。
一つひとつにこだわる彼の姿勢に、茶道に通じるものが見て取れるからです。
「紅茶の淹れ方」一つを見ても、彼がいかに命がけで作家を続けていたか、窺い知ることが出来る内容となっていることに、ただただ感心するばかりです。

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