大戸での歴史って、、、

皆様おはようございます。
最近花粉症がひどすぎて今日この記事を書いているのが、朝9時なのに、
鼻をかみすぎて鼻血が出ました。どうも地域おこし協力隊 馬場啓太です。

このテーマにした理由

今日は大戸地区での歴史を深掘りしていこうと思います。
前にこの記事で歴史講座について書かせていただきました。
※記事はこちらから

こちらは簡単に書かせていただきましたが、
もう少し深掘りして書いていきたいと思います。

はっきり言いますと、、、
大戸は歴史深い町だということです。
本当に歴史的にすごいものが多い。なのに埋もれている。
これが多いわけです。
ということで、地域おこし協力隊の本来の任務である『地域プロモーション』担当としては、これは置いておくわけにはいかない!!ということで、
僕が独断と偏見で、これはいろんな人が興味があるだろうという歴史を深掘りしていきたいと思います。
※最近それ以外の仕事が多すぎて、やっと本来の仕事ができると思いました。笑

小栗上野介忠順を知ってますか?

皆様小栗上野介忠順を知っていますか?この人は幕末から明治の日本にて改革を推し進めた人です。その近代化はとても素晴らしいものがあり、渋沢栄一(今度一万円札になる人です)もこの人がいなければ渡欧できず、短期間でその才覚を身につけることはなかった。とも言われているのです。
※詳しくはwiki、下記参考記事を


一個有名なエピソードを

小栗上野介忠順さんは遣米使節目付(監察)として渡米した際、その技術の高さに感動し、『一本のねじ』を持って帰ってきたと言われている。
ねじは欧米の工業技術力の結晶であり、小栗が目指した日本近代化の象徴でもあった。そうな。。。

※今では100円均一で死ぬほど買えるねじ。それがなかった時代にその技術の高さに目をつけたこと。そして、それを持ってかえることが日本を変えられるという目線を持ったことがことがすごいですよね。そういう感覚が他の人とはなんか違うなぁってなりますよね。

その人と会津にどういう関係が、、、

簡単に言いますと、、、
小栗上野介忠順→旧幕府軍の主戦派であったんですね。先述にもあった通り、すごい人なわけですから明治時代の新政府軍は『旧幕府軍を倒さなければ』と思っていたわけですから、真っ先に狙われるわけです。
しかも小栗上野介忠順本人だけではなく、その一族含めて根絶やしにしようということになります。
※余談ですが結局新政府軍がやった改革は、小栗上野介忠順がやろうとした改革を模倣したものばかりというオチという、、、これが歴史の面白いところだと思います。

※参考記事

そこで狙われた小栗上野介忠順の妻、道子夫人が会津まで逃れ、そこで身を寄せ、その際に唯一の遺児である国子を南原地区で出産したということなんです。

大事なのでもう一回言います。
小栗上野介忠順の妻、道子夫人が会津に逃れ、そこで身を寄せ、その際に唯一の遺児である国子を南原地区で出産したということなんです。

!!!!

おい!!国子は大戸地区南原産ってことか!!

しかもその国子は大隈重信が育てたっていうじゃないか!
なんとも!!
しかもロマンがあるのが、南原のどこで生まれたかわからないってきた!

参考記事

会津という土地は、、、、

戊辰戦争というのは、本当に全国的にも有名なものです。その中でいろんなところに影響があります。そして、世間は狭いと言わんばかりにいろんなところが繋がってきます。
今はこういう身近でみんながとっかかりやすいものから記事を書いていき、
大戸の歴史をもっと深めていければいいと思います。


余談ですが、、、


小栗上野介忠順の玄孫は漫画家の小栗かずまたさんです。
僕の人生のバイブルである『花さか天使テンテンくん』の作者です。
ちなみに僕の待受はテンテンくんです。笑
ここで語ったら、文字数が足りないのでやめます。
言いたいことはテンテンくんのお話は全てが完璧です。

※参考記事

https://kingendaikeizu.net/oguritadamasa.htm


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