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学童保育で働いてた頃の思い出

今から7年前、学校内にある学童保育の指導員として働いていたことがある。一年生から六年生まで全員で30人ちょっとの児童を指導していた。

素直な子供もいれば、少し捻くれていたり乱暴な子供も結構いた。後で色々事情を聞いたら家庭でストレスを貯めていたのかもしれないな、と思うことがあった。上級生になればなるほど扱いが難しくなってきて、全員が全員懐いてくれたわけではなかった。そりゃそうだ、今まで作られていた子供が大多数の社会に、知らない大人が急に入ってくるんだから。警戒もされていたし、馴染むまで少し時間がかかった。

そこで働くまでは小学生というものを少し甘く見ていたのかもしれない。思った以上に大人をよく見てる。指導員としての立場上、注意しなきゃいけない事はたくさんあったが、素直に言うことを聞く時もあれば、反抗してちっとも聞いてくれない時もあった。「これはどうなんだろう、一応大人として注意しなきゃな〜」みたいな事(危険っちゃ危険だが大人もやってるよな〜とか)は自信なさげな仕草が観察されていて、そういう時に限って「え、なんで?」と理由を聞いてくる。

外で靴を飛ばして子供が遊んでいたりすると、やめなさいとは言うが、「俺もやってたな〜」とか思いながら注意したりしていた。理由としては足に何かが刺さるかもしれないから危ない、とかどこか高い場所に靴が乗ってしまうかもしれない、とか。大人が見てない時だったら自分も昔やっていた。というか注意された記憶もそんな無い。こういうのは自己判断で注意したりするが、学校の校舎近くで遊んでいるので、高いところに靴が乗ったりすると指導員がキツめに学校の人に叱られる。それが嫌だ、という大人の都合もありつつ、何となく注意したりしていた。

ある日子どもたちと近くの公園に遊びに行った時、やんちゃ坊主がサッカーボールを公園のネットの外に出してしまった。そこは草むらでちょっと傾斜になっていたので、「俺が取りに行くから待ってて」と言うと「え〜なんで?取りに行きたい!!」と聞かない。「いや、危ないから」「なんで僕はだめなのにマコっちゃん(指導員時代のあだ名)は良いの?」と聞かれ困ってしまう。押し問答を2,3分繰り返した結果、

「そりゃ子供が怪我するより大人が怪我した方がマシだからだよ。」
よく分からない暴論で子供をねじ伏せてしまった。実際に子供を守る、という責任については指導員同士で話してはいたし、例えば仮に暴漢が襲ってきたら指導員が盾になってでも守らないといけないね、みたいな話も先輩指導員からされていた。が、大人が怪我した方がマシという理屈はどこにも無いと今でも思う。やんちゃ坊主は「ふ〜ん。。。」と全然納得していなかったが反論しなかった。

その後サッカーボールを取りに行って子どもたちと何事も無かったかのように遊んで学童に戻った。たぶん僕だけがモヤっとしたものを抱えながら。

毎日「子供にかける言葉はこれで良かったんかな?」と自問自答していた日々であった。

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