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あの日、中国の農村で私のおしりに起きたこと。

財布を持たずに韓国へ行った話とセットで思い出した話があります。中国で留学中に仲良くなった女の子の実家で経験した恐怖体験です。振り返れば、これもまた人生で上位に入る貴重な経験です。


食堂の女の子

中国へ1年ほど留学している間、ほぼ毎日食堂を利用していました。中国の大学生は基本的にみんな寮生活で、彼らが利用する食堂を留学生も利用します。

毎日行けば、毎日顔を合わせる食堂の人がいます。その中のひとり、たぶん当時の私より1~2歳年下の女の子と友達になりました。どういう流れだったか、私は彼女に日本語を教えることになり、彼女は私に中国語を教えてくれることになりました。

彼女の仕事が終わったあと、食堂にあるどこかの一室で一緒に時間を過ごしました。まもなく私が帰国するという時期だったので、一緒に勉強をしたのは1ヵ月程度だったと思います。


農村の家で一泊

帰国直前の夏季休暇に入った頃、彼女の実家に遊びにいかせてもらうことになりました。実家は大学から遠く離れた農村にあり、仕事のために実家から離れて生活していました。彼女から遊びに来ないかと誘われて、すぐに行くと言ったと思います。

長い長い時間バスに揺られていきました。ギュウギュウ詰めで、ソーシャルディスタンスなんて存在しません。中央にある通路は全て補助席として使われ、限界まで人が乗っていました。いろんな匂いが充満し、息苦しくなるような車内。キツイ道のりでした。

彼女の実家は、広い敷地の中央に平屋の家屋があり、その前をちょっと瘦せた茶色の牛やたくさんの鶏たちが自由に過ごしていました。のどかな印象の、想像通りの農村の家です。

トイレが外にあることが印象に残っています。水洗の設備はなく、単純に穴を掘って周りを囲っただけの簡単なもの。たぶん肥料として使うのでしょう。特に困りはしませんでした。他の地域に旅行したとき、ただ一本の溝に水が流れているだけの公衆トイレに出くわしました。もちろん誰からもおしりは丸見えです。個室というだけで、最高すぎるトイレです。


歓迎の宴

彼女の祖父母やご両親、弟さんなど少なくとも5・6人はいたと思います。

当時一人っ子政策が行われていたのに、弟がいるのかぁと思った記憶があります。質問したのですが、語学力が足りず、答えを理解できませんでした。少数民族だから2人目もOKだったのか、もしかしたら、本当の自分の弟ではなく、年下の親類の子を『弟』と呼び習わしていたのかもしれません。そういえば、彼女は私のことを『姐(おねえさん)』と呼んでいました。

大家族感が半端ない中で、たくさんの料理を囲みました。家庭料理これでもかと並び、歓迎してくれていることがわかります。美味しそうなものもあれば、これはちょっと遠慮したいと思うものもありました。(なんか内臓を煮てそうなもの)しかし、郷に入っては郷に従え、です。感謝の意を表すためにも、とにかく食事はなんでも食べよう!と思っていました。


異変

好きな料理は、たくさんいただきました。「美味しい」も連発しました。図太い人と思われるかもしれませんが、一応めちゃめちゃ緊張していましたし、何とかコミュニケーションをとろうと必死でした。そのため自分の腹具合に疎くなっていました。

完全に食べ過ぎです。
だんだん気持ち悪くなってきました。

そして私はちょっと横にならないといけないくらいに、ぐったりしてしまったのです。

友人を含め、ご家族皆さんは相当心配してくれました。大丈夫かと声を掛け、お茶を薦めてくれました。それでも私の様子が良くならないので、なんとお医者様を呼んでくれることになりました。

私はさすがにそれはと思い、必死で「食べ過ぎただけだ、ちょっと休めばよくなるから」と訴えましたが、棄却されました。

お医者さまが来る…。
もし薬を出されても何か怖くて飲めないし、治療代がどれだけか分からないし、みんなの前で診察されるのもちょっと嫌だし、なによりただの食べ過ぎなのに!!!


恐怖の始まり

残念ながらお医者さまがやってきました。黒くて大きなカバンを持って。焦る気持ちと裏腹に、私の体調は相変わらずよろしくないままです。

家族一同に見守られる中、聴診器で診察された後、みんなで何やら話をしています。私には何と言っているか分かりません。頼みの綱は友人だけですが、彼女も心配そうな顔を浮かべています。

そして、決定が下されました。

「注射をしよう」

わたしの恐怖タイムの始まりです。

注射?
え、なんで?
食べ過ぎなのに?

友人が説明してくれた注射をするという話に、私は全力で抵抗しました。

食べ過ぎただけだよ!
何もしなくてもいいよ!
休めば直るから!
ほんと、注射はいらないよ!

と、言える限りの中国語で伝えました。文法間違いとかもう1ミリも気になりません。伝わってくれ、この思い!遠慮とかじゃないんだ!

周りのご家族みんな、私に向かっていろいろと話しかけています。内容をひとつずつ把握はできませんでしたが、「さあ、注射をするんだ!」「注射をしたら良くなるから!」「遠慮するな!」というような内容を言っていることは間違いありません。

傍らで、お医者様が黒いバッグから注射を取り出しました。注射針をセットしています。断固拒否するつもりとはいえ、衛生面が気がかりでお医者さまの様子をじっと見ていました。

消毒しないのか?
針は新しいものなのか?
そもそもその液体の中身は何だ?

失礼なことは承知ですが、田舎で、病院ですらなくて、食べ過ぎなのに注射するとか言い出すので、そのお医者さまを信じられませんでした…。


覚悟を決める

その後、友人の説明にさらに激震が走りました。

「おしりに注射するから痛くないよ。大丈夫」

おしり?
おしりって…おしり…?

ご家族一同&お医者さまv.s.わたし、という攻防戦が始まりました。何度もやり取りをしたのち、このままでは一向に埒が明かないと思ったわたしは、覚悟を決めました。注射をしてもらうことにしたのです。もう一刻も早く終わらせて、休みたい…。

おしりに注射するというなら、もうそれでもいい。
ただし…。

「分かりました。注射します。でも恥ずかしいから、皆さん部屋から出てくれませんか?」

何とか私の希望は伝わり、部屋にはお医者さまと友人だけになったと思います。もう一人、誰か女性もいたかもしれません。


恐怖は笑いと共に去りぬ

いざとなると、恐怖と恥ずかしさでパニックになりました。

や、やっぱりちょと待って!!
もう少し待って!
心の準備が…!!

など繰り返すうちに、私は暴れていたのかもしれません。最後は誰かにズボンとパンツを少し下げられ、おしりに注射されました。

痛みはこれっぽっちも感じませんでした。脂肪の多いところは痛くないのでしょうか…。それとも私の意識がそれどころではなかったのでしょうか。

注射が終わり、ふと周りを見渡すと、家族全員が私を取り囲むようにみつめていました。

え、いつの間に全員集合してるの?
見てた?
え、おしり見た?

急に恥ずかしさが膨らむのと同時に、今の自分の状況にめちゃくちゃ笑いがこみ上げてきました。

部屋の真ん中でうつぶせに寝転んで、初対面の人達に囲まれながら、おしりをちょっと出して注射されている自分…。なにこの状態。

恥ずかしさと笑いと混ざって、「なんでみんないるの?!」と泣き笑いでした。皆さんも笑っていました。

まあ、これはこれでおもしろいか。という気持ちと共に、私の恐怖の時間が終了しました。

友人のお父さんが「もし体調が良くならなかったら、しばらく泊まっていけばいいよ」と言ってくれましたが、体調が悪くても明日絶対帰る!!と心に誓いました。


残る疑問

幸い、翌日には体調が回復し、朝ごはんも頂きました。おかゆを作ってくれた気がします。もう少しいたらと引き留めてもらいましたが、もう帰国しなければいけないから、とお断りしました。

そこから先の記憶はもうありません。帰るときも、何時間もバスに乗ったはずですが、一切覚えていません。おしりの注射のショックが大きすぎたんだと思います。一人で帰ったのか、友人と帰ったのかも思い出せません。

体調は良くなったものの、あの注射は本当に大丈夫かという不安がつきまとしました。結局何事もなく、わたしは元気に帰国しました。

わたしはあの日、いったい、何を体内に入れられたんでしょうか…?
おしりの必然性はあったのでしょうか…?

この疑問が解けることは一生ありません。


長い文章となってしまいました。
お読みいただき、ありがとうございました。

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文字数:3493文字
所要時間:1時間40分
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