財布を持たずにちょっと韓国まで行きまして。
昨日ホームレス小谷さんとお話する前に、いろいろと小谷さんのことを調べていました。その中で、奢られて海外に行かれた…というのを見て、ひとつの記憶が蘇りました。
そう、タイトルのとおり、財布を持たずに韓国に行ったときのことです。私にとってはいろんな意味で胸が痛い出来事のため、すっかり記憶から抜け落ちていました。
中国から韓国への旅行
振り返ればもう15年以上前のことです。当時大学生だったわたしは、中国へ留学していました。たしか冬休みで、留学生クラスで知り合った韓国人の友人が実家に戻るのについていくことになったのです。
その友人の家だけでなく、友人の友人の家にもお邪魔することになり、ホテルには宿泊しないという旅でした。(そもそも、なんでそんなことになったのか…)
当日朝は早めに起き、寮のそばにある屋台に朝ごはんを買いに行きました。その時重々しいロングのダウンコートではなく、別の上着を羽織り、ポケットにお財布を突っ込みました。
はい、ご想像の通りです。戻った私は、財布を別の上着に入れたまま、ダウンコートを着て部屋を後にし、空港へと向かったのです。
タクシーで異変に気付く
まもなく空港に着くというタイミングで支払いの準備をしようと財布を探しましたが、もちろんあるはずはなく。
え、え、え?
まさかまさかまさか…
いやいやいやいや…
あるって…あるはず…
あ…
という感じだったと思います。
タクシーが到着すると、決して多くは持ち合わせていない中国語の単語を総動員して、運転手に事情を説明しました。乗り逃げと思われないように荷物をタクシー内へ置いて空港へ駆け込み、館内アナウンスを頼み、友人を呼び出し、合流し、事情を説明し、とにかくタクシー代を貸してくれと頼みました。
とにかく必死でした。時間もない、お金もない。リアルにない。1元もない。ついでに携帯はもともとない。
友人には、今から財布を取りに帰るのは時間的に間に合わないから、今回は諦めると伝えました。
友人の提案
友人は落ち着いていました。
財布だけがないのか?
航空券とパスポートは持っているのか?
両方とも前日にカバンに入れていたので持っていました。答えると友人は、「それなら行こう!お金のことは気にしなくていい!」と言ってくれました。
一瞬の間にいろんな考えがよぎりましたが、わたしは財布を持たないまま韓国へ行く決断をしたのです。
韓国の旅
そういえば、友人Aと、友人Aの友人と、友人Aの友人とも友人の友人Aの別の友人と、あと友人Bの家に泊まりました。全部で4軒のお宅にお邪魔しました。
友人Aと友人Bは確か友人ではなかったので、私という荷物の引き渡しがどのように行われたのか…全く思い出せません。きっといい感じに連絡を取り合ってくれたのでしょう。
以下、わずかに残っている記憶です。
・行きの飛行機では財布を持たずにこれから韓国へ行くという状況でメンタルをやられ、気分が悪くなった
・初日のお宅はとても品の良いお宅でご両親と共にどこかのレストランで夕食をいただいた
・次のお宅は、なぜか親族一同が集まっていて、絵にかいたようなどんちゃん騒ぎだった。確か誰かがチョゴリを着ていた
・友人Bのお宅にはめちゃめちゃイケメンの弟がいた。この友人Bは日本語が堪能で、日本語で会話できることにめちゃめちゃ救われた
・どこかのタイミングで友人Aの韓国在住の友達集団と飲んだ。超絶美人がいた
・どこかのタイミングで、留学のクラスメイトと落ち合って屋台でトッポギを食べて本当においしかった
・最後の友人A宅では、オンドルの温かさに感動した
・友人Aは観光に連れていってくれた
・お金は1ウォンもなかったので、全て誰かが奢ってくれた
ちなみに私は韓国語は分かりません。ちょっと教えてもらいましたが単語が少しわかる程度でした。お互いに拙い中国語で意思疎通を図り、ご家族や現地の友人方とは、友人の翻訳とノリと勢いとお酒でコミュニケーションをとっていました。
감사합니다 ありがとうございます
맛있어요 おいしい
배불러요 おなかがいっぱい
だいたいこの3語で乗り切った気がします。
苦い記憶
財布を忘れて迷惑をかけた、というのはもちろん苦い記憶ではありますが、それよりも、もっと、もっと、今でも苦しくなることがあります。
お世話になった人たちに何も返さなかったことです。
たぶん、このことが私は苦しくて、記憶の大半を忘れてしまったのではないかと思います。(ただの年齢による記憶力低下もあるかもしれない…)
もちろん、お金を返そうとしました。でも誰一人受け取ってくれませんでした。他の方法で、例えばお礼状を書くなどで、感謝を伝えることもできたのに、結局私は何もしませんでした。そのまま帰国の日を迎え、日本に戻ってからも何も連絡しませんでした。
もはや、友人の名前も正確に思い出せません。
連絡先も教えてもらったと思います。でも私は何もしなかった。
このことは、わたしにとって大きな後悔となっています。
自分のいい加減さ。
感謝を表さない人間性。
そういったところで、自分が情けなくなりました。
今になって思うこと
今ひさしぶりに思い出して、もしかしたらこんな私でも、お世話になった方々に何かしらの価値を提供できていたのかもしれない…と思います。
留学先で娘が日本人の友人を持ち、何やら信頼されている様子であること。
家族や友人に『財布を忘れて韓国に来た日本人』というネタを提供したこと。
とにかくご家族がやたらと歓迎してくれたことが記憶に残っています。
友人Aは留学生クラスに韓国人の恋人がいました。でも彼女は韓国に彼氏がいたのです。その彼氏は兵役に就いており、半年か1年か、それとももっとだったか会えない状態だと。誰にも言えない悩みを打ち明けてくれたのは、この旅行の時だったような気がします。
友人Bは、両親が離婚していること、母親が苦労していること、弟を心配していること、将来外交官になって日本に行きたいという夢を語ってくれました。彼女は一番上の中国語クラスに在席し、日本語も堪能、とにかく頭脳明晰でした。彼女が努力する理由が見えた気がしました。
ただ話を聞いて、共感することしかできませんでしたが、それでもよかったのかもしれません。
自分への慰めと言ったらそれまでですが。
最後に
この時の経験の名残がひとつだけあります。それは、旅行の際は財布だけではなく、バッグやポーチにお金を分散して入れておくということです。
分散、だいじ。
本日は以上です。読んでいただき、ありがとうございました。
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