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【簡単世界通史⑦1200〜1400】【モンゴル】マンガとか映画で世界史がわかるきがする

初手ジンギス・カンで皆様の脳味噌もあれかし。強制ブレイン・ストーミングめーん。大昔の生物です。

公式を発見して小躍りしましたよね(一応リンク先には気を配っているのよ)。

皆様に置かれましては、料理名にもなってるし、歌も流行ったという認識のもと、一旦世界をシャッフルしたモンゴルを薄目で俯瞰していただきたく存じ上げます。へえ。

※こちらは連作となっています。マガジンからもどうぞ。


右から大魔王がやってくる YAH!YAH!YAH!

イスラム世界は順調に広がった。バクダードを中心に文化的にも飛躍。現在の高等教育機関のモデルとなるニザーミーヤ学院が建てられたりしていた。

そんなイスラムがほぼエジプトとシリア部分にだけ追いやられる事態がおこる。第3の特異点、チンギス・ハーンがやってくる。

草原の民とオアシスの民

大体ペルシアから右、中国から左や上辺りは騎馬民族や遊牧民族と呼ばれる、あまり定住をしない人々が暮らしている土地。中国では夷狄と総称し、万里の長城を築く等してその侵攻を何とか阻止していた対象で、歴史上様々な国も衰亡していますがざっくりいいますと、草原の民(めっさアクティヴ)とオアシスの民(定住型)に分かれます。

スラヴはもっと拡がりあるけどね、そこは省略

オアシスの民は遊牧民ではあるが、都市を構えシルクロードの交易で栄えた。図でいうと定住型で今の中央アジア諸国(ウズベキスタンとか)が大体それにあたる。ここは本当に大体。対して草の民はかなりアクティヴで中国に攻め入るやら定住型を攻めるやらなんやらしていたが、まとまったりまとまらなかったりを繰り返していた。イメージとして陸のヴァイキング。

映画敦煌は1000年頃が舞台で、遊牧民系の新しい国大夏と中国のかかわりが観れて面白い。李元昊!って叫ぶ西田敏行さんかっこよ。

テムジン ライズ

1162年草原の名門士族の子としてテムジン君が産まれる。後のチンギス・ハーン。史実なのか、神話なのか正直分からないけどハーンになるまで血みどろの戦いを繰り広げる。結構悲惨。

浅野忠信さんがテムジン役をつとめ話題になった。壮大さもあり惹き込まれる。

チンギス・ハーンは諸部族をまとめ、中国周辺の遊牧国家を全て平らげ、さらにペルシア方面へと版図を拡げる。アレクサンドロスは東征と言われるが、チンギスは西征といわれる。

チンギスの死去と西征の継続

アレクサンドロスと違いチンギスはそこそこ長生きし、子供たちにも恵まれた。イスラム圏への侵食の途上でチンギスは1227年に死去。息子や孫たちがそのまま西征を続けます。この時点でペルシヤぐらいまでモンゴル帝国はきており、版図の広さでいうとササン朝ペルシアぐらいあるのでは?

そんな息子たちの西征の続きがみられるのが漫画天幕のジャードゥーガル。絵がかわいい。中央アジアなデザインも秀逸。めちゃめちゃ楽しみに読んでる。大昔の生物は天幕のジャードゥーガルを応援しています!

息子や孫たちによりどんどん食い破られていくイスラム。文化の中心だったバグダードでは侵略により川が赤く染まり、次いで様々な文献が消失したように川がインク色に染まったという。

ガンガン行こうぜ(バトゥ怖すぎ案件)

モンゴル帝国はどんどん左へ伸びます。スラヴ系のヨーロッパも完全に飲み込まれます。

フューリアス双剣の戦士。なかなかの見応え。凍土での戦闘とはこのようなものだったのかと想像させる。正直、スリーハンドレットのモンゴル版感はあるけど……。まあ強大な侵略者に立ち向かう英雄となると似たような描き方しかでけんのも仕方ないんだけどね。ロシアで伝説の英雄コロヴラートの戦いが描かれている。

映画でも謎の衣装(?)で登場するチンギスの孫、バトゥがヨーロッパの人々の遊牧騎馬民族ヤバいというイメージを固定化した。ロシア部分を併呑した後もどんどん進みポーランドまで進む。ヨーロッパ全体が呑み込まれるとの危機感から、各国が連合して挑んだがバトゥの勝利。有名なワールシュタットの戦いだ。モンゴル側の勝利に終わったが、当時のモンゴルトップが亡くなったのでバトゥはそこで侵略を終えて一旦戻ることに。その後その先への侵略は無かった。

モンゴル帝国の最大版図

テムジンが産まれてから100年程で、太平洋から地中海までが一つになった。

パックス・モンゴリカ

モンゴル帝国はチンギスの子孫達がそれなりに喧嘩しながらも体制を整え、1270年ごろから、支配した中国・元を宗主とした3ハン体制というものに落ち着く。この体制は100年ほど続く。ローマと比べると短命ではあるものの、ユーラシアが一つになるという現象が一度でも起きたというのは大きな出来事だった。アレクサンドロスの時も同じだったが、文化や技術がシャッフルされた。

3ハン体制

3ハンの部分は徐々にイスラム教国化され、元も漢民族の明王朝にとってかわられる。

モンゴル最後の輝きティムール

其々のハン国が乱れる中、トルコ系モンゴル人のティムールが一代で2つのハン国を併呑した。ティムール朝という。1370年頃から1400年頃まで活躍するが病没。明へ遠征し、モンゴル帝国を再生する手前だった。急速にまとめたカリスマが死去し、ティムール朝は長くは続かなかった。

トルコ文化の伝播

ここで大切なのはティムールがトルコ系な事。現代の私達はトルコというとギリシャのちょっと上のあそこでしょ?となるが元々は違う。中央アジアのトルクメニスタンという地域名が彼女彼等の名前の元になる。元々トルコ人は草原の民の遊牧系騎馬民族。モンゴル人やウイグル人に近い存在だ。ティムールはイスラムにトルコを多く溶かし込んだ。

友達と一緒に行った事のある東京の中央アジア料理店ザクロ。思い切り、イラン・トルコ・ウズベキスタンと書いてある。食文化が繋がっているのがよくわからる。店長うるさいけど面白し上手いし腹いっぱいになるから皆さんもいってみて!

おわり

今回はここまで。最後まで読んでくれてありがとうございます。次はトルコが主役になってきますよ。今はオスマントルコって言わないんだって!(昭和)


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