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戦争を知らない私と祈りの小鳩

安保理事だとか、平和だとか。

この歳になって、小学生の頃のおさらいをリアルにすることになろうとは思いもしなかった。
ふわっとやったなぁ。国連安全保障理事会。
私は、今までの人生ざっくり半径3mの幸せの中で生きてきたので、戦争は対岸の火事だった。

第二次世界大戦で、戦勝国になった連合国が常任理事国になってるやつ。
日本は負けて、それで戦争は終わりになった。

確か安保理事会って、戦争の過ちをもう犯さないために作られた組織じゃなかったのか??
今回の当事国、はいってるけど。

戦争を知らない私のこと。

私は、おかーちゃんで、刺繍作家で、そんで保育士をしている。世界を飛びまわるような仕事にもつかなかったし、英語はからっきしだし、海外旅行はハネムーンでハワイに行ったきりもう15年くらい出ていない。

正直、物価が高騰したり、円高ドル安が進もうが逆になろうがいまいちピンとこない生活を送ってきた。バターたけぇなぁとか、牛肉やっすいのありがたいな!とか、関税撤廃安いの大歓迎、いぇーい!電子マネーはほとんど使わない。今どき珍しい現金主義。
しかし、夫とはネットの縁で知り合って結婚し、高校の専門科は情報処理。ちぐはぐ人生経歴の持ち主で、自分で書出しても一貫性が無さすぎて笑えてくる。

そんな私の身近にあった戦争の話

私がまだ小学生だった頃、祖父母が健在である日戦争についてお家の人に話を聞く。などという宿題がでた。
私の祖父は7人兄弟の1番末っ子で可愛がられて育った。その当時の軍国少年らしく将来の夢は兵隊さんになる事だったと話してくれた。

地元は戦争に使う飛行機の軍事工場があったようで、深い洞窟が秘密工場にする予定で掘られ、完成する前に戦争が終わった経緯がある。田舎だが、交通の便はよく空襲も大きなものはなかったが、電車への爆撃はあったようだった。
戦火というものをあまり知らなかったという祖父は、だがその電車への爆撃の日、B29が山の上を飛び、確かにその戦闘機にのる敵兵を見た。竹槍で落とそうとしたのだと言う。

果たして本当なのかは分からずじまいだが、そのような話の中でぽつぽつと語った言葉でぼんやりと覚えている苦い顔と繋がるのは、食べるものが無くなってくると、芋のつるを食べるんだ。あれはもう食べたくないなぁ。という言葉だ。

我が家は当時農家をしていて、米も作り、鶏も飼っていた。食べるものはあったようだが、贅沢はできない暮らし向きで、戦争が終わり、父が生まれ、孫が生まれ……随分と時間が経っても死ぬまでサツマイモを嫌がった。


昔、食べすぎたからもういらないのだと言う。


戦争を知る当事者の言葉は重い。

祖母も、戦争だけはいかん。何があってもしてはいけないのだという。


私の知っている戦争は、物語で、ゲームで、そして漫画だった。はだしのゲンと、8月15日のNHK特番。広島と長崎、沖縄にも行ったことがない。

私は戦争を知らない子どもたちが産んだ、次の世代。戦後50年が、丁度12歳頃だったと思う。そんな私も母になり、今私の子どもは幸いにも戦火に合わずに、父とSwitchでマインクラフトをしている。

今この時にも、同じ年頃の子を持つ親と子が震え脅えながら、家を捨て国境に向かっているという。

私の父と以前話した時、もうこれからは人間対人間の戦争は無くなるだろう。機械や情報を使った争いに取って代わられるよと話していたけれど、父の目論見より世界は愚かだった。

お父さん、機械も使うけれど有人ですよ。そしてやっぱり標的にされるのは人間なんですよ。


祈り

私は自分の子を戦争になんてやりたくない。

今国を動かしている、戦争を知らない第一世代の先輩諸兄に嘆願したい。

祖父母たちが歯を食いしばって、泣いて辛い思いをして勝ち得た未来。あなた達は戦争に行かなかった。戦火にあわなかった。

どうか私たちも、私たちの子どもの世代にもその幸せを続けられるよう動いてください。

誰かの大切な人が奪われることの無い世界にしてください。

私の祈りの小鳩という作品は、自身の闘病中にひょっこり私の中から出てきたものだけれど、祈りは鳥の形になって、誰かに届くように白と、それに類する色でまとめている。私とあなたの祈りが届きますように。泣いている人の涙を拭えますように。

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