ロジコモンを設立した経緯

最初に投稿した自己紹介に、詳細については改めて投稿しますといったきり気づけば3か月。。。やっとのこと設立した会社ロジコモンのこと、を書く前にどういった経緯で会社設立までに至ったのか、について書いていきたいと思います。

会社について簡単に触れておくと、株式会社ロジコモンは子どもたちの「考える力を教育する」ことを目指して作った会社で、早いことに設立からもう3年が経ちます。色々なことを振り返りながら書いていると、予想以上に長くなってしまいましたがよければ読んでみてください。

大学生活でのターニングポイント

今色々と振り返ってみると、普通の学生はあまりしないであろう会社設立という行動を起こすに至ったターニングポイントが

1 大学に入った目標の消失
2 研究室配属
3 研究と勉学の違いを知る
4 ビジュアルプログラミング言語との出会い
5 大学院試の失敗と留年

の5つほどあったのかなと思います。
この5つのターニングポイントについて、当時の自分の考えなどを整理していきながら書いていきたいと思います。

1 大学に入った目標の消失

もともと自分は、工業大学に進学し将来は太陽発電などの自然エネルギーでの発電に関する勉強をしたくて入学しました。が、早々の授業で先生が
太陽光発電は既に頭打ち。研究の将来性はほとんどないから
の発言を聞いて、相当の衝撃を受け、急に目指すものが崩れた様な気がして、目標としての興味を一気に失ったことを覚えています。
ただ余談ですが、この時に太陽光発電は環境にいい!という謳い文句を疑わなかった自分にとって
 ・パネル生産時に相当のCO2を排出する
 ・パネル廃棄時には様々な課題がある
など、表面に見えない隠れた欠点を知ることができたので、物事を深く捉える癖が付いた印象強い出来事で今では良い体験ができたなと思っています。

その後は、学科の底を這いずりながらなんとか進級していき、最も重要なターニングポイント 研究室配属 が来ました。

2 研究室配属

自分が通っていた大学は、学部4年生になるときに研究室に配属し、研究テーマを決めて研究を行うことになっており、この研究室配属が1年間どんな研究をするのか、自分の専門性を決める重要なイベントになります。
太陽光発電の目標を失っていた自分は新たに昔から好きだった自動車の中でも電気自動車に興味が移っており、自動車に関わる研究がしたいなーと考えていました。

自分が学部3年生の時は、成績上位者が第一志望の研究室に配属しやすいというものでした。しかし、恥ずかしながら学力の方がからきしだった自分は人気の研究室への配属は絶望的でどうしようかと悩んだ結果、違う学科の車載半導体に関する研究を行っている研究室を志望し無事配属されました。

この研究室に配属できたことが、自分の今後を大きく変える一番のきっかけになったと思います。

3 研究と勉学の違いを知る

研究室に配属され、面白い発見がありました。それは、研究と勉学の違いを知ったことです。

このことに気づいたきっかけは、研究室で教授と学生がそれぞれの研究進捗を報告する会でのことでした。前にも書いたように、自分は勉学の成績は悪く、逆に同期は非常に成績が良く、世間一般で言われる勉学ができる学生でした。

しかし、単刀直入に言うとその同期は研究をすることが苦手でした。

その時に教授が「論理的に物事を考えたらいいんじゃないのか。論理的思考力を鍛えよう」とアドバイスを言っており、自分は初めて論理的思考力という言葉を知り、今までは覚えることばかり注力してきた学生生活から一転して、改めて論理的に考えることについて興味を持ちました。

この時に、「論理的思考力」とは一体何なのか、見つめなおしたとともに、どうすれば身につくものなのか、いつから鍛えることが出来るのか、今からでも身に付けることが出来るのか、様々な疑問に持ち今の会社を作るきっかけになっています。

これをきっかけに、論理的思考力だけでなく思考力(考える力)について自分なりの解釈を行うようになり、いまだに答えは分かりませんがこちらの記事に考えるについての自分なりの解釈をまとめています。

ただ、この研究という答えがない学問を通じて、今までの学力主義の考えから、思考力の重要性を持ち始めた重要なきっかけでもありました。

4 ビジュアルプログラミング言語との出会い

研究と学力の違いを知ってから、どうすればその”考える癖”を身に付けることが出来るのか思い馳せたものです。教授ともよく話をしていましたが、とりあえずは早いうちから習慣付けしておいて間違いではないだろうということでした。

そんな時に、研究室で地域貢献の一環で行っていた出前講義で小学生向けのロボットプログラミングを行っており、そこで自分の生きる方向性を大きく変えたビジュアルプログラミング言語と出会いました。

画像はその時に知ったビジュアルプログラミング言語で、ブロックを繋げるだけでロボカーに動きなどの命令ができます。今まで長々と英語で書いていたプログラミングのイメージを文字通り180度変えたもので、小学生たちがとても楽しそうにあーでもないこーでもないと試行錯誤をしながら取り組む姿を見て
これを使えば答えが分からないことに対して取り組む(考える)習慣をつけれるのでは!
と思いました。

それからは、出前講義にも積極的に参加し、物事を教えるという教育の分野に本格的に取り組んでいきたいと決心した瞬間でした。

5 大学院試の失敗と留年

研究に出前講義にと忙しくも楽しい日々を過ごしていたのですが、ここで大きな問題が起きました。それが、大学院の院試に落ちたことです。
元から進学を目指していた自分は入試の勉強をしてはいたのですが、見事に落ちて、次の選択を迫られました。
それが
 ・別のキャンパスの試験を受ける
 ・留年し来年また受けなおす
の2つで、簡単に言えば今所属している研究室から移動するかしないか、の選択を決めるものでした。

この時、留年は恥ずかしいものと思っていた自分でしたが、どうしても今いる研究室で研究と出前講義などの取り組みをしていきたいと考えていたので1年間留年しまた院試を受けようと決断しました。
今思えば、1年間の留年くらいなんてことないなと思いますが、当時はなかなかの決断をしたものだなと思います。
(留年を許してくた両親には本当に感謝です。)

卒業に必要な単位も卒業論文も終わっていたので、自由に1年間したいことやろうと思い、研究以外のことに精力的に取り組みました。

この時2016年だったのですが、小学校でのプログラミング必修化が言われ始めた時期で、総務省がプログラミング普及推進事業を行っていました。
また、所属研究室がプログラミング教材を作っている企業と共同でその事業に採択を受けており、自分もその中でメンターとして参加しました。そこで、学校教育の在り方や国内でのプログラミング教育の位置づけや日本がプログラミング教育が世界的に遅れているなど、今までの出前講義だけでは気付かない広い視野での「プログラミング教育」を知ることが出来ました。

加えてありがたいことに、プログラミング教材を製造していた企業へ長期インターンシップに行かせてもらい、そこで小学生向けのプログラミング教材開発の仕事を経験させてもらいました。
今まで、用意されていた教材を使い教えることしか、してこなかった自分にとって、子どもの立場に立って、
「きっとここでこんな事を考えながら取り組んでくれるのかな、ちょっと難しすぎるかな…」
など色々と考えながら教材を作ったことは本当にいい経験になりました。

株式会社ロジコモン 誕生

総務省の普及推進事業やインターンシップを通じて、自分の中で一つの思いが出てきました。
それは、研究室での出前講義だけでなくもっと自由に子どもたちにプログラミング教育を通じて、考える楽しさとその習慣付けをしていきたいというものでした。

というのも、プログラミング教育が北九州だけでなく福岡市の方でも都心と比べてはまだまだ知名度が低く、ほとんどの人たちがプログラミングについて理解がなかったのです。なので、自分で教えることもできて、教材も考えることが出来る、多少はプログラミング教育の分野にも知見があるということで、もっともっとプログラミングの面白さと重要さを北九州ひいては九州に広げていきたい、自分から伝えていきたいと本気で思いました。

そこで、研究室の教授にどうすればいいのかを相談したのですが、その時の教授の答えが大町という人間の方向性を大きく変えました。

「そんなの簡単だ。会社を作ればいい」

とてもあっさりと放たれたその言葉を聞いて、当時の自分は「たしかにそうだ!会社を作ろう!」と即決し、その瞬間”株式会社ロジコモン”が誕生しました。2,3日どうしたものかと延々悩んだ末、結局答えが出なかった事が、相談から5分といわずに解決した瞬間でもありました。

今だから言えることですが、その時会社の設立について知識が一切なく、株式会社と合同会社のどちらにするかを決める際に、やっぱり名刺に代表取締役って肩書ほしいよね、ということで株式会社に決めたほどで、あの時もっとちゃんと考えておけばよかったなと、作った後の色々な苦労を知ると少し思うところがあります。。

さいごに

長々と5つのターニングポイントを振り返りながら、ロジコモン誕生の経緯を書いてきました。
改めて振り返ってみると、なかなか楽しい人生送ってるなーと思えるので、その点だけはよかったのかなと思います。

また、改めてロジコモンの目指すものなどもnoteにまとめていこうと思います。

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