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社交不安症

瞳を見つめることが辛くなった。
吸い込まれそうな冷たさを放つ硝子の玉に、心の奥底まで見透かされているような気がして、言葉を交わそうにも口が鉛と化して重く閉ざす。

相手が家族であろうと、友であろうと、同僚や上司であろうと、関係ない。

怖いのだ。
走り出したら止まらない鼓動が私を嘲笑の決闘場へ引きずり出そうとする。
そんなことは自分が作り出した幻影だと知りながら抗えず、胸が締め付けられるまで目線に晒され溺れていく。

何に怯えているの?

自分にも分からない。だから答えられない。
自分が思っていることをそのまま言えるほど私は器用じゃない。
自分の原形を留めるだけのエネルギーしか持ち合わせていない。

人と交わるのにこれほど怖さが勝るのはどうしてなのか。
他者の目を見て話すのがこんなに苦しいなんて、どうしたら人に言えよう。
声が、体が、震えているのに恥ずかしくないと平静を装っていられようか。

誰か救ってほしいと叫んだら甘えなのか。
誰か慰めてほしいと泣いたら弱さなのか。
誰か、誰か・・・

人が怖いのに、誰かの温もりがほしい。
「あなたは一人じゃない」ただその一言で注がれたい。
星屑でもいい。一欠片の光でもいい。
私をどうか安全な場所へ導いてほしい。

私は一人じゃない。
そう、あなたは一人じゃない。

私は弱くない。
そう、あなたは強くてたくましい人。

私は甘えてなんかいない。
そう、あなたは努力を惜しまない人。

私はここにいる。
そう、あなたはあなたらしく、一生懸命生きている。

あなたが怯える「怖さ」とは、自分を自分として受け入れるための試練。
苦しみを「与える」だけではない。「取り除く」ものにさえなり得る。
その試練は決して平坦ではないけれど、あなたはいつか必ず乗り越える。
蕾から花へ成長するために必要なものは、心の器とそれを満たす愛情。
自分を温かく包み込むための深い愛情と信じる力。

ただそれだけ。
どうか忘れないで。

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