姉と母に愚痴り、鼻を噛み、私はやっとあきらめた。 「区議が保健所に頼んでくれたから、それ待ちだね」 明日の入院は無理だが検査をすれば解決する。 夕方にわかっていた情報をやっと受けとめた。 私はまた失敗した。 大事なことを人任せにして安心し、がっかりしていた。 腰骨を折っても入院できず、救急車を呼んでも断られる。 『コロナじゃなかったらね』 どこもかしこも大変で、自分の身は自分で守るほかないのに。 (朝一でケアマネさんに電話して、デイサービスの再開を
診察は二月の頭に決まった。 レスパイト病院に連絡し、紹介状もそろい、ケアマネさんも電話をくれた。 「老健の相談員さんと話しましたが、お姉さんが期待しすぎていないかと心配していました」 老健の入所は会議にかけないとわからないそうで、父はいまの時点で白紙の人だという。 「そうなの?」 姉は失望したようだがすぐに切り替えた。 老健の申込書と健康診断の用紙を送ったそうで、申込用紙のケアマネージャーの記入欄の依頼を頼まれた。 「わかった」 私は三十日に父を退
「ぶだれだ」 翌日、デイサービスに出かけるぞというタイミングで父がいった。 「叩かれたってこと?」 その通り。 父はふくれっ面でヤマザキという男性スタッフに頭をはたかれたと語った。 『お父さんは噓ばっかり。信じちゃだめ』 妻ならいうだろう。 母は仕事で、父の口癖は〈金輪際〉と〈一切〉だ。 私はデイサービスに電話をしてヤマザキ氏についてたずねた。 「ヤマザキ、ですか?」 ヤマザキ氏は存在しなかった。 私は事情を話し、女性スタッフは笑ってくれ
「こんな時間にすみませんでした」 私と母は彼らに詫びた。 「コロナじゃなかったらね。大変でしょうが、無理をしないで休んでください」 救急隊員たちは去り、父はベッドにもどっても大人しかった。私はパジャマとフリース、暖パンで車椅子に腰かけた。 「お母さんは寝て。大丈夫。明日はお姉ちゃんもきてくれるから」 笑っていたが虚ろだった。 父は起きあがり、私はコーヒーを淹れた。 「イタリアンローストだよ」 険しい顔でコーヒーをすする父に涙がでた。 すると父は私
「おがーがん‼ ぎでじょうだい‼ あが――がん‼」 父は青年時代なにかの合唱団に入っていたらしい。 車椅子になっても声量はなかなかで、母と、ときどき私を呼んだ。 「いかなくていいよ‼ これじゃ眠れない、お父さんにも慣れてもらわないと‼」 私はキレて居間との境の襖にどなった。 「おがーあん‼ じょっど‼ おがーざん‼」 声はますます大きくなり言葉もはっきりしてきた。 「お父さん、言葉ちゃんとしてきたね」 襖の向こうから母がいった。 「リハビリになってる
ミーティングと家屋調査で母の腰痛は何日も続いた。 そういう私も熱っぽくなり、翌週寝込んだが、休んだおかげで体が楽になった。新しい掃除機は軽く、クッションフロアも届いた。 区役所の通知も。 「要介護5だって」 父は最も介護が必要だとみなされた。 「火の用心‼」 今年も十日を切り、私は初めて自治会の夜回りに参加した。 実は月一の掃除も母の怪我ででるようになり、ご近所との会話も多少増えていた。 「配達料に現金で七百円いただきます」 正月休みのおかげか
介助訓練はリハビリ病院内の大きな訓練室でおこなわれた。 講師は理学療法士と看護師で、私が生徒、母が見学だ。 「では見本をおみせします」 理学療法士さんがベッドに座った父を車椅子に移した。 車椅子はベッドに対して斜めに置き、父の手を手もたれにのせる。 こうすると父の力も使えるというが、正面からがっちり抱えるので母には絶対させられないと思う。 「腰をおとして、足をがに股気味に開くといいと思います」 私はアドバイス通りにやってみた。 人間を抱えることなど
翌日、私たちは歩いて病院にでかけた。 ロビーには調査員が待っていて、私たちは入館許可証の丸いバッチをつけて診察フロアに向かった。 広い廊下で待つと看護師さんが車椅子を押してきた。 「いだど~」 来たの。 言葉があやしいが以前の父だと思った。 調査は診察室で行われた。 「お誕生日はいつですか?」 「じち……つ、じゅー……ち」 調査員が質問する形で、私と母、看護師、ソーシャルワーカーらが見守った。 「ひゃ、ぐ」 「百?」 「に、あぐ」 「二百歳?」
旅行の前日、父は脳梗塞をおこした。 姉は悩みに悩んで連絡をひかえた。 かけつけても面会はできない。 ならば旅行を楽しんだ方がいいだろう。 思ったものの、なにかあったらと気が気ではなかったそうだ。 父の状態は安定していて、姉は医師からリハビリ病院への転院をすすめられていた。 「リハビリ……あそこはだめかな?」 私は近所のリハビリ病院を思いだした。 姉は県立病院のソーシャルワーカーさんに話してみると電話をきった。 私はこたつにスマホを置いた。 (
令和二年、二月の朝。 「救急車、呼んでくれる……」 母は辛そうにいってダウンジャケットのまま台所の床に横たわった。 小一時間前に自転車でパートに出かけていたが、途中、ほどけた靴ひもがペダルに絡まり転倒したという。 母は腰を強打したが、道端に自転車を置いていくわけにはいかないと休み休み押して帰ってきた。 私は大慌てで救急車を呼び、救急隊員に母をまかせた。 体調を崩していたし、母の帰宅前にデイケア
傷や涙をお金に換えたい 怒りで税金を払い あきらめで食費を賄い 恥で服を買う 絶望を売ります 愛と勇気もおまけだよ 私は小説家になりたい #もしも叶うなら
先週ユーチューブに、女性が悩みを字幕で語りながらエノキの肉巻きを作る動画をおすすめされた。 小分けにしたエノキを豚バラ肉で巻き、お皿に並べてレンジでチンして中華ダレをかけるもので、とても美味しそうなので真似してみた。 お肉は肩肉の薄切りにして、レンチン調理は苦手なのでテフロン加工のフライパンで油を敷かずにこんがり焼いた。 タレは醤油とお酢を小鉢に適当に入れて、粗みじんの長ネギをたっぷりと一味を一振りしてレンジで軽くチン。 焼きあがった肉巻きにかけて食べる。
こんにちは。 昨日から、私小説、【激動介護~人生半分引きこもり~】をこちらにのせたのですが。なにもかもわからないところから始めたので、やたらに時間がかかりました。 とりあえず無料分の一話をのっけて無料の写真を看板にして、とやってたら「○○さんがスキしました」というメールが届きました。 スキってなに⁉ SNSとかもやらないし、このnoteもよく知らないまま始めたので、もうどきどきしながら、とある賞に落ちたはがりの、激動~をひたすら改行しました。 小説を書き
姉の電話を夢見心地で聞いた。 私立精神病院へは義兄が車で送ってくれるという。 手荷物は薬と保険証類、肌着と靴下を五組だけ。 認知症の治療ができるので老健特養も見えてきた。 「健康診断は間に合わなかったらいいから、PCR検査の結果を送ってほしいって。そのあたりは、むこうの相談員さんと訪問診療でやってくれるから」 姉がいう。 有料ホームは一旦停止。老健は病院の様子をみて申し込む。 「あと五日だから、頑張ってね」 (頑張る‼) 私は復活した。 漲るやる気