激動介護~人生半分引きこもり~4
介助訓練はリハビリ病院内の大きな訓練室でおこなわれた。
講師は理学療法士と看護師で、私が生徒、母が見学だ。
「では見本をおみせします」
理学療法士さんがベッドに座った父を車椅子に移した。
車椅子はベッドに対して斜めに置き、父の手を手もたれにのせる。
こうすると父の力も使えるというが、正面からがっちり抱えるので母には絶対させられないと思う。
「腰をおとして、足をがに股気味に開くといいと思います」
私はアドバイス通りにやってみた。
人間を抱えることなどないので力加減がわからないし、私の緊張に父も体をこわばらせる。
なんとか移動するが力仕事だ。
ポータブルトイレの移動も習ったが、終わった途端にコツを忘れる。
次は病室で看護師さんにオムツ替えを習った。
ほっとしたことに今回は見学でよく、私たちは実にスムースなオムツ替えをながめた。
「ベッドの移動もやってみましょう」
私はまた教わりながら父を移動させた。
最後に車椅子からベッドに座らせ、足をあげて寝かせる。
枕は父の頭上にあった。ベッドに座らせたときの位置が下すぎたらしい。
「このような場合はこうします」
驚いたことに、理学療法士さんは靴を脱いでベッドにあがり、父の膝の辺りにまたがった。
父の孫娘くらいの女性は、患者に柵をつかませるとその両足を下から押し上げた。
(無理です)
こんな手間はかけたくなかった。
もうそのまま寝かせとけと思う。
しかし患者側としては、彼女たちの手間が心からありがたい。
「いろいろなやり方がありますので、絶対にこの方法で、ということではありませんから」
看護師さんが微笑んだ。
理学療法士さんは父を起こしてベッドの下の方に寝かせた。
「それではやってみましょう」
私は猫の靴下を履いていた。
スーパーで百円の値下げ品で、ためしに買ったら履きよくて気に入っていた。
「よいしょ」
女性たちの注目の中、私は父の足元に立膝でまたがった。
年季の入ったスニーカーをぴんと宙に浮かせ、父を柵につかまらせる。
痩せた足を私の胸に押しあてて、ぐいと上に押した。
「う、重い」
びくともしない。
当然だ。
だって足で踏ん張ってないから。
「く」などと頑張るふりをして、膝立ちのままベッドを降りる。
「難しいですねー」
私は汗だくでとぼけた。
介助訓練の後は会議室でカンファレンスが行われた。
私は以前のような診察室での説明会と思っていたが、会議室には担当医と看護師二名、理学療法士、ソーシャルワーカーらがずらりとならんだ。
「それではカンファレンスをはじめます。担当看護師の――です」
自己紹介とともに、スタッフは担当分野の父の状況を語り、時に医師がたずねたりした。私と母は、はあはあと聞いていて、最後に医師が前回と同じような話の後でこういった。
「それで、退院は来月のいつ頃がよろしいですか?」
(はい?)
驚いてしまった。
なにかもう入院に慣れてしまい、介護の支度をしながら、このままでいいやと思っていた。
「ええっと、前に、その、父は眠らないというお話でしたけど?」
私は汗をかきかき全体にたずねた。
看護師さんによると、父は大人しく眠る日もあれば何度もスタッフを呼んで落ち着かないことある。一度は夜中に起きて、明け方には目覚めるという。
(夜勤だ)
私はなにもかもがいやになり、彼らに頼んだ。
「私は不眠症で睡眠薬を飲んでいますが、あまり効かなくて常に寝不足です。母は二月に腰椎を骨折していて、父の介護はできません。どうかお願いします。どんな薬を使ってでも、父を寝かせてください」
「通常、睡眠薬は軽いものから試していていきますが」
先生はいい、私もいった。
「強いものを使ってください」
「強い睡眠薬は日中にも影響をおよぼすことがあり、転倒の可能性が」
「父は眠らないと家には居られないんです。薬でぼおっとしていても家族と自宅で暮らす方が施設にいくよりいいでしょう。病院だって、勤務時間があって休憩が必要ですよね? なら父を薬で寝かせるしかないんです。父はいつも『自分はどうでもいい。私と母の無事が一番だ』といってくれました。だから父はいいんです。どうか、本気で強いお薬を使ってください」
私は泣きながら頭を下げ、母がタオルハンカチで私の後頭部の滝汗をぬぐった。
私はハンカチを忘れ、寝不足の恐怖で父が嫌になっていて、変わり身の早さに頭の隅っこで舌を巻きながら、みっともなく泣いていた。
「それでは退院までに睡眠薬の調整をいたしますね」
医師は穏やかに軌道をもどした。
(もどっちゃったよ)
私はティッシュで目元を拭いた。
「一月は四日からなら対応できますね。月曜日だからちょうどいいかな」
先生がいった。
母もおずおずと応戦にでた。
「でも、四日は私の仕事始めで、お休みもとりにくいので」
「では火曜日にしますか?」
「お正月が空けてすぐはちょっと」
私もなにかいいたかったが弾切れで、そもそも効いていなかった。
彼らは私たちの前に壁のように座っていて、いまや女性たちは気配を消し、上司が事を進めるのを見守っていた。
私たちの困惑に医師は改めて施設の話しをした。
「まだひと月ありますので、今からでも手続きをするのもよろしいかと」
(施設か)
私の中にはじめて、施設の選択が芽生えた。
つい先ほど『施設にいくよりいいでしょう』と収容所のようにいっていたのに、父を〈群れ〉をおびやかす異物のように感じていた。
私の変化におかまいなく、場は施設の種類の説明に入った。
収入からいって特養老人ホームしかなく母は遠慮がちにたずねた。
「費用はどれくらい」
「十五万!」
だん。
医師が断言した。
「それは、ちょっと、無理ですね」
という母に医師は困ったように微笑んだ。
「そういわれましても、こちらとしても困りますね」
父はわが家の問題で彼らには次の患者が待っていた。
「あの」
彼らは私をみた。
「父は家に帰りたいと思います。施設の費用も難しいですし、私も気持ちの切り替えができないので、まず家に、一度返してあげたいと思います。そうしたら、父が私たちと暮せるか答えがでるでしょう。ですので、どうか睡眠薬をよろしくお願いします」
こうして、父の退院は決まり話題はすみやかに退院日にもどった。
「お正月休暇の前に退院すれば、休み明けにはご家族も慣れているでしょう」
医師がいう。
今度はお正月がなくなりそうで私は慌てて口をはさんだ。
「じゃあ、十一日?」
「月曜日はちょっと」
母がいい、退院は一月十二日に決まった。
それまでに介助訓練が二回と家屋調査も行われる。
家屋調査とは病院のスタッフが患者の家を確認し、退院後のアドバイスをするものだ。
その日程も決め、カンファレンスは終了した。
外に出るとひんやりした外気にほっとする。
私と母は公園を歩いて帰った。遊歩道には丸裸の橡の木が並んでいて、アスファルトは大きな枯れ葉で一杯だ。
「十五万なんて、とても無理」
母がいった。
「だよね」
日差しは穏やかで公園はしんとしている。
「でも」
私は明るい声をだした。
「さっきもいったけど、一回お父さんを家に帰してあげたいし、そしたらなにかの答えがでると思う。だめだったら施設があるし、そしたら私も働こうってなると思う。すぐには無理かもしれないけど、そういうふうにしていくから」
耳鳴りで外にでた。
ならば父の施設で仕事にいける。
信じていたわけではないが、必要が力を生むことは知っていた。
「腰大丈夫?」
「だめ。ずっと座ってたから痛くて」
私たちは自然と寄り添い、大きな枯れ葉をながめて歩いた。
家に着くと私はスマホで姉に報告をした。
「断ってもいいんだよ」
姉はいった。
「準備ができてないなら、病院に頼んで退院を遅らせてもらうとか、やりようがあると思う」
なにか食べているようで姉の口調はのんきにきこえた。
『十五万なんて、とても無理』
私が働いていれば、父は自分の年金で施設に入れたし、母はパートを辞めていただろう。
その場合、母は怪我をせず、父はわが家で脳梗塞になったかも。私は仕事で忙しく、父の介護は母になる。
その前にカンファレンスがひらかれて先生はいうだろう。
『まだひと月ありますので、今からでも手続きをするのもよろしいかと』
私は断りたかったわけじゃない。
そういうことを話すべきだったが、姉の口調はチョコ菓子で軽薄にきこえ、私は勝手に傷つき腹を立てた。
「私はお父さんを一度家に帰してあげたいし、お父さんも帰りたいと思う」
嘘ではない。
(だけど介護は嫌)
をいわないだけだ。
「大変だと思うな」
姉は他人と同じことをいい、私は半分だけの真実をいった。
「とにかく、一回やってみれば、私もお父さんもなにかしら納得すると思う。意外とうまくいくかもしれないし。だめなら自然とわかるでしょ」
(それしかないから)
私は後ろ向きに決意した。
週末の夜、私と母は六本木にでかけた。
いいわけは、外なので平気かな、混んでいる店にはいかない、その前に手洗いうがいをする。です。
引きこもり中、お花見、花火大会、イルミネーション、福袋は憧れのイベントだった。
なかでもイルミネーションは夜の都会に触れられる唯一の機会で、外に出るようになった私は毎年母と出かけていた。
一番のお気に入りはけやき坂の街路樹で、はじめてみたときは、赤く輝く通りにおしゃれな人々がいきかい感激した。
東京タワーの上品さに感心し、東京ミッドタウンにはしごして人混みにもまれたのも懐かしい。
祭りはコミュニケーションだと思う。
赤の他人と同じ時間を過ごすことで
『楽しいね』
『そうだよね』
と言葉によらない会話をするのだ。
少なくとも私はそうで、人混みが苦手なくせに、見知らぬ人たちと華やかな街の一部になりたかった。
今年の六本木は閑散としていて、はじめて入ったクリスマスマーケットがわずかににぎやかだ。
「シュトレーンがある!」
私は興奮して、ずしりとした菓子パンを買った。
立ち食いのソーセージなどもドイツ風らしく興味がわくが、お外なので寒いのと母は食べないのでのりきれない。
「すごいねー、立派だねー」
大きなビルで迷うのも楽しい。地下鉄で日比谷にゆき、日比谷のミッドタウンで夕食にして大手町まで歩いた。
丸の内のイルミネーションは五年前から毎年来ていて、電飾だけでなく石畳の繁華街も楽しみにしていたが、どこもかしこもひっそりしていた。
それはたくさんの人が我慢したからだ。
出来なかった私は彼らに守られていた。
だのに物足りなく思っていて欲には底がないと思う。
もし私が映画に行けたならアレを見ただろう。
ブームは楽しい。
楽しいと体が楽になる。
私はこたつでシュトレーンをスライスして楽しさを追加した。
イルミネーションも終わり、私は本格的に大掃除モードに入った。
(これはチャンスだ)
断っておくとわが家は特別家具が多くない。
以前はあったが引きこもり時代に私が捨てた。
和ダンス洋服ダンス、本棚、小本棚、鏡台、ベッドで、そのときも母と激突したが掃除は楽になった。しかし押入れには物が詰まっていた。
「お父さん部屋はポータブルトイレとオムツでトイレになるかもしれないから、客用布団はおいとけないし、オムツや尿パッド、着替えをさっとしまえて、すぐ出せるように場所を開けないと。お父さんが戻ってきてからだと暇がないから年内がチャンスだよ。使ってない物や洋服をどんどん捨てて場所を空けよう」
私は興奮するとろくなことがない。
(あれとあれを捨てて、これを移動して、でもそうすると)
頭の中で荷物をいったりきたりさせ、母のパート中に押入れをひっくり返し、帰宅した母がため息をついた。
「こんなに散らかして、家屋調査までに終わるの?」
連日、私は憑かれたように家を片づけ、家中の押入れと納戸をひっくり返し、ごみ捨て場を往復した。甲斐あって大掃除はおおむね終わった。
「後は」
掃除機をかけるだけ。
母の帰宅まで一時間。
(楽勝)
私はご機嫌でスイッチを入れた。
掃除機はぶうんと一声あげて静まった。
「なんでよ」
エアコンは猛暑に壊れた。
私はかっかしながらクイックルワイパーで掃除した。
「押入れの入れ替えのとき、ざっと吸ってたからいいけどねー」
すぐに回復して母を出迎えた。
〈膝カックン〉より片付け終了の喜びが勝っていた。
昼食後はノートパソコンでショッピングだ。
「安くなってる!」
実はヘッドが壊れていて、給付金で掃除機を買おうと思っていた。
エンジンは動くので見送ったが、そのとき目を付けた品が値下げされていた。
「あのとき買わなかったから安くなった。ラッキー!」
幸福のコツは視野を広げるか、うんと狭くするかだ。
私は掃除機を注文し、壊れたほうの回収もネットで申し込んだ。
アパートには粗大ごみ置き場があり、当番のお宅で鍵を借りて捨てる。
すべてが終わると夕方で、私は風呂もすませてこたつで自分をねぎらった。
「すっきりしてよかったよ~」
「結局、どこのを買ったの?」
台所から母がきいた。
娘のおしゃべりを相当聞き流したらしい。
私は再び、おなじメーカーの同ランク商品を選んだ理由を詳細に語り、配達日が家屋調査当日であると締めた。
しながら、ノートパソコンで通販サイトをながめて付属品の説明で新たな発見をする。
「けばブラシが付いてないから安いみたい」
「じゃあ、前の使えるんじゃない?」
母は湯がいた、ほうれん草をざるにあけた。
遠くの湯気に私はいった。
「捨てちゃった」
ブラシは掃除機のヘッドのノズルに装着されていた。
使うときは屈んでヘッドとブラシを外し、ハンドル部分にブラシを付けて、終わるとまた、外して屈んで付け直す。
全部、粗大ごみ置き場にあった。
風呂上がりで外は暗く、冬で鍵はよその家だ。
「いってくれば」
「そだね」
私は着替えて鍵を借り、暗いごみ置き場で掃除機を漁った。
【お父さんこんにちは 今日は十二月十二日の土曜日です。
もうすぐ家屋調査ですね。
お天気がよければ看護師さんが車椅子で連れてきてくれるそうです。
寒くなってきましたが温かくして来てください】
心細くないようにと書いた手紙はボケ防止にかわっていた。
手紙というか大きなメモのようで、書くことも思い浮かばなかったが、少しでも頭を使ってもらおうと日付を入れていた。
父は引っ越しの少し前まではハードボイルドな小説を好んでいたが、いまは文字が読めないのか面倒なのか、看護師さんが読み聞かせていた。
それでこちらも面倒になり二日に一通が週に一通になったりした。
家屋調査当日。調査は午後からだが、その前にケアマネさんとのミーティングがあった。
父に必要なサービスの説明で、私と母とケアマネさんはこたつをかこんだ。
「脳梗塞で車椅子となると、訪問介護か通所介護でお世話を」
「デイで‼」
みなまできかず私はいった。
他人が来るだけで緊張するわが家で訪問サービスはありえない。父を預かり、風呂に入れてくれるデイサービスが必要だった。
私は長々と訴え、ケアマネさんがたずねた。
「通院もできますか?」
はっとした。
「できません!」
忘れていたが、父はリハビリかと思うほど、いくつもの病院に通っていた。ケアマネさんはヘルパーによる通院と訪問診療を説明し、私は即座に答えた。
「訪問診療で」
病院選びはケアマネさんにお願いした。つづいて、日中父をあずかってくれる施設の選定でケアマネさんは資料をひろげた。
「通所介護もいろいろありますが」
〈通所介護〉とは〈通い〉で受ける介護のことで、デイケアやデイサービスをさす。
デイケアはリハビリが主で、デイサービスは趣味やお風呂などの遊びが基本だ。
利用時間も半日から夕方、泊まりなどがある。
施設も日帰り専門、宿泊施設付きがあり、後者は特養、老健などの老人ホームがあるという。
「老健ってなんですか?」
私はたずねた。
「老健とは〈介護老人保健施設〉のことで、在宅、つまり家に帰ることを目的に医療とリハビリを行う施設です」
「老人専用のリハビリ施設ってことですか?」
「介護保険加入者専用リハビリ施設です。介護保険のサービスは、六十五歳以上もしくは、特定疾患の患者さんが対象です」
「なるほど」
「帰宅前提ですから入所は三カ月から半年ですが、介護する人がいない、いてもできない場合は、老健で特養に申し込み、入居待ちをする方もいます。この近くだと川ぞいの――や駅に近い――で」
ここで母が口を開いた。
「あのマンションみたいな建物ですよね。ほら大通りの」
立派なもの好きの私は身をのりだした。
「あそこに入れるんですか?」
「人気がありますし、高いですよ」
私は駅近老健をあきらめた。
母は恥ずかしそうにたずねた。
「特養の費用って、おいくらなんですか?」
特養こと特別養護老人ホームは収入によって費用が減免される、介護福祉施設でもっとも安い老人ホームだ。
それゆえ大変人気があるが、入居できるのは要介護3以上が基本で、収入と介護度、部屋により費用は別れる。
ケアマネさんは踏み込んだことはいわなかったが、安くても十万円はかかるようだ。
リハビリが付く老健はもう少し高く、民間の有料老人ホームは特養の倍以上だという。
「こちらもう、お金の世界です」
わが家は三千円のショートステイすら惜しく、近所のデイサービスにおちついた。入浴付きで朝から夕方まで預かってくれ、送迎は家の玄関まで来てくれるという。
「それいいですね」
「でしょう。送迎はたいてい建物の前までですからね」
『ちょっとお父さん! お迎えまで二十分あるよ』
『いいんだよ。お父さんは歩くのが遅いから、早めにいってタバコ吸ってるよ』
『じゃあ寒いから、カイロ張ってきなよ』
『いいって。向こうは暖かいから』
歩行器に寄りかかり、すり足で廊下をゆく父の後ろ姿を覚えている。
チャイムが鳴った。
福祉用具屋さんで、父はその後やってきた。
「お父さん、おかえり」
車椅子の父は緊張か硬い顔をしていた。
付き添いは介助訓練のときの看護師さんと理学療法士さんで、父は指をさして道を教えたそうである。
「お父さん、覚えてるね」
笑いかける私はもう帰りたくなっていた。
「ベッドはここでいいですね?」
「この段差、大丈夫かな?」
「ここに置くと車椅子は通れないか」
「押入れの前で、使うときに移動でいいんじゃない?」
家にはマスクの七人がいた。
父は車椅子でぼんやりし、母はペットボトルのお茶を配って引っこんだ。
父の生活圏は玄関とその脇の自室と台所で、病院組はあちこちの段差を確認し、福祉用具屋さんはケアマネさんとベッドなどの配置を話し合う。
私は段取りがわからないまま、なにかをきかれ、またはたずねた。
調査は終わり、これからは道具の選定で福祉用具屋さんがカタログを広げた。
「ベッドはどれに」
私はいった。
「ブランコみたいなみたいなリフトがいいです!」
福祉用具、ケアマネ、病院組の四人が怪訝そうにこちらをみた。
介護用リフトもいろいろあるようだが、私は布の椅子で吊り下げるリフトが欲しかった。
ずいぶん前に新聞で見たことがあり、記事には、介護者が体に触れないので患者も力まなくていいとあった。
引っ越し前から父は部屋や外廊下で転んでいて、私と母は起こすのに難儀した。今の父ではもっと大変なはずで、このリフトで自分を守りたかった。
しかし彼らは困惑の微笑みをうかべている。
ケアマネさんが一番私に慣れていた。
「あれは、ご家庭ではあまり使いませんよ」
「だとしても!」
私は転んだ父を起こすのがいかに大変だったかを子細に語った。
「夜中にベッドから落ちても私と母じゃもどせません。車椅子から転んだって無理。非力な家庭こそ、ああいうのが必要ですよ!」
話せば話すほど浮いてゆく。
私は疲れて父の〈社長椅子〉に座った。
黒い合皮のキャスター椅子で、父が足を骨折した後、私が買ったもので父は着替え置き場にしていた。
「低くなるベッドありましたよね」
「車椅子型のリフトもありますよ」
私の休憩に、ケアマネさんと福祉用具屋さんは吊り下げリフトから離れた。
(車椅子型のリフトは置く場所がないんですよ)
私はひそかにため息をついた。
吊り下げ型が置けるかどうかは知らなかったが、若手の病院組の控えめな様子からも、リフトがわが家にありえないとわかる。
(だめか)
私は〈リフト作戦〉をあきらめた。
でも父が車椅子やベッドから落ちたらどうしたら……。
「お父様は小柄なので、まだいいかと」
看護師さんが私にささやいた。
隣の理学療法士さんも、そっとうなずく。
(なるほど)
私は父しか見てないが、彼らは自分より大きな人の介助もするのだ。
(大変だろうな)
介助訓練は衝撃だった。
何度もいうが、彼らがそうしてくれるのは本当にありがたい。
でも医療や介護の人手不足はよくきくので、現場の人たちには少しでも楽をしてほしい。
そして、私たちを助けてください。
まあそんな考えで医療現場も機械化すればいいのにと思っていた。
その分人手が減るとか、健康保険料や治療費の値上げは困るけど、施設が便利になれば家庭用もでるかもしれず、すると介護保険で安く借りられ、独身中年の老後がましになるかもしれぬ。
楽になりたい。
私は常にそんなことを考えていた。
彼らはそのためにコロナ渦に集ってくれた。
ありがたい。
しかし、司令塔らしい私が全然ついていけないのだ。
迫る介護の緊張と大掃除で睡眠時間はさらに減り、いっそう頭が悪いのに決めることがありすぎて、でもどれが要るのかわからない。
「どれがいいんですか?」
私はカタログの商品を四人にたずねては感心し、端から忘れて同じ質問をした。
外出の度に車椅子のタイヤを拭くのが面倒で、キャスター椅子を車椅子にと目論むも、看護師さんに止められる。
「ストッパーがないので危ないです」
そうこうするうちにベッドは決まり、マットレスもケアマネさんが選んだ。部屋にある父のベッドは福祉用具屋さんが引き取ってくれるという。
サイドテーブルは二本脚が安定するがベッドは壁付けなので一本がよさそうだ。ベッドの柵はどうする。マットレスはどれで負担額はどうなった。
話は福祉用具屋さんとケアマネさんの間でどんどん進み、もう完全におまかせの私は椅子でぐったり、父は車椅子でぼんやりだ。
母が紙パックの野菜ジュースをだしてきて看護師さんが飲ませた。
動けず話せず、これから死ぬまで人がしてくれるのを待つのだ。
(うわあ)
ぞっとした。
なにか大変なことに手を出してしまったと思った。
「じゃあ最後はトイレですね」
しかし列車は走りだしていた。
「あのう」
私は自動排泄処理装置についてたずねた。
股間にあてたレシーバに排泄し、ホースを通して吸引機が吸い取ってくれる機器で、ものによっては便も吸い、お湯で洗浄してくれるらしい。
カタログやネットには大した情報がなく、使い勝手が知りたかった。
「あれは寝たきりの方用ですよ。お父さんはトイレを使えますから」
ケアマネさんがいった。
「小でもだけでもイケれば助かるなと」
「トイレにいくのがリハビリの動機になりますから、まずはポータブルトイレにして、お父さんを第一に考えましょう」
(そうかしら?)
私が疲れて倒れたら母が全部背負うことになり、母もいずれ倒れるだろう。父は施設にいくことになり自宅介護は終了する。
(守るべきは私だ!)
弱いものを守るには強いものを守るのだ。
子供を守るには親を、生徒を守るには先生を、人を守りたければ社会を。
(でも私、職場を追い出されたわ)
強者に守る気がないと弱者は地獄だ。
(やっぱり第一はお父さんか)
一周してふりだしにもどる。
いつものことだ。
病院組によると排泄処理装置は動くと洩れるらしく私の関心は消えた。
「お母さん、どれにする?」
ポータブルトイレは購入なので母にきく。
「わからないから、まかせる」
「どれがいいんですか?」
私は福祉用具屋さんにたずねた。特徴をきいても必要度がまったくわからぬので私の必要を訴える。
「プラスチックの、軽くて掃除しやすいものがいいです」
イメージは前の家のトイレだ。
リュウマチの祖母のために和式便座に白いポータブルトイレをかぶせていた。軽いので便器がよく動いたことを覚えている。
「軽いと動いちゃうのと、硬い便座はお尻をずらしにくいですね」
福祉用具屋さんがいった。
やはりそうか。
でもカタログのトイレは昔より立派にみえる。
「いかにもトイレだと気が滅入るので、椅子に見えるものがいいですよ」
ケアマネさんがいって、どっしりした家具調ポータブルトイレを指さした。
「重いのはちょっと。それに木だと染みるでしょ?」
「でも、部屋に置くものはきちんとしたほうがいいですよ」
いつもスーツのケアマネさんが食い下がる。だが私の制服はパジャマとのびた部屋着だ。
「トイレはトイレですよ‼ 部屋にある時点で滅入るんですから、軽くて脇にどけられるほうがいいですよ‼」
剣幕に若い病院組が苦笑した。
「軽いと動くのが注意ですね」
福祉用具屋さんがいい、ケアマネさんもうなずいた。
「不安定だと使う方は気になると思いますよ」
でるものがでないのは困る。
「じゃあ、それでいいです」
木製にも種類があり、自動で排泄物をビニールに包むものもあった。
「専用のビニール袋が三十枚で三千円ですね」
(一日一枚だとひと月か、でも回数が増えれば)
「ビニールはいいです」
ケチりそうな自分が想像できた。
しかし排泄物と暮すのは父にもきついだろう。
したらすぐにトイレに空けるとしてもバケツは汚れてしまうから。
「バケツに水を張るといいですよ」
福祉用具屋さんはいうが、バケツへの染みこみを軽くするだけで、使うたびに洗うのは同じはずだ。
水しか出ない洗面台は小さいし、ゆすいで便器に空けるだけでも水滴ははねるだろう。
(どこもかしこもトイレになる)
考える気力がなくなり、私は立派な木のトイレをしめした。
「じゃあ、これで」
〈これ〉は便座部分が柔らかくて取りはずせる脱臭機能付の優れもので、お値段は九万円だ。
「介護保険で負担は一割ですが、在宅でないと補助がでないので、注文は退院してからになります。商品が届くまでは別のものをレンタルします」
書類にサインなどして家屋調査は終了した。私は外廊下で父にぎこちなく笑顔を向けた。
「お父さん、またね」
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