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激動介護~人生半分引きこもり~9


 診察は二月の頭に決まった。

 レスパイト病院に連絡し、紹介状もそろい、ケアマネさんも電話をくれた。

「老健の相談員さんと話しましたが、お姉さんが期待しすぎていないかと心配していました」

 老健の入所は会議にかけないとわからないそうで、父はいまの時点で白紙の人だという。

「そうなの?」

 姉は失望したようだがすぐに切り替えた。

 老健の申込書と健康診断の用紙を送ったそうで、申込用紙のケアマネージャーの記入欄の依頼を頼まれた。

「わかった」

 私は三十日に父を退院させ、ショートステイに送るだけだ。一人でいくつもりだったが母も付き添うという。


 次は父の移動手段だ。

 ショートステイは送迎付きなので、私はショートステイに電話してお迎えを頼んだ。

「ご自宅からならできるのですが」

 病院からはだめだという。


 医療と介護は。


(近いのになあ)

 私はグーグルマップの経路で徒歩を調べた。
 病院からショートステイは二十分弱だった。

(歩ける、よねえ?)

 リハビリ病院も徒歩で帰った。

(暖かくすれば、お父さんの気分転換になるかも)

 急に介護タクシー代が惜しくなった。
 でも二十分か。

(普通のタクシーは?)


 インターネットはほんとにすごい。

 私はセルフカットやスコーンに続き、車椅子の普通車への移動も学んだ。

(皆さん、ありがとう)

 感謝の気持ちでノートパソコンを閉じようとして気づいた。

(お昼は?)

 退院は午前十時頃で、ショートステイの入所は午後一時だ。

 ショートステイはコロナで、午前は退所、午後は入所と分けていて入所の父にお昼はでない。

「どこかでお昼を食べればいいんじゃない?」

 母はいう。
 
 だがこのご時世にあの父だ。

 私は近くのショッピングセンターを調べた。トイレと段差のなさで個人店よりよさそうだ。

「ここ美味しそう」

 寄り道魔なのでレストランのメニューに熱中する。

「お弁当を買って、食べさせてくださいって頼むの」

 姉はいい、私はショートステイに電話した。

「入院直後に父はお腹をこわしたそうです。こんなときに外食してコロナに感染したり、お腹の調子が悪くなるのはどうかなあと」

 入所は早まりお昼もでることになった。
 明日は父をタクシーにのせるだけ。
 
 ほっとする私のスマホが鳴った。
 ショートステイからだった。

「退所者様のお一人がコロナ陽性と判明しました」

 陽性者は退所者一人だけで、ほかの入所者とスタッフは陰性だった。

「それなら、かまいません」

 旅行もイルミネーションも密なスーパーも無事だった。私はコロナを怖れていたが、同時にマスクと手洗いうがいを守れば大丈夫だと思っていた。

「退所した人ならね」

 姉もいい、私は布団に入った。



「おがあざんは?」

 翌朝、病室にゆくと父の言葉はもどっていたが、私はあまり気にしなかった。

「病室には一人しか入れないから、受付で清算してるの」

 それからね。

 私はショートステイの説明をした。
 かすかに匂った。

 看護師さんが登場し、実に手際よくオムツを替えてくれた。

「お世話になりました」


 入院費は十五万円を超えていた。

 一階の出入り口の側にはタクシー専門の電話があり十五分ほどで来るそうだ。

「来たら呼ぶから、なかにいて」

 私は母に父を頼み、十分すぎると外に出た。
 時間を過ぎて足が冷え、さらに十分待ち、タクシー電話に抗議した。

「こないんですけど⁉」

 違うタクシー会社につながった。
 そういうシステムか。

「遅れてるのに連絡つかないとか、おかしいよね⁉」

 興奮しきりの私に母がいう。

「大通りでつかまえたら?」

 私は出入り口の前の横道で待っていて、十メートル先の大通りにはタクシーがいきかっていた。

 (頭悪い)舌打ちしてとびだすと空車が前に。


 父はなんとか乗せられた。


 ショートステイはマンションの外見で、父はうとうとしていて楽だった。

「じゃあね」
「お父さん」

 私と母は声をかけて後にした。



「これでひと安心だね」

 夜、家でほっとしているとスマホが鳴った。

「入所者様から苦情がでまして」

 電話はショートステイからで、私は薬を手に入れるから待ってくれ、というようなことをいったと思う。

「もう、お父さんは」

 母も泣いていた。

 私は訪問診療に電話して強力な睡眠薬か安定剤をくれといった。

 渋る先生にお願いすると、明日は休みなので月曜日に処方箋をだすという。

「そういうことですので、なんとか今日明日お願いします。二日は専門医に連れていきますので、多少は大人しくなると思いますし」

 私はショートステイのスタッフに頼んだ。

 翌日もスマホは鳴った。



「入所者様に発熱がありまして、検査で陽性と判明しました」

 陽性者は一人だけでフロアに隔離済みで、世話をするスタッフは他の入所者と関わらないようにしてあるという。

「なら結構です」

 私はまったく気にしなかった。

「それと、お父様のお声が問題になっていまして」

 私は月曜日に薬を送るし、専門家にも見せると詫び、姉に電話した。

「それはだめだわ。悪いけど中止。私たちも感染するわけにはいかないから」

(そうか)

 ときどき、自分が世間とずれていると気がつく。

(こうやるんだなあ)


 私は心から感心した。


 翌日のお昼前、訪問診療へ出かけた。

 受付で処方箋をもらい、バッグに入れる前になにげなく目をやると〈ツムラ〉とあり、私は受付にもどった。

「あのう、これ睡眠薬ですか?」

 プリントミスだった。

 いつもならバッグにつっこんで薬局で驚き、診療所にもどる羽目になっただろう。

 父の薬をもらう薬局は診療所から離れていた。

 ともあれマイスリーを手に入れた。

 父が倒れる前から飲んでいた睡眠薬だと思ったが、郵便局から速達で送る。夕方ショートステイから連絡があった。

「すぐに対応してくださり、ありがとうございます。明日は午前九時にロビーでよろしいですか?」

 病院へは私と母で連れていくことにして、姉にも伝えた。

「悪いけど、お願いね」

「まかせて。専門家にかかればうまくいくよ」

 私は寝る前に明日の持ち物を確認した。

 クリアファイルには紹介状と老健の健康診断用紙が入っている。

 オムツ替えのセットはレジ袋に入れて、全部をエコバックに詰める。

 コーヒーは朝淹れて魔法瓶に。

 ショートステイまではバスを乗り継ぐ。
 
 
 スマホでルートを調べていると着信がきた。

 画面の〈ショートステイ〉で理解した。


「残念ですが」


 帰宅は明後日にしてもらった。



「そういうことなので、またデイサービスに」
「やっぱり精神病院じゃないとだめなようで」
「措置入院になりませんか?」
「またレスパイトはできませんか?」
「精神病院に入院したいのですが」


 翌朝、私は一番で電話をかけた。


 ケアマネージャーに訪問診療、提携病院、レスパイト病院、地域の包括支援センター、別の包括支援センターにも頼んだ。


 老健も特養もふきとんだ。

 認知症を治さないと施設はない。

 やっと的を絞れたが答えは大体同じだった。

「まず精神科に受診をしていただかないと」

 診察には予約がいる。

 しかし近隣の病院も訪問診療も予約が一杯で、区議に話すと福祉課へ連絡してないのかと驚かれる。

 あの頃は特養を待ち、申込書を書く気力がなく、できたときは姉が引き受けるといってくれた。

 すれ違いと見当違いの原因は、私の、父の病状と介護サービスと医療への知識のなさだ。

「もうだめだ」

 どこに訴えても行き止まりで、頼りは〈準備〉していたデイサービスだけだった。

(お父さんは私たちを殺すんだ)


 そのときスマホが鳴った。


「有料老人ホームの面接にいってくる。電話で話したら今月中に入居できるらしいから、終わったら電話するね」


 姉がいい、私の景色が変わった。

 次の電話は二時間後にきた。

「申し込みに使うので、お父さんの年金証書を写メをくれる?」

 私はぼんやり姉の声を聞いた。

 費用は月二十一万円。
 姉夫婦の審査が通れば入居決定。
 早くて二月二十日。


「それまでなんとか頑張れる?」

 なにかの罠かと思う。

「また追い出されたら……」

「向こうの人は、声だしはよくあることって感じだった。設備がいいのかな?」

 有料ホームは大手で近所にも立派な施設があった。

「でも、高くない?」
「なんとかするから」

 姉はいい、母もいった。

「腰の後遺障害の保険で半年ぐらいならいられるから」

 母は電動自転車をあきらめた。

 デイサービスは明日から通えることになり、父の帰宅は明日の朝。

 そのままデイにつれていけば夕方まで時間がある。
 
 訪問診療に頼みなおした隣区の精神病院の入院も結果待ち。

 入院できたら最高で、だめなら姉が有料ホームから精神科へ連れてゆく。

 私と母は姉の手続きが終わるまでデイでしのぐ。

 私は生き返った。


「お母さん、もう少し頑張ろう!」



「お父さん」


 翌朝、私はお帰りとはいわず、歩道で父を迎えた。

 父は無感動な顔で、車椅子ごとリフトで降ろされた。

 ショートステイはPCR検査をしていて、運転手さんから陰性の証明書を渡される。私は歩道でかがみこみ、父にこれからデイにゆくと話した。

「いいお」

「まあそういわないで」

 ビックニュースは昼にきた。

「私立の精神病院に電話したら、入院の方向で調整してくれるって!」

「ほんと⁉」

 入院費は二十四万円で相談員の名前などもきいたと思う。

「本当に?」

「本当だよ。明日でいいから、お父さんの健康保険証のコピーを送ってくれる?」

「コピー持ってる、すぐ送る」

「隣区の精神病院は断って。健康診断はやってくれそう?」

「聞いてみる、わかったらメールする。いやー、お姉ちゃんすごいわ‼」

 逆転ホームランとはこんな感じだろうか。

 私はすぐに訪問診療に電話して、健康診断をお願いし、隣区の精神病院を断った。看護師さんは念を押した。

「本当にいいんですね」
「いいです。何度もすみません」

 健康診断は自宅の場合、ポータブルレントゲンをレンタルするので明後日には間に合わないという。できるだけ早くとお願いして電話を切った。

「すごい。嘘みたい」

 一人で興奮していた。

(やっぱり私じゃだめなんだ)

 とも思った。
 喜びが圧倒的で不安もある。

『お姉さんが期待しすぎていないかと心配していました』

 夕方前に電話が鳴った。
 私立精神病院の相談員からで父の入院は決定した。

「よかったー‼」


 私と母は歓喜した。



「寒くない?」
「だい」

 そのあと、私は父を迎えにいき公園を通って帰った。

 この辺りは越してきたときは赤土の山で、小学生の私は泥んこになって遊んだものだ。あの頃の父はいまの私より若かった。

(パンも焼いてないケーキも作ろう。お刺身も‼)

 再び、私に火がついた。

「ごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあん‼
 ごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあん‼
 もっと、ちょーだいよ‼」

 しかし父はさらに難しくなっていた。

 基本ぼんやりしているが要求が叶えられないと、突然ものすごい声をだす。

「お父さん前より悪くなってない?」
「目が三角だものね」

 私と母は久しぶりの〈不穏〉にうろたえた。

 寝返りも激しく、オムツを替えるとシーツまで濡れていた。私と母はパジャマに割烹着を着て、父とベッドを清めた。

 濡れたオムツに肌着にパジャと靴下を脱がせ、尿のついた腰や股間を拭いて着替えさせ、車椅子に移動してからシーツをとりかえ、ベッドに寝かせる。

「あやぐしてよ‼ あやぐしてよ‼ あやぐしてよ‼」

 父は体を拭く頃にはキレていて怒鳴り声で殴ってくる。

「わかった、わかった」
「もうすぐだから」
「はい、きれいになったよー」

 私たちも明るい声で応戦するが、なにか追い立てられるようで、漏れないようにパッドの位置を工夫する余裕がない。

(これじゃ、朝も濡れてるわ)

 寒いベランダでシーツとパジャマを干しながら私はため息をついた。


 ちなみに、オムツのやり方は介護三日目でつかんだ。

 病院では紙オムツと尿パッド一枚だったのでそうしていたが、私が下手なせいか横漏れした。

 上手にできても尿の量が多ければパッドからあふれるし、まめに尿パッドを取り替えても、父が姿勢を崩して用を足せば脇から流れておしまいだ。

(漏斗巻きを守らないと漏れるんだ!)

 極意に気づいた私は尿パッドを追加してみた。
 紙オムツに大きな尿パッドを重ね、漏斗巻きを包むと横漏れは減った。

『〈オムツ替え〉とは〈尿パッド替え〉なのね。紙オムツは〈下着〉で、尿パッドの攻略が鍵なの!』

 母に大発見したように語ったが、オムツ会社や介護関連のウエブサイトには〈男性は紙オムツに大小二枚の尿パッド〉とあたりまえに載っていて、まあ、そういうことだった。

 漏斗巻きの守護は大きい方が安心だ。

 一番大きい尿パッドは〈夜用〉だ。

 両脇部分のないオムツのような大きさで、どのメーカーも黒っぽい包装に〈夜じゅうぐっすり〉〈朝まで安心〉などのキャッチコピーを印刷している。

 夜用のナプキンにも見られる様式美で、子宮筋腫で生理とおさらばした私は、懐かしい気持ちでお高い夜用を昼にも投入した。

 それも寝返りの前には無力だった。

 オムツもパッドも吸収体は股間にしかないからだ。

(寝がえりは誰だってする。脇にも吸収体をつけるべき‼)

 沸いた私はひらめいた。

 ないなら、つければいい。

 腰の脇にもパッドをあててオムツで留めるのだ。

 さっそく、寝る前のオムツ替えでやってみた。

「お母さん、ここ押さえて!」
「あやぐしてよお‼ あやぐしてよお‼ あやぐしてよお‼」

 動く父に合計四枚の尿パッドをあてるのは大変だったが、かぼちゃのようにふくらむ紙オムツは頼もしげだ。

「じゃあ、寝ようか」


 私は祈る気持ちで布団に入った。


 昨夜はひどい夜だった。

 父の叫びはぎゃーとかごおみたいな響きになり、母もたまらず起きてきた。

『もうお父さん、静かにしてよ!』
『お母さん怒ったら逆効果だよ!』
『あああああああああああああ‼』

(これが阿鼻叫喚かー)

 出口のなさに私はふと冷静になった。

(ショートステイも追い出されたし、隣近所から苦情が来るかも)

 心配になってダウンコートをひっかけ家を出た。夜中にドアの前で耳を澄ますと声は聞こえるが異様さは薄い。

 地獄は漏れない。

 妙に納得して家にもどって徹夜した。


(やった‼)

 朝のオムツ替えで元気になる。

 漏斗巻きは隅々まで水分を抱えていたが、こぼれた分は脇のパッドが受けとめ、パジャマもシーツも無事だった。

 とうとう私も創意工夫を生みだした。

 姉のおすすめの両面吸収の尿パッドもいい仕事をしていた。

 尿パッドやナプキンは片面吸収が多く、股間にあてる面しか吸収しない。

 水分が表面からあふれると脇や裏にまわって漏れるが、両面吸収の尿パッドは脇も裏面も吸いとるので限界まで尿をかかえる。

 大手のメーカー品だが業務で通販でしか買えないのが残念だ。



「よそっでよ‼ あやぐ、よそっでお‼」

 上がった気持ちは朝食で擦り切れた。

(はやくデイにいこう)

 父と離れるとほっとして、それで後ろめたくなった。

〈強い薬〉は認知症を悪化させる場合もあるとネットにあったし、転居の連続も負担だろう。

(いや、もう手に負えないって)

 いつものコースに入りかけると、もう一人の自分が首をふる。

 私は綺麗な後悔を手ばなした。
 もう気持ちをよくする段階ではなく体を守らねばならなかった。

(寝よう)

 家にもどり着替えて布団で目を閉じた。
 途端、耳の奥で金属音が騒ぎだす。

「だめか」

 父が帰るまで六時間ちょっと。
 今夜は眠れるだろうか?

 明日は? 明後日は? 入院が来月なら?

(無理だ)

 高校生のとき、父を殴りそうになった。

 借金の話で父の態度にかっとしたのだ。レスパイト前に怒鳴ったことを思うと加害者になる前に手を打たないと。

(逃げよう)

 ひらめいた。

(ホテルに泊まる。夜に出て朝帰る。それならお父さんも死なないかも)

 本気だった。

(お母さんもつれて。きっと落ち着かないな。でも家にいるよりまし。どこにしよう。パートに通いやすくて家に帰りやすい場所)

 駅前のビジネスホテルを思い描く。
 gotoキャンペーンの中止が悔やまれた。

(保護者遺棄?)

 ならどうする?

(通報してから家を出よう)

 私は脳内電話で通報した。『どうしましたー』お巡りさんはいろいろ聞いてきて、私と母はダウンコートで疲れはてた。

(だめだ)



 昼になり帰宅した母と昼食にした。

「午前中は眠れた?」

 母が聞く。

 私はデイの間に寝るからと母を布団に追い立てていたが、母も私が心配であまり眠れていなかった。

 狭いアパートは仕切りがあってないようなもので、母を寝かすには私が寝ないとだめなのだ。

(いよいよとなったら逃げるしかない。捕まっても仕方がない)

 私は新たなステージに進み、三時間寝た。
 起きたらすっきりしていて見えなかったものに気がついた。

「信じられない」

 父のベッドは壁付で、壁側の上半分に柵があった。

 私は自分に呆れながら柵を引っこ抜き、反対側の下半分にさしこんだ。

 ベッドは囲われた。

 これで落下の危険はなくなった。
 後は声が止めばいい。

 私はまたもひらめいた。


(無視しよう‼)



 父を無視する。

 世話はするけど必要以上にかまわない。
 夜は寝る。
 騒いでも起きない。

「それしかないよ‼」

 私は母に説明した。

「でも、あんなにうるさいのよ」
「聞こえなければいいんだよ‼」

 私たちはホームセンターに出かけ、遮音ヘッドホンと耳栓を買った。

 帰り道、公園に寄ると河津桜が開きかけていた。


「春がきたよ」


 家にもどると母は食事の支度。
 私は父を迎えにいった。

 夕食前に電話が鳴った。


「入院が決まったよ。二月九日‼」


「健康診断は間に合わなかったらいいから、PCR検査の結果を送ってほしいって。そのあたりは、むこうの相談員さんと訪問診療でやってくれるから」

 私は夢見心地で、姉の弾んだ声を聞いていた。

 父は五日後に入院できる。

 手荷物は薬と保険証類、肌着と靴下を五組だけで、病院へは義兄が車で送ってくれるそうだ。

 認知症の治療ができるので老健特養も見えてきた。
 有料ホームは一旦停止にして、老健は病院の様子をみて申し込む。

 私たちは未来を語り、最後に姉は明るい声で聞いた。

「あと少し、頑張れる?」

 私は張りきって答えた。

「もちろん‼」



「あやぐ、してよ――――――――――――‼」

 私のやる気は父の声にしゅっと消えた。

 父の顔色は赤黒く、声はがらがらとしゃがれていてレスパイト病院のすっきりした様子はどこにもない。

「でも、あと少しだし」

 希望の力はすごいもので、私はけっこう元気だった。

 また防音ヘッドホンが頼もしかった。

 きついけど音が遠くなるのでオムツ替えでも動悸がしないし、ウレタンの耳栓はもう少し聞こえたが、ないより全然ましだった。

「お父さんの世話はヘッドホンをして、布団にいる間は耳栓ね」

 私は母に耳栓を渡していった。

 黄色いヘッドホンをつけた私たちに父は不思議そうな顔をした。

「これすると楽なの」

 私は適当なことをいってごまかした。
 介護者の余裕はされる方にもいいはずで、私はヘッドホンをして車椅子に座り、ベッドの掛け布団をなでた。

「もう寝ようねー」

 父がうとうとすると電気を消し、居間の布団の母にささやく。


(無視だよ。気持ちを強くもって寝よう)

 耳栓に切り替えて私は布団にもぐった。

「おが――――ざん‼」

 すぐに父が母を呼ぶ。

「おがーざん‼ おかーあん‼ おがーさん‼」

(寝る。寝る。寝る。うるさい。寝る‼)


 私は寝た。



 翌日、私はすっきり目覚めた。

 なにか世界が明るくなったようで、睡眠はほんとに大事だと思う。

 父は明け方から怒鳴っていたし、今日は訪問診療でデイサービスをお休みしたが、午前中、父と二人きりになっても、あまり疲れなかった。

 睡眠とヘッドホン、なにより〈聞かなくてもいい〉という考えに救われていた。

「いいの無視無視。休憩しよう」

 無視作戦はかなりいい感じで、昼食後、ベッドの父に叫ばれても動揺しないでいられた。

 私はこたつで、姉とメールで入院支度の打ち合わせをした。

 姉〈保険証のコピー着いた。
 有料ホームの書類が届くだろうけど、保留のため保管してください〉

 私〈退院後用に部屋着とオムツも、もっていく?〉

 姉〈部屋着はもらう。オムツは当分いりません〉

 事務手続きは私立精神病院と訪問診療の間で進んでいて、メールを終えると訪問診療の看護師さんから電話があった。

「病院に提出するPCR検査は、先日、ショートステイで行った結果を使う予定です。検査日はわかりますか?」

「ええと、たしか、二月の一日です」

 私はカレンダーを見ながら答えた。
 訪問診療は夕方になり、私は先生と看護師さんにあらためて礼をいった。

「よかったですね」
「ありがとうございます」

 その前には買い物にも出かけ、イングリッシュマフィンとステーキ肉と新じゃがを買い、ハンバーガーとポテトの夕食をつくった。

「ばぐどなるどのほうが」

 父は無表情でつぶやいたわりに完食し、デザートのいちごヨーグルトも結構食べた。

 後片付けにオムツ替えも順調に終え、私はご機嫌で、パジャマの母に父をまかせて風呂に入った。

 髪を洗いながら号泣した。

 人生を棒に振ったのは、会社で無視され過敏性大腸症候群になったからだ。

 苦しいときは平気で鬼で、元気になるとつらくなる。

 人はステージで変わる。

 この苦しさもいずれ忘れると知っている。

 私は湯船で鼻をすすり日にちを数えた。


(あと四日)


 翌日、ケアマネさんがスマホに電話をくれた。

 ケアマネさんには私立精神病院への情報提供をお願いしていた。

 担当者が病院や施設に入ればケアマネージャーの業務は終了だ。
 父がいつ施設に入るかわからなかったが、どのみち東京を離れるので、父はケアマネさんから卒業する。

 ケアマネさんとは七、八年の付き合いで、父との面会には私と母も同席していたので感慨がある。

 私は尽力へ礼をいい、ケアマネさんから短い介護生活を労われた。
 お疲れ様モードの会話に私は漏らした。

「でも、ショートステイみたいにならないかと心配で」

「もう決まったんだから大丈夫でしょう。あんまり気にせず、あと少し頑張ってください」

 その通りだった。

「お父さん寝た。はやく寝よう!」

 無視も耳栓も家族相手には限界があった。

 しかし父が叫んでいては布団にいても安らがない。

 私と母は父が寝たら寝ることにして、昼だろうが家事が途中でも布団にもぐった。つかのまでも小回復するので、やるとやらないでは大違いだ。

 夕方前には母と散歩にでて河津桜をながめ、帰りに父のお迎えをした。

「空が綺麗だねえ」
「ぎでいだね」

 公園の遊歩道をのんびり帰り、暮れなずむ空を三人でながめた。
 全員着ぶくれていたが、川の向こうでは刻々と早咲きの桜が開いていた。

 東京の桜のシーズンははじまったばかりで、これから河津桜、大緋寒桜、陽光が順に咲いて散り、染井吉野が登場する。

 染井吉野の並木はアパートの裏にもあった。
 父が見たのは一昨年で、それが最後になるはずだ。

 私は乾いた並木に決意した。

(パンとチーズケーキを焼こう)



 二月八日の朝、父の髭を剃った。

 その後、蒸しタオルで父の顔と頭を温めて、ワセリンをのばした両手で包みこむと父の顔は輝いた。

「お父さん、顔色よくなったねえ」

 満足そうな父に私は笑顔で後悔した。

(もっと早く、すればよかった)

 そんな余裕はなかったが、お別れを前に欲張りになっていた。
 私はたいてこんな風でパンも夕食にやっと焼いた。
 母はメニューを考える気力もなくビーフシチューを煮た。

「もういいの?」

 父の食欲は落ちていた。
 昼も大人しい時間が増えていて、私は少し楽だった。

「熱はないけど」

 入院にあたり、私たちは毎日体温を計っていた。
 父も平熱で、前日の訪問診療でも異常はなかった。

「やっと終わるね」
「大変だったねぇ」

 父の異変を私たちは気にしなかった。
 笑っていても限界で、楽になることしか考えられなかった。

 入院用の肌着と靴下をまとめるのも夕食後になった。
 風呂を終えた母はパジャマでベッド脇の車椅子に座るといった。

「もう、お風呂いってきて」

(長かったなあ~)

 私は湯船でしみじみした。
 父を思うと涙が浮かび、明日が待ち遠しくてならない。

 かすかに電話のベルが聞こえた。
 風呂のドアが開き、母がいった。


「大変。緊急事態」



 電話は私立精神病院の相談員からだった。

 PCR検査の日付が入院の条件を満たさないので、明日の入院はできないという。

 条件とは『入院日から四日以内の検査結果』で、訪問診療がファックスしたのは二月一日付の結果だった。

 私はショートステイの検査を使うのは聞いていたが、『入院四日以内』は知らなかった。

「なんでよ‼」

 私は髪も拭かずに相談員の番号にかけた。

 するといきなり機械音声が業務終了を告げた。

「な」

 愕然としたが、うろたえている場合ではなかった。

 ネットで代表番号を調べてかけると何度鳴らしてもでないし、やっとでた受付は綺麗な声で機械とおなじ事をいった。

「ちょっと待ってくださいよ‼」

 私は逆上した。

「いま連絡を受けたんですよ‼ いきなり明日の入院はだめといわれて折り返したら明日にしろっておかしいでしょう⁉ いま、そちらの相談員さんがかけてきたんです‼ まだいるはずです‼ つないでください‼」

「少々お待ちください」

(怒ると開くのか)

 感心したが、次の台詞に私の口が開いた。

「あの、担当はもう帰ってしまいまして」

 電話に出たのは同僚だった。

 父の担当者は終業時刻直前にファックスに声をあげ、それから私の姉に電話したがつながらず、わが家にかけたという。

「担当も慌てておりましたが」

 就業時刻ぎりぎりに悪い知らせを伝えて即帰る理性はあった。

(なぜもっとはやく連絡を)
(PCR検査のことだって)
(それなのにすぐ帰るわけ)

 憤怒も極まると絶句する。
 私は腹から声をだした。

「入院は明日ですよ‼ こんな時間に電話してきてどうしたらいいんですか⁉」

「もっともだと思います」

 しかし入院には四日以内のPCR陰性が必要。
 こちらはいつも通りに先方に伝えていた。
 私も大変驚いている。
 同僚はファックスがこないと焦っていた。

「そんな……」

 非は〈こちら〉にあるらしく私は悲鳴をあげた。

「なら教えてくださいよ‼ なにがなんでもやりますから‼ 連絡なしでそっちでミスって明日はだめって、そりゃないでしょう‼ なんでですか⁉ なんで、いま、なんですか⁉」

 相手は陰性のPCR検査があれば入院できるとくりかえした。

「そちらでできないんですか⁉」
「担当に連絡してみます」

(できないんだ)

 相談員に時間外の検査の手配ができるなら、とっくにしているはずで、担当者と繋がっても明日の入院は不可能。私はあきらめるしかなかったが、できないので相手が上手く電話を切った。

 そうした経験だけは豊富な私は呆然と理解して、いつも通り、なにかないかともがいた。

「いった、いわないになってしまうので」

 訪問診療に電話したが看護師さんはファックスの件を掘り下げる気はないようだ。

 私はショックを受けたが入院が先で、訪問診療でのPCR検査を頼んだ。

「検体を病院に依頼するので丸二日はかかり、明日頼んだとしても木曜日が休日で、週末に入ると来週になる可能性が」

「来週‼」

 なぜそんなことに。
 私は問いただした。

「こちらも精神病院の予約やキャンセルに睡眠薬の処方といろいろありまして」

「そうですけど、それはそうですけど」

 私はつっぷして泣きだした。

(ドラマみたいばかみたい)

 頭の隅で冷めていて、起き上がると手あたり次第電話した。

 大小の病院、かかりつけ医、連絡がとれた姉がネットで探した夜間の往診病院。いずれも訪問診療とおなじ答えで区議にもかけあう。

「明日の朝、保健所の所長に話してみます」

(明日じゃ遅いわ)

 焦っていた。

 思慮深さなど元々ないうえ、来週までもちこたえる自信がなかったし、保健所が検査を許可しても、病院の予約で時間がかかると思っていた。

 私立精神病院の担当者はつかまらず、同僚の相談員が出先からショートステイやデイサービスを提案した。午後の八時を過ぎていて同僚にとっても災難だろう。

「ありがとうございます」

 私はいってスマホをこたつに置いた。


「そうだと思った」



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