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激動介護~人生半分引きこもり~3


 翌日、私たちは歩いて病院にでかけた。

 ロビーには調査員が待っていて、私たちは入館許可証の丸いバッチをつけて診察フロアに向かった。

 広い廊下で待つと看護師さんが車椅子を押してきた。

「いだど~」
 来たの。

 言葉があやしいが以前の父だと思った。


 調査は診察室で行われた。

「お誕生日はいつですか?」

「じち……つ、じゅー……ち」

 調査員が質問する形で、私と母、看護師、ソーシャルワーカーらが見守った。

「ひゃ、ぐ」
「百?」
「に、あぐ」
「二百歳?」

 父は答えるたびに長生きになった。

(ええ?)

 調査員さんが困ったように笑う。

 私も苦笑の体を装うがいい気分はしなかった。

 父もそう感じたか、ただ疲れたのかぼんやりしてしまった。


「お父様と少しお話ししますか?」

 調査が終わり、ソーシャルワーカーさんにすすめられた。

「お父さん、ちゃんと食べてる?」

「リハビリはどう?」

 私と母は他人の前でぎこちなく声をかけた。

 プリンの話しはしなかった。
 父は疲れたようにうなずいて看護師さんに連れていかれた。


「入院して約二週間ですので病状説明をしたいと思います」

 入れ替わりに医師がやってきて説明会になった。

 看護師さんによると、父は日中、車椅子で過ごしているが言語のリハビリは好きではないという。


 また大声で呼ぶという。


「お元気な声で、スタッフがくるまで何度も呼びます。夜は人手が少ないので響きますが、呼びかけると笑顔で『すみません』といわれます。昨夜は調査があるので興奮されたのか、ほとんど寝てないようです」


(寝ない)


 すっと気持ちが離れるのがわかった。


 先生は、やはり父の回復は難しく、自宅介護も大変なので、退院前から施設に申し込んでおくのも一つの手だと語った。


〈施設〉


 厳しい選択肢に私は汗だくになった。

「区内の特養は待機者が多く、もうだめだとなってから申し込んでも数カ月待ちということもありますから、ご家族には早めの手続きもできますよと、お伝えしています」

「でも」

 私は身をのりだした。

「空きができてから、やっぱりいいってなったら」

「それはかまわないでしょう。断るのは一回だけですから」


 施設送りをためらうのは一度だけ

 すぐに限界を悟ることになる

 それほど介護は厳しい


 転院でほっとしていた私たちは呆然となった。

 最後に医師はいった。

「先のことですから、まだ考えなくてもいいですよ」



 十五年前、父は心筋梗塞をおこした。

 医師と家族が禁煙をすすめても笑いとばしたが、母が咳込むのでアパートの廊下で吸っていた。

 年をとるにつれて眠れなくなると、真夜中や明け方でも一服した。

 金属のドアは重く、寝静まった家に開閉音が響いた。


 引っ越し前になると父はよく杖を落とし、拾おうとしてかがんで転んだ。

 トイレに起きた私は、空の部屋と外の気配にドアを開けた。

 父は真冬のコンクリから手をのばした。

『ちょっと起こして』

 父は私より小さいが十分重い。
 ひいひい、いいながら立たせてドに寝かせるとパジャマにフリースの私は冷えきっていた。


 それからは、夜中にドアの音がすると布団の中で耳をすませ、外でカラーンと音がするとダウンを着て杖を拾った。

『これじゃ眠れないよ、もう夜は外に出ないでよ』

『わかった』

 父は夜中は出なくなったが眠りが浅く、明け方前に外に出た。

 ドン
 ドン

 二本杖を支えにふらつく足を一歩一歩前にだすのでフローリングに足音が響いた。

それで母は起床前に起こされた。


『もうタバコは辞めたら?』

 私たちは何度もいった。

 父は昔は笑い、最近は悲痛な様子で訴えるようになった。

『お父さんの楽しみはこれしかないんだよ‼』



 父はタバコを失くし、自分の年も怪しくて、夜は寝ないし呼びつける。

 私はぞっとして父に会いたくなくなった。


 でも〈施設〉は別だった。


「入院したばっかりだし」

「そうね」


 私と母は秋色の公園を歩いた。


 週末の午後、私と母は都立庭園で紅葉をながめた。
 東京は感染者が増大していたが野外だしといいわけした。

 父の病状は思った以上に深刻で、思いきれたとしても施設の費用は難しかった。

『お父様が落ちつかないので、なにか集中できる趣味があれば助かるのですが』

 出かけに病院から電話があった。

 ギャンブルはお金がないし、タバコは病院でなくとも手で持てないだろう。読書は引っ越し前にやめていて、おしゃべりも厳しい。

 父もひどいことになっていて、私と母は息抜きを欲していた。


 都立庭園は予約制になっていた。例年なら混雑するはずの園内はがらがらだ。

「お母さん、あそこにベンチがあるよ」

 母は長く動くと腰が痛くなるが、動かないとさらに悪くなる。

「リハビリの先生は、寝すぎたから肩も動いてないっていうのよ」

「あんまり無理しないでね」

 無職の私は赤く染まる桜をながめた。

「春も綺麗だろうね」

「もう来られないかもねぇ」

 母はため息をついた。


「大変だよ」

 近所の人などに話すとそういわれた。

「ですよね」

 私も不安で一杯だ。


「〈デイサービス〉や〈ショートステイ〉でお父さんを預かってもらえばいいですよ」

 翌週、ケアマネさんが福祉用具のカタログを持ってきた。

 デイサービスは介護施設の日帰りサービスで、ショートステイは短期の滞在だ。私は預け先があることにほっとしたが、病院に着替えを届けるとやるせなくなった。


「お父様はほとんど噛まないで飲みこむようで、お腹の調子が」

 洗濯物には茶色い染みがあった。

 着替えは新品のレジ袋で届けていて、病院が洗濯物を入れて返してくれる。この日、部屋着と肌着は透明なビニール袋に入れられ、タオル類とともにレジ袋に詰められていた。

(こういう生活になるんだ)

 私はぼんやり自転車をこいだ。

 いい天気で、公園のゲートボール場ではお年寄りが楽しそうにボールを弾いていた。


 洗濯物には洗い方のメモがついていた。

 流水で便をすすぎ、漂白剤に十分ほど漬けて洗濯するという。

(無理だわ)

 私はすべてを縦型洗濯機にほうり込んだ。洗剤をたっぷり入れて洗い、それから漂白剤に漬け、もう一度洗濯した。


 同居の時は肌着上下と靴下、バスタオルを毎日洗い、雨の日は家中洗濯ものだらけだった。

 しかし病院ではシーツや布団も汚れているかも。

(乾燥機が欲しいな……あ)

 私はひらめき、古新聞から区のチラシを抜きだした。


【高齢者寝具洗たく乾燥助成事業】


 高齢者福祉課がおこなう布団の洗濯サービスで、六十五歳以上の在宅者で、要介護3以上の方が対象だ。

 乾燥消毒は一回二百円で年間十一回。水洗いクリーニング乾燥消毒は五百円で年一回。

 コインランドリーより断然安い。私はチラシを冷蔵庫の側面に張った。

 隣には粗大ごみの出し方のミニポスターがあり、こちらも区役所発行だ。

 冷蔵庫の横っ腹を汚れ物関係で埋めると電話が鳴った。

「車椅子から自力でベッドにもどろうとしたようで、気がついたときには床に横になっていて……ご本人によると頭は打たなかったそうですが、頬と腕をすりむいてしまいました」

 父はまた転んだ。

 看護師さんによると、父は寝かすと車椅子に座りたがり、座らせるとベッドにもどりたがるという。

 人がいるところが好きなようで、ナースステーションの前に車椅子をおいたところ、いつのまにか消えていたという。

「お父様は車椅子に座ったまま足でこいで移動されまして。いつもではなく、気が向かれたときにすいすい動かれるので、私たちも見逃してしまうことがありまして」


(目に浮かぶ)


 ナースステーションに声をかけず、車椅子で病室にもどる父がありありと想像できた。

 父は小柄な丸顔で愛想がよく、人からは優しいお爺ちゃんに見えていたが、人生の大半を自分勝手に生きてきた。

 仕事と健康をなくして家族をホームにしだしたが、ときおり遊び人のわがままさをのぞかせて家族をうんざりさせていた。

「本当に申し訳ありません」

「こちらこそ、父がお世話をおかけします」

 私は父の変わりなさに辟易しつつ心配した。

(お父さん元気なのね)

 と思うようにしていたが翌日も電話は鳴った。

「床にマットを敷いていましたが、今度はベッドから車椅子に移ろうとしたそうで」

 父は毎日転んでいた。

 なんといって電話を切ったか覚えてないがひどく疲れた。

「もう、お父さんは」

 母もため息をつく。

「今日はもうなんにもなかった? バイクと歩行器はいつだっけ?」

 母が私にたずねた。

 今日の予定はなかったが、明日は介護保険のレンタル品の回収がある。

「午前中だから、お母さんが帰る前に終わってるよ」

「よかった。わるいけどお願いね」



「ここ、切れちゃってますね」

 翌日、福祉用具屋さんは電動バイクの前輪カバーの裂け目を指さした。


 私は父が、ガードレールだかに〈ちょっと〉ぶつけたと話していたことを思いだした。借りるときに入った保険で修理費用は出るそうだが自己負担はあるという。

「きっかり一万円です」

 保険とは。


 午後は病院で看護師さんにいわれる。


「すみません、実はオムツも足りなくなりまして」

「え、でもこのあいだお渡ししたオムツは」

「あれは紙パンツです」


 看護師さんによると。

〈オムツ〉は両脇をテープで止めるタイプで寝たきりの人に向く。

〈紙パンツ〉はウエスト部分がゴム入りで、パンツのように脱ぎ履きできるので動ける人に向くという。


(知らなかった)

 いやネットで見たような気がするし、看護師さんにもテープ式といわれていたかも。常に寝不足なので物覚えが悪く、楽しくない検索は雑だった。


『お父さん、来月帰るならオムツも買わないとね』

『たしか明日まで、スーパーで三割引きだった』

『じゃあ買っとくね』


 私は夏の終わりに買った紙パンツを渡していた。

 紙パンツの別名は〈リハビリパンツ〉といった。


「じゃあ、トイレはもう……」

 私は看護師さんに確認した。

「小のほうはオムツですね。大きいほうは、おトイレにいきたいといわれるので車椅子でお連れします。尿パッドも四、五回はとりかえるので、すぐに足りなくなってしまって」


 また今日の洗濯物にも染みがあった。父は食欲はあるが、ろくに噛まないせいかお腹がゆるいという。

(こんなに漏れるものなの?)

 私は思いきって聞いてみた。

「あの、便ってオムツから染みるんですか?」

「いえ、おトイレでズボンを下ろすときに汚れてしまって」


 その状態は知っていた。


 私は子宮筋筋腫と卵巣嚢腫で手術したが、術前は生理が大変で、トイレでズボンを下ろすと血が垂れることもあった。


 回避策は股間にナプキンをはさんで衣類を下げることで、出血の多い日はまずナプキンを下着からはがしていた。

(尿パッドを股間にあてて、ズボンを上げ下げすればよくないですか?)


 その大変さを理解せず、私はドラックストアに向かった。

 成人オムツ売り場は紙パンツだらけだった。

 薄型からボリューム感のあるものまで数社の製品が並んでいて、パッドも吸水量の違うものがそろっている。


『お父さんだけじゃない、絶対、ほかの人も履いてるよ‼』

 去年の今頃、父は紙パンツデビューに落ちこみ私は全力で慰めた。

 適当にいったのだが高齢化社会では尿漏れ人口も多いだろう。

 自力でトイレにいけるなら店頭でアピールする価値はあるのかも。

 そして寝たきりの人のオムツは区の配達で賄える。


(だといいな)

 私は一種類しかないオムツを買った。

 

 数日後、チャイムが鳴った。

(しまった!)

 私はがっくりインターホンにいった。

「そこへ置いてください」

 通販で紙パンツを買っていて、キャンセルするのを忘れていた。

 二パック六十四枚の不用品を納戸に押しこみ、段ボールも畳んでしまう。
 こちらも地味に大変だ。


【お父さんこんにちは 今日は十一月二十六日木曜日です。

 外もだいぶ寒くなりました。
 お父さんが毎日転んでいるときいて心配しています。

 どうか無理をしないで、ナースコールをしてください。

 それから来月、介助訓練があります。

 私とお母さんが車椅子の移動の仕方などを習うそうです。

 またお父さんと会えますね。 ではまた】


 私は〈8050問題〉に直面していた。


 8050とは親80歳、子供50歳の意で、引きこもりの子供が高齢化して親の介護に困ることだ。

 私は引きこもりじゃなくて無職だけど、引きこもりの問題とは家に籠るからではなく、お金を稼いでないからなので、実質引きこもり枠だ。


 父が死ぬ、またはわが家の手に負えなくなるまで介護生活は続く。

 わが家とは母と私で、母は仕事があるので私が介護担当だ。

 自信はない。

 選択肢もなかった。

 やることは山ほどあった。

 まずは父の部屋を片付けることにした。


 父の部屋は玄関脇の六畳もない和室で、ベッドと大きな洋服ダンスがある。

 介護保険でリクライニングベッドを借りるので、部屋のベッドは処分するしかない。

「洋服ダンスも邪魔だよね?」

 さりげなく母にいうが却下。
 私はなんでも捨てたがり、母はとっておきたい人なのだ。


「でもスペースは大事だよ。車椅子は台所まで入るから、なるべくすっきりさせないと。あとオムツもどーんとくるから押入れを、取りやすいように上段がいいかな、を空けて、居間の高座椅子もしまおう。あれ分解できるから押入れか納戸に入れて、それには使ってない布団とかも処分しないとだし、お父さんの洋服も部屋着と寝間着がメインになるから大昔のコートにスーツはいらないし、そのへんは私がやるからお母さんも捨てられるものをだしといてね。それとお父さん帰ってきたらストーブつけっぱなしになるだろうから、ドアが結露でびしゃびしゃに……床! 畳でポータブルトイレはまずいよね」


 私の病は大掃除に向かった。


 父の洗濯物は汚れていたし、転んだり尿パッドがないとかでスマホは鳴った。増えるストレスの中、私はポータブルトイレがある生活を想像した。


 置き場所は畳敷きで、中のバケツに汚物が入る。

(こぼれたらアウト)

 私はノートパソコンで耐水マットを検索した。


「クッションフロアか」

 ぶ厚いビニール絨毯にたどりつく。わが家のトイレにも敷いていた。


 クッションフロアは安いもので一メート八百円ほどだった。

 切って敷くだけでよく床に両面テープを張るとずれない。

 畳の場合はマスキングテープで覆ってからテープを張るといい。

 継ぎ目はクッションフロアを二枚重ねてカットすると綺麗に合わさり、隙間は隙間剤なるもので接着する。

 カビよけに時々めくって風を通すとよい。


「最後のは無視するけど、どう思う?」

 私は母にすべてを語った。

「いいんじゃない」

 了承を得たので注文だ。
 フローリング柄は三種類あった。

「薄いのと濃い色どっちがいい?」
「まかせる」


 明るい木目にした。
 それから結露対策も検索した。

 私と母はこたつにエアコンをちょっとかけるだけで結露はあまり気にならないが、父はストーブをかけっぱなしで、毎冬、玄関ドアを水浸しにした。

 病院なみに温めれば毎日拭き掃除がいるだろう。


 ちなみに窓はプチプチシートで断熱していた。

 あれはすごい。 

 はじめて張った冬は家の中が格段に暖かくなった。見た目はひどいし景色はけぶっているが、眺めがよくないので好都合なのだ。

 だがドアにプチプチは母に却下で保冷シートも玄関のカーテンもだめだった。


(〈団地 ドア リフォーム〉っと)

 検索するとお洒落リフォームがでてきた。

(素敵。でも掃除が面倒そう)


 私の理想はルンバが活躍しそうな家だ。ついルンバを検索し、耳の痛い記事に出会う。


〈――ルンバに向いた家とは段差や物がない家で、掃除がしやすいのでルンバが必要ないという。つまり、忙しくて所得の低い家こそルンバが必要なのだが、そうした人々は物をため込みがちで、ルンバの活躍が難しいという〉


 軌道にもどると百均のクッションレンガシートが目にとまる。

 壁に張る、ふかっとしたレンガ風のビニールシートで白や薄い色が多いようだ。断熱にもよさそうで見た目も(家基準では)悪くない。

 なにより安い。

「ねえ、これ可愛くない?」

 私はリフォーム画像のノートパソコンを母にかかげた。

「すごいよね。百均のシートだよ。ちょっとクッションがあるから、ぶつかっても痛くないんで子供のいる家では壁に張ったりするんだって」

 知らないが、適当にいって白壁画像をみせてゆく。


「百円なの?」

「二百円かもしれないけど、ホームセンターはもっと高かったよ」

(知らないけど)


 まあいいでしょう。

 後ろ向きな許可を得て、翌日私は百均で目当てのシートを三枚買った。


 一枚二百円でどう考えても足りないが、玄関を計ってはじきだす能力はなく、ドアにあてて大体の枚数を予想する。


 張るのは玄関ドアとドア横で千円を超えそうだ。

(高いなー)

 その前に拭き掃除がいるし、そもそも大掃除がまだだった。

 本格的に寒くなる前にベランダを水で洗い、窓を拭かねば。
 父の部屋の壁も拭いておきたい。


「だめだ」

 私はこたつに寝ころんだ。



(九月にやっとけばよかった)

 砂の天井にぼやく。〈大掃除早くやればよかった〉は十二月におきまりの後悔で、今年はちょっと早かった。

 伝統行事をすませた私はスマホで〈断捨離〉を検索した。

(よし‼)

 スッキリの極意に気分があがり、やることを書きだす。


 父の部屋の整理と掃除
 窓とベランダの掃除
 玄関の掃除と断熱
 納戸の整理
 全体の大掃除

 このうち緊急はベランダをホースの水で洗うことだ。

「いってらっしゃい」


 翌日、母を送りだすと脚立にのって玄関の内側を拭いた。マスキングテープをドアに張り、クッションレンガシートを二枚ほど張りつける。

「いい」

 暗い玄関が明るくなり、帰宅した母にも好評だ。私は気をよくして百均にシートを買いに行った。


(でもな)

 二百円が高く思える。


 旅行にいけて断熱の千円が惜しいのが不思議だが、ケチも楽しいのでホワイドボードを探す。


 リモートが増え、背景用の発泡スチロールの薄板がたくさん売っていた。

 ドア横の下は傘立てがあるので、これを張りつけることにする。シートも追加して家に帰った。


(さあ、玄関だ)

 と思ったが母がそろそろ帰ってくる。

 私は大急ぎで大根、ニンジン、しいたけとねぎを切って煮た。


 これは昼と明日の朝の味噌汁で、昼は、お椀に味噌を入れるのだ。

 それに目玉焼きとパンでお昼にする。サラダや汁物の副菜は主食やおやつを抑えるためにもかかせない。

「ごちそうさま」

 昼食の後は休憩や夕食の支度などで時間が過ぎる。

 母のご飯は美味しいので夕食当番は交代だ。


 夜は気合と疲労でうまく寝入ることもあるが、できないときはスマホが友達。

 寝不足が続くと朝食後に布団にもどるが眠れるとはかぎらない。


 こんな私が要領よく動けることはなく、ドアは途中のまま、父の部屋の壁を拭きはじめ、散らかった状態で母が帰宅することもあった。


 大掃除は進まず、私は手紙を書いた。


【お父さん、こんにちは 今日は十一月三十日月曜日です。

 もうすぐ介助訓練ですね。
 うまく出来るか心配ですが、会えるのを楽しみにしています。
 ではまた】



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