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映画レビュー 【ジョーカー】トッド・フィリップス監督

すっごく悲しい話なのに、一つ一つの映像がかっこ良すぎて。
ピエロのメイクしてタバコ吸う姿がこんなに様になる人、ホアキン以外にいないんじゃないかなと思う。
映像と音楽のマッチングも最高だった。
全部セットで記憶に刻まれて、だからもう一回あのシーンみたい!ってなる。

【あらすじ】

主人公のアーサー・フレックは母親のペニーとともにゴッサムシティで暮らしていた。発作的に笑い出してしまう病気を抱えている彼は、大道芸人(ピエロ)の仕事をしながら、いつか一流のコメディアンになることを目指している。彼の日課は日々思いついたネタをノートへ書き記し、大好きな芸人、マレー・フランクリンが司会を務めるトークショーで脚光を浴びる自分の姿を想像することだった。

ペニーの「どんな時も笑顔で」という言葉を胸に、いつも明るく振る舞うアーサーだが、実際は毎日誰かに馬鹿にされ、虐げられる日々を送っており、彼を気にかけてくれる者は誰もいない。

ある日、アーサーは同僚のランドルから護身用にと拳銃を借り受けるが、これを小児病棟での勤務中に誤って落としてしまい仕事をクビになる。絶望の気持ちで地下鉄に乗っていると、酔っ払った会社員3人が女性をナンパしている場面に出くわす。そこでアーサーの笑いの発作が起きてしまい、気に障った3人が彼を暴行する。普段だったら反撃せず、収束を黙って待つアーサーだが、拳銃を持っていた彼は反射的に3人を拳銃で射殺してしまい…。

【感想】※ネタバレあり

一見見ると、アーサーって病気っぽいし、発言が極端だったり、変な行動しちゃうのはそのせいもあるんだろうな、仕方ないのかなって片付けてしまいそうになるんだけど。
彼の発言の中に、所々本質と思われる内容が盛り込まれてて。

それを聞いて、あーこうやって、「病気だから」とか、「ちょっと変わってる人だから」って、その人の発言とか存在を否定してしまうこと自体が、彼を大きく傷つけるんだってことに気づいた。

彼みたいな人の発言を無視したくなるのって、そこに知りたくないけど知らなきゃいけない事実が隠されているからだったりするんだよね。
例えばアーサーは銃を手に入れたことで、これまでなんとなくやり過ごしてきた不満みたいなものをうまく抑え込めなくなって、結果的に自分を馬鹿にしてきたエリート会社員たちを殺害するわけだけど
人を殺害する人=そもそも人間としておかしい人、理解し難い人、どこかが欠陥してる人って、世間の人たちは解釈したりする。

だけどアーサーには世間の人たちが知らない、暗くて深いバックグラウンドがあって、もちろんそれが人を殺す理由にはならないにしても
その背景によって彼が殺人者になってしまったという事実がある。

生きてれば苦しいことも悲しいこともあるのは当然で、それでも人を殺すのはおかしいでしょっていうのが正論なんだけど
その正論を理解しながらも、逸脱した行為に及んでしまう原因について、世の中の人はあんまり考えようとしないんだよね。

人を殺すことは恐ろしいことだと理解しているはずなのに、なんで殺してしまったんだろう、何が彼を駆り立てたんだろう、彼の発言の裏側にある意図は何なんだろうということについて真剣に向き合ってくれる人がいない。
簡単には答えが出ないし、原因も一つじゃなくてたくさんあるわけだけど、世間の人は途中で考えるのをやめてしまう。
「自分たちとは違う世界に住んでいる人」「自分たちには理解できない人種」としてそれ以上突き詰めて考えることをしない。


作中、ロバート・デ・ニーロ演じるマレーのトークショーに出演したアーサーは、自身が世間を賑わせている地下鉄殺人事件の犯人であることを告白する。
あからさまに嫌悪感を抱くマレーや、観客に対してアーサーは「なんで彼たち(被害者である会社員)のことを哀れんだりするの?」って質問する。

エリート会社員だった彼らがアーサーに暴力を振るったのは一度だけ。
たった一度殴られただけで、殺す理由にはならないって普通の人は考えるだろうけど、アーサーにとって、自分を痛めつける人はみんな同じ部類の人たち。だから、自分を傷つける集団の象徴として彼らを殺害した。

アーサーは、殺してしまったのは大変なことだけど、彼らだって十分ひどいことしてたし、死んでしまった後、いろんな人に哀悼されてるからいいじゃないって思ってる。
自分はこれまでどんなにひどいことされても我慢してきたし、彼らみたいに故意に人を傷つけることはしてこなかった。
でも、 もし死んでしまっても哀れんでくれる人は誰もいない。
なぜ?彼らは簡単に人を傷つける人たちで、自分は人を傷つけたりしないのに。
なぜ?彼らも自分も同じ人間のなのに。
多分そういう思いが「なんで彼たち(被害者である会社員)のことを哀れんだりするの?」に繋がっていく気がする。

これまで散々アーサーをコケにして、嘲笑ってきた人たちは非難されることなく、毎日を快適に過ごしてるわけだけど、
傷つけられ、虐げられてきた彼が反撃した途端、世間はこれまでの背景を無視して彼を責め始める。
マレーだって、殺人を犯したアーサーを非難したりして、いかにも常識人ぶってるけど
彼をつまらないコメディアンとして笑い者にするため、わざわざスタジオに呼んだする時点で、しっかり人のことを傷つけてる。

エリート会社員も、マレーも、世間の人も、やってることは変わらない。
実際に殺人を犯して命を奪うか、精神的に追い詰めて心の自由を奪うか、だけの違いで、みんな同じくらいひどいことしてる。
でもそれに世間の人は気づかないんだよなあ。

アーサーと自分たちは違う土俵に立ってるって、勝手に思い込んでるから。彼が何言っても、聞き入れないし、理解することもない。
逆にいうと、受け止め切れないのかもしれない。
自分たちが殺人犯と同じ土俵に立ってるっていう事実や
自分たちが無意識のうちに、誰かの心を死なせてしまっているという事実を。

今回2回目の鑑賞だったんだけど、1回目よりもいろんなこと感じすぎて爆発しそうになった。
単に暗くて、残虐な映画じゃないんだよなあ。
見れば見るほど、自分の中にある偏った概念とか考え方に気づかされる。

ジョーカーは個人的にダークナイトのヒースレジャーが一番好き、何だけどこのジョーカーもまた別の意味で魅力的だった。

*画像下記からお借りしました


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