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音楽と踊りの心許なさ

 ここ1ヶ月、取り憑かれているように音楽ライブや琉球芸能の公演へ通っている。一週間に必ず1、2回は「ライブ」か「会」がつくイベントに顔を出している。そろそろやべー、と珍しく抑制心も叫びを上げている感じ。それはと言うのも、9月から10月にかけて新型コロナウイルスの感染者が一気に減少し、感染流行への措置も緩まりつつあるから足繁く通えている。
 しかし、そんなに夢中で目の前の演奏を聴いたり、踊りを見たりしていても、全てが終わった後はなんだか心許ない。針に刺したはずの糸が、するりとほどけてしまうように。目の前で行われる音楽や舞踊に対する心許なさは、今に始まった話ではない。しっかり聴き、見たにも関わらず、なんでこんなに捉えきれてない気がするのだろうか?


 最初にこの思いを発見したのは、高校2年生の頃だった。僕は、主に関東と東北の郷土芸能を演舞する部活に入っていた。そこで、実際に自分が踊っている芸能の大元が知りたくなって、わざわざ正月に岩手県の宮古市に行った。正月の三ヶ日に、ある神楽の披露があったのだ(お正月に神楽が披露されることを主に「舞初め」と言う)。東京駅から盛岡駅まで新幹線で行き、盛岡駅からのリアス線で降り積もった青白い深雪の中を通り、宮古市に着いた。
 ずいぶん遠くまで来て、さあ、神楽を見た。節々の鳴る音が聞こえるような迫力、しっとりとたおやかな舞い、神話の登場人物が叫び発する言葉の数々、つぶつぶと軽やかに鳴る太鼓の音、滑稽劇に大笑いする観客。まるで古い地層に新しい土がかけられるのを見ているかのようだった。過ぎ去った過去に、現在がまた降り積もっていく過程を目にした。芸能はただ古いものではない、と思った。そして、舞っている人を見ていると、僕が舞っているかのように感じられてくるのだ。太鼓を叩いている人を見ると、僕が今まさに太鼓を打ち鳴らしているかのように思えてくる。


 しかし、終わった後は、自分の頭の中にうっすらとした残像しか残っていない。今さっきまで演じられていた神楽のことを考えると、すごくぼんやりしていて不安になってくる。僕は、想像していたのとちょっと違うなあ、と思った。もっと木槌で頭を叩き割られる衝撃が残るかと思っていた。


 そんな心許なさが気に食わなくて、次の年は別の神楽を観に行った。そこの神楽は、岩手県の花巻駅から二時間車を走らせたところで舞われていた。神楽好きの知り合いのさらに知り合いのお二方と共に、正月の神楽の旅がまた始まった。
(実は僕は、車で二時間の地域へ徒歩で行こうと最初企てていたから、正真正銘のバカだ。)
 そこの神楽も素晴らしくて、大好きになってしまった。前に見た神楽と違って、もっと重厚で、原初的な感じがするのだ。それも、その時は二日間も神楽を見ることができた。しかし、やっぱり終わった後の実感はぼんやりとしていた。宿の風呂で、雪が降り積もった深い森を見ながら、やっぱり心許ないと思った。


 あれから2年が経った。考えてみると、行った場所で食べたご飯の味、歩いた風景、話した人、温泉やお風呂の心地、森や雪を想像したほうが、同時にそれぞれの神楽の踊りやお囃子の音が浮かぶ。真面目に神楽のことだけ考えると、踊りは見えてこない、音も聞こえてこない。


 しかし、現前する音や踊りにひたすら五感を向かわせると、場との一体感を抱いて心地が良いことがある。
 たとえば、僕がよく行くジャズライブのバンドでは、ドラム対ギター・ウッドベースの掛け合いがよく見られる。ドラムのソロパートと、ギターとウッドベースのパートが、4小節ごとに繰り返される。その時、僕の耳を通して、なんだかわからない一体感が響いてくる。さらに、メンバー同士が目を合わせあい、ひょんなところでそれぞれのメロディーが合流するのを見ると、一体感は強烈に迫ってくる。メンバー同士が目を合わせ、にっこり微笑んだのを見るとなんだか、その微笑みを「聴いた」ような気持ちになる。日本語としておかしいけれど。音楽にも微笑みが反映しているのか、それとも視覚と聴覚が一体になった結果なのか、どっちなのかは決め難い。こんなことを考えている間に、演奏を聴いている僕までニヤニヤしていることに気がつく。


 それに、琉球芸能を楽しんでいる時も、似たことを思う。この文章を書いている今日、僕は、ある琉球芸能公演を観に行った。今日の公演の中ですごく面白いと思ったのが、組踊「万歳敵討」というものだ。ありえないくらい端折って説明すると、父親を殺された兄弟が、路上芸人に扮して、父親の仇を討つ話である。“組踊”とは、沖縄の歌舞劇で、現代で言うミュージカルに近い。
 「万歳敵討」では、舞台上で、目の前に仇敵がいながら、兄弟は背を向けて踊るシーンがある。現実的に言うなら、仇敵が目の前にいながら、兄弟は呑気に踊っているのである。しかし、舞台上ではあくまで、兄弟が踊っている場所と、仇敵がいる場所は同じではない設定になっている。そう示すために、仇敵は目の前で踊っている兄弟からずっと目を離している。兄弟は、相変わらず仇敵を気にせず踊っている。この時、兄弟と仇が位置する間の空間に、見えない線が引かれているようなのだ。

 そして、じきに空間的にも兄弟たちが、仇敵の目の前で、実際に踊りを披露しながら仇討ちのタイミングを狙うシーンがくる。そのシーンでは、敵役がゆっくり兄弟の踊りに目線を注ぐのだ。このとき、観客はやっと状況的に兄弟と仇が鉢合わせたことを理解する。


 僕は、この不思議な舞台空間を観て、興奮した。とても細やかな状態と雰囲気だけで、舞台上の世界や空間を理解させる表現。そして、仇敵の近くにいることを悟りながら、踊る兄弟にまとわりつく殺気と動揺。これまで観てきた芸能の中でも、ここまでハッキリとした感情が伝わってくるものはなかった。僕は舞台上の空間と一体になったような気がした。
 公演を見終えたあと、珍しく手応えを感じていた。そして、自分がある音楽や踊りを目の当たりにして手応えを感じる時がわかった気がした。


 そう考えてみると、自分が音楽や踊りを観ていて気持ちがいいのは、自分が演奏し踊っているように感じる時だ。だから、自分が演奏でき踊ることができるものは、観たり聴いたりしていても強い手応えを感じる。しっかりとした投影先があるからだ。映画も、確実な投影先が用意されている。誰かがここだと言わんばかりに、投影先を編集し、わかりやすく示している(ストーリー展開、画面構図、演出、効果音、劇伴etc…)。しかし、自分に馴染みのないものや、まとまりがないものと出会うと、一回きりで投影先が見出すことができない。そのうち回数を重ねれば、耳も目も慣れ、空間や音のありとあらゆる位置に、自分の感情や想像の投影先を見出すことになる。
 それはきっと、「自我がなにかと一体になった時」なのだ。“なにか”とは、目の前の場や舞台空間、音、踊り、雰囲気、風景あたりを指す。


「見ることはその物になる事だ。」

 開高健は、小説「輝ける夏」でこう書いた。「輝ける夏」は、従軍記者の語り手が、「自分はベトナム戦争を追っているが、本当の当事者ではない」と煩悶する小説だ。
 開高は見ることに焦点を絞っているが、僕は、聞く/聴くことにも“その物になる”と言う特質があると思う。


「その昼さがりは、倉屋敷の堅古な窓から暖まっている空気が入りこんで微温の湯みたいに僕をひたし、頭や肩や脇腹のあたりの凍ったかたまりを融かして、僕はしだいに辞書とペンギン・ブックと鉛筆そのものになり、翻訳を続けている自分より他の自分を煙さながら消去していた」


 大江健三郎は、「万延元年のフットボール」で、翻訳作業に熱中するさまをこう書いた。語り手は、鬱屈としたありとあるものから逃れるため、ペンギン・ブック(アメリカの大手出版社の本)の翻訳作業を行なっている。このように自分の肉体や自我が、現前する物体と空間に溶け込んでいく様子に、僕が音楽や踊りを楽しむときの心地に似たものを見出す。


 “布地”に、雫の一滴を垂らす。布地に雫が滲んで、広がっていく。雫が布地と一体になる。僕にとって、踊りや音楽といった芸術は、この場合の“布地”だ。踊りや音楽と、自我が一体になる。自我が、舞台空間いっぱいに溶け込んでいく。自分ではないものが自分のもののように感じられ、自分が自分とは別のものに見える。“布地”に自我の一滴が、滲んで広がる。そういうとき、僕は、音楽や踊りとその空間に心地よさを感じる。


 そして、そのとき僕に突きつけられるのは、「自分ではない存在になりたい欲望があるのではないか」という自問だ。
 芸術を目の前にしたときに表出するのは、脱自の欲望か、それとも。

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