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私が目指す不登校の「解決」

SNSをスクロールしていて、「不登校はほとんどが怠け」という投稿を見たことが幾度となくあります。その中には、不登校支援をしているという方の投稿もありました。

なぜ「ほとんどが怠け」だと言えるのか。支援する中でそう思ったのか。ショックでした。

文科省の調査では、不登校の要因の多くは無気力や不安であるとされていますが、これはあくまでも教員から見た要因です。

周りからそう思われがちであっても、怠けだとか、無気力や不安が要因なのだと言ってしまえる不登校に、私は出会ったことがありません。


私から見た不登校

不登校になった私は、確かに怠けているように見えたかもしれません。

しかし、私の内側では、何年も前から色んな要素が絡み合い、その正体が自分にもよくわからないまま、どんどん大きくなるそれに圧迫されていました。

それでも、中学生の私に言わせれば「だるい」以外の言葉はなくて、そこに見えているものだけを見れば、怠けて無気力な子どもだったろうと思います。

結局、絡まったものは一つもほどけないまま高校を中退、その頃には、もうやる気の脈は触知不能で死んだ魚のようでした。

何故行けなくなって行かなくなったのか。無論、それは怠けや無気力という言葉では説明できない複雑なものだったのですが、自分ではっきり理解できたのは、10年も後のことです。

理解ができた今でさえ、当時のことを伝えるのは難しいと感じることもあります。

これは、私の不登校に限った話ではありません。

親にとっては、寝耳に水で始まることの多い不登校。その時、子どもが何もかも説明できることは稀で、言いたくなかったり、まだ説明する力がなかったり、わかっていない場合もあって、それらしい理由を言ってしまうこともあります。それは、のらりくらりかわしているようにも見えて、親が怠けを疑ってしまうのも無理もないと思います。

子どもたちは、立ち止まることなく学校に行く人たちを横目に、行くのが望ましいと何となくそう思うけれど、でも、行かない選択をして、それでホッとできればいいけれど、そうもできずに揺れています。

「勉強が嫌」の一言も、一緒に学習を振り返っているともっと見えてくるものもあるし、真正面で向き合われたら目を逸らすけれど、ふとした時に、まだ説明しきれないモヤモヤをそれぞれの言葉で伝えてくれます。

私の知る不登校は「ほとんど」がそうです。

子どものぽつりぽつりの言葉や、投げつける一言を、ただその言葉通りに受け取っているだけでは何も見えませんでした。

まだ要因が掴めない不登校を分類する上で、無気力や不安という言葉で括ってしまうことは致し方ないのかもしれませんが、親が子どもの本当の気持ちが知りたいと必死に探るなかで、当事者の身近にいる先生がそのような言葉で片付けてしまうのなら私は違和感をおぼえますし、支援者がそれらを怠けとするのは乱暴な捉え方であると感じます。

そして、怠けを前提とした「休ませると取り返しがつかなくなる」「無理にでも行かせた方がいい」などのアドバイスは、親を脅かし、焦らせて、その向こうにいる子どもを追い詰め、親子関係にまでジリジリと影響を及ぼすこともあります。

こう言うと「休ませて子どもの将来を保証できるのか」と言われるかもしれません。でも、そのやり方で子どもの心を守れるでしょうか。


不登校の解決とは何か

このような支援者は少数だと思いたいですが、不登校支援といってもさまざまなものがあり、大手の塾でも不登校の解決を掲げたコースが用意されていたりします。

不登校の解決とは、何でしょうか。

学校に行かないことを問題視するならば、答えは復学でしょう。私の親がその当時に思い描いた解決もそうでした。

もちろん、本人が望んで復学するケースはありますが、復学や進学は一つのポイント(分岐)通過であって、「解決」を急ぐ周囲の強い勧めでそれらが実現したとしても、それで一件落着とするのは難しいと思っています。

不登校として溢れ出てきたものに慌てて蓋をするのでは、本当の意味での解決は遠ざかってしまいます。一度蓋をしても、またどこかで問題は噴出することになり、それが大人になってからであればもっと本人は苦しみます。

親の焦りが、思わぬ事態を招いてしまうこともあります。

私が不登校であった時期は、やはり私の親も苦しんでいました。読んでいた本はおそらく数十冊、どうにか「解決」したいともがいていたと思います。

そのような最中、色々な勧誘に遭ったのですが、我が家の場合はその一つにとどめを刺されることになりました。心をすり減らしていた私たちにとっては本当にタイミングの悪い勧誘で、家族の関係はこれをきっかけに一時余計にこじれたと思っています(早いうちにお断わりできたのは不幸中の幸い)。

一方、私の方は、学校さえ辞めれば全てが解決するのだと思い込んでいました。

退学後はやはり無駄なプレッシャーがなくなって随分楽にはなりましたし、自分の選択を後悔したこともありませんが、不登校については、モヤモヤしたものを持ち続けていました。

大学進学前に考えていた不登校支援は、支援というよりも塾、ボランティアで始めた頃も自分の不登校と向き合うことなどできていませんでした。というよりまだ当時は自分が不登校から抜け出せていなかったのだと思っています。

結局、私にとっての不登校の解決は、復学や進学でもなく、学校を辞めることでもありませんでした。

ずっと停滞したまま一生モヤモヤしているだけかもしれなかった私が解決に漕ぎ着く大きなきっかけとなったのは、自分以外のたくさんの不登校を間近で見たことでした。自分以外の不登校を知る中で、自分の辿った道をそれまでとは違う角度から見られるようになり、長年絡み合っていたものが少しずつほどけて、自分が不登校に至った背景がみえてきたのです。

ネガティブに捉えていた自分自身の不登校と向き合うことには苦しさもありましたが、自分自身を理解しきれず混迷を極めた時代に、学校に行かない私を最も責め立てていたのは、他でもない自分だったということにも気付きました。

そんな自分と和解し、ぶつ切り状態になっていた色んな自分が一つに繋がって、全てひっくるめて私なのだと、20代が終わる頃に、やっと受け容れることができました。

対人関係など反省する点も多々ありましたが、何故行けなくなり行かなくなったのか、自分の中で整理して理解ができたことで自分と付き合いやすくなり、「自分と生きていくのが面倒」という気持ちも次第になくなって、ずいぶん生きやすくなりました。

これが私の場合の解決でした。

今や文科省も、登校するという結果のみを目標にするのではないとしています。私の頃から考えると、不登校になった子どもの居場所や進路の選択肢もずいぶん増えました。学校に行かず、家族と有意義に過ごす子どももいます。学校に行かないことを積極的に選択できるようになってきています。

ただ、学校に行かない子をもつ親として、勉強の遅れは多くの方が心配される点です。不登校の真っ只中にある本人は、勉強どころではない場合も多いのですが、将来の選択肢も広がるので、基本的な勉強をしておくことは大切なことの一つであると私も考えていて、不登校支援ルームでも、個別での学習面のフォローをメインに据えています。

しかしながら、勉強が最優先であるとは思っていません。

私は、学校に行かない子どもたちの平日を、自分を責めるようなネガティブな時間でなく、将来に向けてゆったり蓄える時間に変えてもらえたらいいなと思っています。

そのために必要なのは

①子どもの心が休まる居場所

 元は家がその役割を果たしていても、不登校になると難しくなることがあります。家は安心できる場所であってほしい。そのために③も必要。

②子どもの心が育つ集団の居場所

 学校に行っていても行ってなくても、友達との時間、遊ぶ時間も大切。

③保護者の居場所

 親だってしんどいって言っていい。愚痴や、言いっ放しにできる相手がいるかどうかは重要。家の大掃除と同じで、とりあえず吐き出すだけでも、だいぶ自分での整理はしやすくなると思います。私もお聞きします。

④基本的な学力をつけられる場

 居心地のよい塾や相性のいい家庭教師の先生が見つかれば、ホッとできる場所にもなります。

それから、保護者が相談する場は、利用できるところはたくさん利用されると良いと思いますが、ああしなさいこうしなさいとか、テクニックを伝授してくれるような場よりも、同じ目線で語り合える場の方が、お父さんお母さんの人生もより豊かになるのかなと思っています。そのような意味でも、それから居場所としても、親の会はおすすめです。

不登校支援ルームは、完全に個別ですが、教科書の勉強だけにとどまらず、①の要素も大切にしながら、自分を再発見したり、興味のある分野を一緒に探究したり、未来が少しでも広がる時間を過ごしてもらえれば尚良いと考えています。

そして、学習を通して関わるなかで、不登校に至るまでに絡まったものをほどく作業も助けたいと思っています。それを整理して、これからの長い人生で自分とうまく付き合っていけるように。それが、私の不登校支援です。


さいごに

今回は、今の私が不登校支援について思っていることを書きました。

絡まったものを一緒にほどいていくことは、もちろんご家族にもできることです。少し心が落ち着いたら、気持ちに余裕がある日は、散歩しながら、ドライブしながら、ご家族の思い出話、ご自分の子ども時代のこと、色々な話をして、聞いてあげてほしいです。ありのままを話せば、子どもの心に届くものはあります。

不登校支援ルームは、学校や学校以外の場がしっくりこない子どもたちのため、選択肢の一つになればと思い、開設したものです。私自身は「行ける人は学校に通うのが良いが、そうでない場合、心に負担を掛けてまで頑張って行く必要はない」という考えですが、ご本人の気持ちを一番に、そしてご家族の意向もあわせて尊重します。

教育委員会にも通う場はありますので、まずはそちらに行っていただくと良いと思いますが、たくさんの選択肢を持っておくことは大切で、不登校支援ルームも保護者の方には気軽に相談だったり、話を聞きに来たりしていただきたいと思っています。

ただ、揺れているご本人を差し置いて決めることにならないよう、申込までにステップを設けています。ご本人の気持ちを尊重しながら、解決に向けてより良い選択をしてください。

地元の小学生に限った話で申し訳ないですが、②の要素として、そして少し④も兼ねている少人数制の居場所ですが、高知市内に元教員のボランティアが運営する施設がありますので、ぜひインスタグラムの「メッセージ」または「連絡先」からメールでご連絡ください。

返信に数日要する場合もありますが、ご意見やご相談なども、お気軽にどうぞ。


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