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「美味しく食べる」と「美味しく造るOODA」

こんにちは、Kazu Shibataと申します。
デジタルまみれな日常を楽しむために、日々奮闘しながらアップデートしている還暦近くのオヤジ。オンやるでは、名ばかりスーパーバイザー。

祖父の想い出と食事

最近ではほとんどしなくなりましたが、知人とかと食事をすると「きれいに食べるね」と時々云われます。

ペロッとたいらげたという意味の方ではなく、食べた後がきれいだということです。

特になんとか流の作法とかではないので、あくまで自己流。
場合によっては礼儀作法にうるさい人から見れば、とんでもないことも普通にします。

例えば、惣菜の芋とかかぼちゃに刺し箸したり、
お魚も指を使ったりします。

それでも唯一、心がけていることといえば
『あとでお皿を洗う人が洗いやすく食べる』でしょうか。

私の祖父は、鮮魚商のかたわら、仕出しもしていました。
仕出し専門店というお店もありましたが、昔は魚屋さんとか惣菜屋さんとかも仕出しをしていました。

食堂や食事処の出前とは違って、折り詰めだったり、御膳でお願いされれば、予算によって高膳か低膳かを変えたりして、そのお宅や式場、お寺のその場で御膳のセットもしていました。

食事を造って、御膳をならべ、宴が終われば回収です。

その時に、その食べ終わった器を見ながら、祖父がよく独り言をつぶやいていました。twitterではありませんよ、念のため。

「この刺身料理は狙い通りいい素材を使ったから、みんな完食だ!」とか「野菜の煮付けは、ちょこっと食べ残しが多いから、若い人が多かったんやな。事前に年齢層を聞いておけばよかった。」とか。
業者に勧められたゼリーを付けたけど、手付かずのものが多いから
「もうあそこのデザートゼリーは使わん!」と怒ってみたり。

幼いながらも『なるほど!料理人は、お客さんの食べた後を観察して切磋琢磨するんだ』と感じました。いわゆるPDCAとかOODAですね。

そういうのを肌で感じていましたから、自分が美味しいと感じた料理は、完食することを心がけるようになりました。

仕出しの持ち帰った器は、もちろん洗うわけですが、その洗い物は、お駄賃ももらえますから幼かった私でもお手伝いしていました。

そこで感じたのは、食べ方のきれいな人の器は、洗いやすいことでした。

食べ散らかしたような器は、しばらくお水に浸けておく必要があり、効率よく洗い物ができません。
茶碗にこびりつくご飯っていうのも、食器の面に対して垂直(法線)方向に箸でつまむと、最小限のこびりつきで済むのですが、そんな食べ方をする人は極く稀です。

しかも、漆塗りの食器や御膳は、食器洗い洗剤が使えないので、長時間水に浸けておくと、器のキズから塗装が痛んだりするので踏んだり蹴ったりです。
ウレタン塗装のものを使わないレベルの取引先でも、招かれたお客さんの質で、その後の対応を微妙に変えていた祖父のしたたかさも知っています。

そんな経験から、食べ終わった時は
『片付けがしやすいようにフィニッシュする』癖がついたんでしょう。

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カウンターで食べるようなお店に行っても、お店の人から「美味しそうに食べてくれて嬉しいです!」と、たまに云われます。

実際美味しい料理なので、美味しそうに食べるもなにもないのですが、
なんでだろうと尋ねてみました。
「料理の味に自信はあっても、美味しく食べている人の表情は見ればわかりますが、その人が食事を楽しんでくれているかどうかは、お皿を見たらわかるんです。」だそうです。

美味しい美味しいって、連呼している人でも、お皿が汚いような食べ方をしている人は、単にそのお店がおいしいということだけを聞きつけて、それを単に食べにきた、いわゆる『自分は美味しい店を知っているし、食べたこともある』ということを示したいだけだそうで、たいていSNS発信者なのだそうです。

食べる前の盛り付けは撮っても、自分が食べ終わったあとは関係ない、みたいな。

その点、私は、スマホで写真を撮るでもなく、出されたものを暖かいものは暖かいうちにハフハフ云いながら頬張ったり、鮮度命のものを、おしゃべりとかでマズくなっちゃうちゃうこともなく箸を運んでいたりというよな、食べることを楽しんでいる人のお皿は『食材の滞在時間が短く』て、へんな汚れがこびり付くことなく、それと私の例の癖ともあいまって、お皿がきれいなことが、私が食事を楽しんでいるって見えるんでしょうね。

そんな話をしてもえると、なんだか嬉しくなって、食事がもっと美味しくなりますね。

追加注文しちゃいそうです。

引き続きオンやるアドベントカレンダー2021をお楽しみください。


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