地域おこし協力隊としての僕の仕事と僕のこと
今から18年前にここを出た。
当時はここで経験できないことを他所の街でたくさん経験したかった。
夜の8時になれば町は眠りにつき、聞こえる音は自然の音だけだ。
そこにあったのは少年の「田舎コンプレックス」
ここには何も無いことが恥ずかしい。なんでここにはないやろ?となんで誰もしないんやろ?と幼い自分には隣の芝生がより青く見えた。
スキー場が遠くて自分たちで行けないなら近所の山でジャンプ台を作ってパークを作ればいい。今でも好きな音楽も、レコード屋もライブハウスもクラブもない場所だから、MTVの映像やライブビデオを見るだけで、本当の意味での体験なんて少なかった。それでも好きでアルバイトしたお金を自分のしたい事や物や場所や機材に注ぎ込んで、自分たちのスタジオができたのは今でもいい経験だ。
D.I.Y.精神を育んでくれたのは『ない』って事が逆に『本気でやれば出来る』といい意味での成功体験になっていると今は思う。なければ作ればいいし、今できないならできるまでやればいい。
一人じゃできないのならツレや仲間や友達とやればいい。
コンプレックスと同時に「田舎育ちの元気な子」特有のバイブスは今も残っていると思う。
簡単な自己紹介
コロナ渦のスタートと同時に地域おこし協力隊として地方にUターンしました。地元での学生期間の終わりを期に、人口50万人規模の地方都市で生活していました。
今は妻と猫と穏やかに過ごしています。
世の中の暗さや希望もあり、世紀末感のあった90's・00'sのカルチャーが好きで今で言う多様性のはしりみたいな時代を青春で過ごしました。今でも好きな音楽やアウトドア、エクストリームスポーツやアートは時代やカルチャーの影響。
仕事に関しては現場第一主義。そこにいる人たちありきで世の中回ってると思っている。いろんな文化や風土を置き去ってまで、やる必要性は今の僕にはまだわからない。
お互いに分かり合おうとする人達や覚悟を決めてる人には最大のリスペクトを。
地域おこし協力隊とは?
拙い僕の言葉で簡単に言ってしまえば、任期後(最大3年間)の定住を目標に過疎地域外の人材を地方に送る国の制度だと思っている。様々な問題が起きている協力隊だが、地域によっては課題は残るのかもしれない。ミスマッチを防ぐためにも何度かその地域で旅をしてほしい。表面の観光旅行とは違う旅を。その延長線上に地域おこし協力隊としての生活があるかもしれないと今は思う。
『大きな志を持って地方のために!』って人や、『地域に入るために便利な制度として使いたい』って人や、僕のような地元に帰るにあたり、どうせなら一度経験して、文句や不満を一方的に言うのではなく『地方行政ってものを現場で体感し、実際に働いている人達への理解を深めたい』って人もいるかもしれない。
その上で今の自分に出来る事とこれから表面化する課題へのアプローチを長いようで短い3年間という期間で自分というものを確立出来ればと思っています。
制度について知りたい方は下記リンクにてご覧ください。
この町での協力隊としての仕事とは?
現在はワーケーション推進担当として、この町の課題解決型ワーケーションに取り組んでいます。この町が目指す形は「ワーク」X「コミュニケーション」のワーケーション。ワーケーションで訪れた様々な方々と地域の交流を通じて、関係人口創出を目指していると言った方がわかりやすいかもしれない。全国各地で様々なワーケーションが行われているが、この町で交流を通じた対話の中、生活の中でケミストリーが起こるのを楽しみにしています。
この地方特有かもしれないが意外と旅での地域との交流は多い地域かもしれない。全く知らないのに会話の中で、みちばたの畑からお野菜をお裾分けしてもらったり、夕涼みしている時に話して一緒に食事する事になったり、温泉で湯船に浸かって毎日会っていると仲良くなったり、昔から観光地だったこともあり、文化として観光地の中で生活をしている方が多いからかもしれない。それが僕の知る観光旅行と旅の違いのような感じもしている。
地元びいきにはなるかもしれないが、ここに暮らす人たちは気持ちがいい。金銭的に恵まれている地域では決して無いが、僕は豊かだと感じられる。生活の中に日常があり、リスペクトを持って対話しているように感じた。
偶然あった人との会話や何気ない日常の中でこそ、特に感じられる。接待ではない人の温かさだ。全ての人が同じように感じるわけではないが、今の僕には心地がいい。
この町には3つの温泉があるように、各地域のいろんな人の気持ちに温度が感じられる。
地域の人たちと共に過ごすことで感じらる世界に浸かるのもまた、現代の心の湯治になるのかもしれない。