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雨の日は...

予想以上に降りっぱなしの1日。

行動範囲は数百メートル以内で...

じゃがいも、人参、玉葱、牛肉、それとしらたきとエノキ...肉じゃがでも作ろうか、と思いつつ、カレールーも買う。

しらたきとエノキ以外は、肉じゃがでもカレーでもいける具材。別に入っていてもカレーに変身できる。

どちらも拵え、作り置き。

肌寒さを感じる気温だが、嫌な寒さではない。
しとしと降り続ける雨音も悪く無い。
ソファに身体を預け、読書をしては時折微睡み...それを繰り返す。

とある芸術家の著作を読んでいる。
かなりの異端児であるが、権力や才能を嫌い、人間の抱く弱さに寛容がある。弱いままでいい...
著者の子供の頃の学校での話があった。
教師から異端児扱いされた記憶。

そう言えば、私が子供の頃の教師達はよく生徒を叩いた。
絶対的な指導者という権力があった時代だ。
これが体罰と言うのか?言えないのか?それは今でも分からない。
息も絶え絶えになるようなものではなかったし、瞬間的な肉体的痛みを与えるだけだったから...

この様子を他の生徒の前で行い、見せしめる。
ナポレオンが言っていた。
人を動かすテコは二つ、恐怖と利益だ。
これって、犯罪に通じることではないか?と...
殺人をした恐怖の後に強盗して利益を得る。

今の時代の教師達は色々と規制があり、かなり大変なようだ。

悪いことをすると、肉体的痛みを伴う罰が巡ってくる。そういう単純な構図は、我々子供達の目にどのように映ったのだろう。

そこには、大人の都合の理不尽で不条理な感情的な罰もあったはずだ。
子供だからはむかう事が出来なかったが、子供は覚えている。
ここで、馬鹿な子供は、弱い者は叩いても何も言わない。叩くことに意味が無くてもいい。
そこから虐めを覚えてしまうケースもあっただろう。

無視や陰口や理不尽な暴力などその時代からあった。
表面化しなければ、虐めにはならない。
バレなければ浮気にならないのと同じだ。

教科書を忘れた。宿題を忘れた。給食を残した。
頭を殴られる。頬を叩かれる。

子供心に思っていた...
その痛みではどうにも改善できる事ではないのに、この人はそう信じて指導教育だと思っているのか...と。
単にガキに一発食らわしておくか...じゃなかったのかな?

親よりよく殴るのが教師だった時代だ。

中学の若い男性教師はよく生徒を叩いた...教師として若くてノリに乗ってる情熱の処理の仕方が下手クソだった。

小学校の頃、給食を残すと皆んなの前で耳を引っ張り上げる罰を与えられた。
その痛みに悶絶する姿を皆んなの前で披露し、辱めと肉体的痛みを与える。
それで好き嫌い無く、何でも食べられる身体になるわけでは無い。

ある時、生徒の一人の耳たぶが切れて出血した。
いつもなら、痛みに苦悶する顔にゲラゲラ笑う声が聞こえる教室が凍てついた。
女性教師も凍てついた。
床にしゃがみ込む生徒のギラついた眼差しが今も忘れられない....

その日から、その罰は無くなった。
放課後のある一定の時間まで残して食べられなかったら、そこでお終い。

どちらも、何の解決にもならない。

私は学校ってとても嫌いだった。
早生まれで、体の発育も悪く、勉強も遅れた。まして、生来の虚弱体質が加わり、みんなと同じことが出来ない。
そりゃそうだ、子供の一年の差ってかなりの発育差がある。
49歳と50歳の差とはわけが違う。

自分が果てしなく駄目な人間であることを毎日毎日痛感する為に通う所だったから。

義務教育が終わった時思った。
懲役9年のお勤めが終わった、と。

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