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「多様性の科学」(マシュー・サイド著)を読んでみたら気になってしまった2つの多様性

「多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織」 マシュー・サイド著


安易な動機

 noteの5月の特集が「#多様性を考える」だったという安易な理由で、「多様性の科学」を読んでみました。

 複雑な現在社会において、個人の知識や才能、スキルがあるからとって成功できるわけではない
 偏った画一的な考え方を極めた集団は危険であり、全体論的な考え方で多様性を受け入れた「集合知」を備えた集団やチームが成功する。

 といったことが書かれていると思います。

 CIAとか極めて優秀と考えられる組織が画一的思考に陥ったために生じた失敗などの例をとおして、上記の「多様性」の重要性を確認できます。

 とても、勉強になり、ためになる書籍でした。

 ただ、今般のテーマに対してというところからすると、なんだか違和感が感じられました。それは、どうしてなのだろうか。

 その違和感について、完全に個人的な考えでまとめてみます。完全に独善的妄想なのですが、あしからず。

2つの多様性

 もう一度、noteの募集する投稿企画の記載を見てみました。


note5月特集 多様性を考える


 「多様性の科学」の中にも、自分とは異なる人々と接し、馴染みのない考え方や行動に触れる価値について書かれており、テーマとの親和性があるといえます。

 ただ、なんとなく違和感を感じたのは、このテーマに対して通常想定される「多様性」は、「組織やチームが成功するために必要とされる多様性」だけではないのではというところにあるような気がします。

 すなわち、多様性には、「上がっていく多様性」 と 「取り残さない多様性」 があるのではないか、というのが、仮説です。


上がっていく多様性 ~ 組織(人類を含む)を成功に導くための多様性

 「多様性の科学」の中にこんな感じの図があります。


【図1】賢い個人

「多様性の科学」より参考にして作成

 この四角の枠は、問題空間(problem space)で、問題解決やゴール達成に必要な洞察力、視点、経験、物事の考え方など問題解決のために有効な概念や知識を表す領域だそうです。

ひとりだと問題解決に限界があるよね、という図です。


 これで、同じような考え方の人が集団になっても、カバーできる問題が狭いままので危険です。

 下の図のように、集団でも無知になってしまいます。

【図2】無知な集団

「多様性の科学」より参考にして作成


 一方、多様性のある集団は、個人個人の賢さは変わらなくても、問題領域をカバーすることができると複雑な問題に対処できる集合知が得られます。

【図3】賢い集団

「多様性の科学」より参考にして作成

 これが理想ですね。
 しかし、これには人選が重要です。

 根拠のない人選は、以下のようにメンバーに多様性があっても、肝心の問題空間をカバーすることができなくなってしまいます。


【図4】多様性はあるが無知な集団

「多様性の科学」より参考にして作成


 思わず陥ってしまいそうな落とし穴がとても分かりやすく説明されています。目からウロコです。

 でも、多様性というのはこういう話(だけ)だったのだろうか。

 これも多様性であり、とても重要であることはもちろんですが、イメージしてた多様性の問題って、これだけではないのでは?

 というわけで、なぜか、その違和感を辿ることにしました。



取り残さない多様性? ~ もう一つの多様性があるのでは(個人的考え)


 上記の多様性は、組織(あるいは人間社会)を成功に導くために「多様性」を取り込むことが大事だということです。同じ考えの人同士だと楽ですが、それだと危険だ、多様性を取り入れようというのがよくわかります。

 言ってみれば、成功発展していくための「上がっていく多様性」ということかと思います(ネーミングセンス…)。

 一方で、上記の違和感について考えるため、もう一度先のイメージ図を見てみました。

  【図4】 多様性はあるが無知な集団 

「多様性の科学」より参考にして作成


そして、以下のように思いました。



 「問題領域の枠から外れている人」が何人かいます。
 この人は、この問題解決についてチームに加えるのは、問題解決のためには妥当でないということになります。
 この人は、この問題の解決のためには役立たずということになります。


 そうすると、この人は、どうなるのでしょうか。


このことを考えてみるのも「多様性」なのではないでしょうか。

 よく「誰一人取り残さない」といったことが言われます(私だけかもしれませんが、これが割と「多様性」の問題で出てくるイメージのような気がします)。

 先の「多様性」が、問題解決の視点から、組織やチームを最適化するための多様性だとすれば、もう一つの「多様性」は人の視点から社会にアプローチするための多様性ではないかと思います。

 言ってみれば、枠から外れている人を「取り残さない多様性」という感じでしょうか。

 ここまで書いて、自分の違和感が整理されてきたような気がします。

 整理したついでに、この「取り残さない多様性」を解決するためにどうしたらいいのか、ちょっとだけ考えてみてすっきりして寝ようと思います(「上がっていく多様性」の解決方法は、ぜひ本書を読んでみていただければと思います)

枠を作る ~ 誰にでも輝ける場所がある

 再び、以下の図。


 この問題を解決するためにはどうしたらいいのか。

 それは、枠を動かす、新しい枠を作るということなのではないかと思います。

 四角の枠は、さっき書いたとおり、問題領域です。

 よく「問いを立てる」とか「問題設定の重要性」と言われます。

問題設定が秀逸であれば、勝ったようなものという話を、たぶん、どっかで聞いたことがあるかと思います(私だけ?)。

 問題設定の立て方は、実は、問題領域の枠から外れてしまう人に、その人が問題解決に尽力できる場所を設定しているともいえるのではないでしょうか。

 特に上記の問題領域は、上記の図だと、現状あいつだけが輝いています。

「上がっていく多様性」からしたら、これだと個人プレーで限界がありますが、逆にここからさらに問題を解決するためにさらに必要な「上がっていく多様性」がみえてくる気がします。

 「取り残さない多様性」と「上がっていく多様性」は連関しているのかもしれません。

 そのくらいまで整理して、おわりにします。
 妄想にお付き合いいただきありがとうございました。

※Amazon のアソシエイトとして、この記事は適格販売により収入を得ています。

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