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【書籍感想】卒業式まで死にません/南条あや

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小説執筆のために読んだ本の感想です。
こういうのもちょいちょい上げていきます。
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 一言でいうと「懐かしい」。これに尽きると思う。
 傍から見たら変な感想だと思うけど、私はこの南条あや氏の書いた文体と似たような文章を中学自体に読んでいた。美羽のモデルなった親友の書いた文章がこれにそっくりだったからだ。

 彼女はノートの切れ端やメモ紙、長い時は便箋数枚に渡って書き綴った文章を、私の下駄箱や家のポストに投函してきたり授業中に回して来たりしていた。その時の彼女の文体が、この本のものにとても酷似していた。

 本書の存在を知ったのはリストカットやいじめについての参考文献を集めていた際、自傷癖のある若者たちの事例を集めた2000年代後半に刊行された本の中にメンヘラのバイブルとしてよく登場していた。それを見て思い出した。中学生時代の親友との会話の中に、本書の話があったことを。 

 「南条あやって自殺した人が書いたんだけど、まだ高校生だったらしい。」と、きっとあの時読んでいて大いに影響を受けたに違いない。

 かく言う自分は当時。その親友から「死にたい」とか「私が死んだら悲しい?」とかの類の会話を毎日うんざりするくらい聞いていたので、さすがに似たような内容の本まで読む気にはなれなかった。

 親友は美羽のように手首や太ももをリストカットしていた。それもほんの少しだったのでその跡を私に見せてきたりもしたものの、血が滲んでいなくてただの薄い切り跡にしか見えなかった。ODにも関心があったようでバファリンを4錠一気飲みしたことを報告してきたりもした。おいおい、それじゃあ半分優しさじゃないか。

 大人になってから思い返してみればちょっぴりリストカットもエセODも周りの人間の気を引きたいだけの行為であり、彼女自身全く死ぬ気がなかったのだと思う。実施する勇気はないけど死にたい、と手紙にもあった。ただ中学生の私はほいほいとそれを受け流すことはできなかった。それはもう一大事じゃないかと必死に彼女を励まそうとした。そんな部分があったから彼女も私に執着したんだろう。

 メンヘラと呼ばれる人達はよりどころになれる人間を見極めて、それに依存してしまいあって欲しい理想の姿を押し付けてしまうという。だから友人関係であれば理想と離れると縁を切ってしまう、医療関係者の人やカウンセラーの人は適切な距離を保ちつつ治療にあたるのだとか。

 メンヘラの人はよく医者に親に嘘をつく。親友も嘘をついてなぜかそのことを私に報告してきた。自分の体調をちゃんと伝えた方がお医者さんの診察も間違わないし、その方が早く治るのに、親だって理解してくれるかもしれないになんで嘘をつくのだろうか?理解できなくて私は同級生を叱ったりしてみた。「𠮟ってくれるのはあなただけだよ」と彼女は言っていた。

 南条あやも嘘をついて薬をたくさん処方してもらい、それを溜め込んでいた。そしてそれを当時発達したてのネットで知り合った人と交換したりしていた。考えるだけでもおっかない。

 ただその背景を調べていくと家庭環境やいじめなど様々な要素が縺れあっているのがわかる。父親についてもそう。明らかに自分の娘の状況を理解仕切っていない自分のことで精一杯なひとりの人間の姿。
 父親は入れ墨したりお金ないのに車買い足したり治安がよろしくないようで。かく言う娘もまともに父と対話しようとしなければ真面目に働くこともできない。毎日カラオケに遊び歩いてハンズで散財したりメス買ったり、でもそれは決して怠慢ではない、娘は普通のことだってできない状態だった。父親は確かに余裕がなかったのかもしれないが、親から歩み寄らないから変わらなかった。娘は十分SOSを出していたように見える。

 今でも閲覧できる南条あやさんのサイトには本人の想い以外にも父親の後悔と、恋人からの愛と、ファンからの悩み相談や共感のメッセージが詰め込まれている。決して暗い雰囲気ではないこの傷のなめ合いのようなサイトがどれだけの人の心を救ってきたんだろう。古めかしいサイトを閲覧しながらそう思ったりした。

▼南条あやの保護室(すでにサイト自体は閉鎖してWebarchiveで閲覧できます。敢えてクリッカブルにしません。)

http://web.archive.org/web/20030805035852/http://nanjouaya.com/hogoshitsu/memory/index.html

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