うどん職人が考える伝統との向き合い方
初めまして。小野ウどんと申します。
店舗を持たずに出張+通販でうどん職人やってます。
伝統を守るって言葉はみなさんよく聞くかもしれません。
でもその伝統ってホントに守るものなのか、伝統という言葉や問題に直面している人は必ず考えて欲しいと思っています。
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機械が押し寄せた先の末路
日本には全国にたくさんの種類のうどんがあります。
福岡に博多うどん、長崎に五島うどん、富山に氷見うどん、埼玉に武蔵野うどん、群馬に水沢うどん、秋田に稲庭うどん、とまだまだ多くのうどんが存在しています。
それぞれが気候や土壌によって採れる作物、欲する味で小麦粉と水を合わせて線状の食べ物「うどん」を生み出し様々な食べ方をしてきました。
そのどれもが先人が生き抜くために考えて作り上げてきたもので尊いものだと思います。
食文化としてはもちろんなのですが、僕は作るプロセスにその素晴らしさの本質があると思っています。
老舗が多く、良くも悪くも伝統というものと密接なのが日本という国だと思うんです。
AIというものが誕生し、産業はこれまで以上に機械化していっています。
人がやる仕事はほとんどなくなっていくとまで言われるこの時代の中で、うどん作りも現場では機械にできることは機械に任せていっています。
便利だし効率的だし、悪いことないじゃない!
でも僕は違うと思うんです。
そこに疑問を抱かないことは危険だと。
香川県はコンビニよりうどん屋が多いと言われるくらいのうどん大国です。
でもその香川県も現在600切るくらい店舗は減少しています。
さらに機械の便利さや職人の高齢化も進み「純手打ちうどん」というオール手足で作るジャンルのうどん屋はほぼないです。
手打ち技というニッチですが1つの伝統が失われた先には、日本が日本たる武器を喪失するに値すると僕は思っています。
技術的に美味しいと言われるうどんが残っていったとしても、日本が作る意味みたいなものは薄れ、これから生まれてくる子どもたちの日本人であるという誇りも薄れ、目先の便利さに流された結果、日本という国がやがては薄まって溶けていくんじゃないかと思うんです。
そんな未来はイヤだ。
僕はそう思い、僕が身につけたうどん打ちの技術や知識を時代に適応させて繋いでいきたいと決めて4年間、店舗を敢えて持たずに、正しいのかどうかわからない先人のいない道を歩み、色々な角度からうどんを作り続けてきました。
※以下のクラウドファンディングは2017年のものです
うどんにおいて「麺打ち」の技術に絞り繋いでいきたいと考えました。
そのためにはみんながうどんを打てるようになればいいと考えました。
手打ち文化普及へ
うどんという食べ物は全国各地にあるし、老若男女から愛されているのに、うどん職人はおろか、うどんを打ったことがある人は周りにはほとんどいません。
うどん教室みたいなものは調べればあるのに、なぜみんなうどんを打たないのか。それはうどんを打つ理由やメリット、キッカケがないことに他なりません。
「キッカケをつくらなきゃ」
そう思い僕は新しいうどん職人のカタチを模索し、うどんアーティストとして、全国各地に出向きうどんパフォーマンスを行ってきました。
ホワイトデーにうどんを作る文化があればいいなと思いWSを企画しました。
うどん大神を祭るうどん教のイベントうどんセレモニーを開催しました。
手打ち技を競う競技を生み出し、うどん総合格闘技TEUCHIを開催。NHKやAbema Primeに取り上げられられ、ライブ配信はニコ生で1万回以上再生されました。
人生100年時代の趣味特技として、うどんが打てるように修業をつけるうどん塾も開き、うどんを打つメリットを示してきました。
コロナで出張の仕事を失い、それでも一人でも多くの人にうどんを届けたいと思い通販を始めました。
伝統は守ってるだけじゃダメだ。
本当に残したいものを決めて、それを残すためにそれ以外を時代に適応変化させ、必死に創っていく。
これが僕が考える伝統との向き合い方です。
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